布施直佐
(「ピンドラーマ」誌編集長)

「ピンドラーマ」創刊~

サンパウロで暮らす日本人向けのフリーペーパー「月刊ピンドラーマ」は今年で創刊17 年目(創刊は2006年6 月)、通算200 号を超えた。創刊当初は現地の老舗の出版社(ショーエイ出版)から発行していたが、2007 年9 月にコジロー出版を創立し独立した。社名の「コジロー」は弊社代表の川原崎が当時飼っていたネコの名前である(コジローは昨年8 月に18歳で他界した)。創刊から1 年半くらいの間は知名度も低く広告営業の面で苦戦したが、その後は広告の売り上げも徐々に伸び、誌面も多彩な執筆者に恵まれますます充実していった。これまで記事を書いていただいたのはプロのライターだけでなく、観光ガイド、大学教師、歌手、弁護士、医者、行商人、主婦、漫画学校教師、鍼灸師、ラーメン職人等様々で、記事に困ったことはほとんどないと言ってよいほどである。また、最新号を見ると、創刊当初から現在まで続いている連載が多い(「クラッキ列伝/ 下薗昌記」「移民の肖像/ 松本浩治」「ブラジル版百人一語/ 岸和田仁」「開業医のひとりごと/ 秋山一誠」(以上敬称略)は全て14 年以上連載を続けている)。「ピンドラーマ」を通して17 年、ブラジル文化の鉱脈を掘り続けてきたが、掘れば掘るほど新たな宝石が見つかり喜びの声が絶えることはない。

ブラジルでの仕事

 創刊時から現在まで悩まされているのが印刷の質だ。ブラジルの印刷技術は残念ながら日本と比べると劣っており、色合いが毎月異なり、同じ号のなかでもかなりムラがあるのが通常で、今でも刷り上がりを見る時は少し胃が痛くなる( 実際、あまりにひどい時には刷り直したことも幾度かある)。
また、弊社事務所近辺(東洋人街リベルダーデの一画)は少し前まで大雨が降ると停電することが多く、締め切り近くに雨が降ると停電しないよう祈ったものである。この停電の件も含めて、日本なら数分で済む作業が当地では数時間かかることもしばしばあるが、イライラするのとは反対に、「これがブラジルの時間の流れ」と、あせらずのんびり仕事に向かっている。

楽々サンパウロ


「ピンドラーマ」が地元の日本人に浸透し、広告営業も安定してきたので、次に、サンパウロで暮らす駐在員(及びその家族)向けに、観光・医療・食・娯楽・買い物・教育・生活のインフラ等、日常生活のほぼ全てを網羅した日本語のガイドブック「楽々サンパウロ(以下楽々)」を2011 年12 月に発行した。全200 ページ超、オールカラーの大部の本ゆえ、編集に予想以上の時間がかかり発行が大分遅れてしまったが、こちらの予想を超える好評を博し、以降ほぼ隔年で新版を発行することとなった。この「楽々」があればサンパウロで初めて暮らす人も楽に新生活をスタートできるものと自負している。
この「楽々」も「ピンドラーマ」も、表紙は現地で活躍しているプロの写真家の方々に通常お願いしているが、2 回だけ「楽々」の表紙をグラフィッチアーティストの中川敦夫さんに描いていただいた。2019-2020 年版はサッシペレレや首なしラバ等、ブラジルの妖怪たちが独特のタッチで描かれ、ガイドブックとしては異例のインパクトのある表紙となった。

記憶に残る自費出版

また、散発的ではあるが、日系団体の記念誌や個人の自分史の仕事も入るようになり経営の助けとなった。中でも印象深いのが、パラグアイ在住のT・I さんが若い頃にアマゾンの鉱山で働いていた時の日記の自費出版である。現地のガリンペイロ(金鉱採掘人)たちの無法ぶりや娼婦との生々しい交渉が飾り気のない言葉で綴られ、T・I さん本人の異彩を放つ容貌と共に記憶に強く刻まれている(T・I さんはその後、大女優・木暮美千代の付き人をしていた時の回想録を書いたが、こちらも木暮美千代の素顔を伝える貴重な記録である)。

パンデミア以降


ブラジルでパンデミアが本格的に始まった2020 年3 月以降、「ピンドラーマ」の広告主の多くが打撃を受け広告の出稿量も激減し、弊社も創立以来初めてとなる厳しい時期を過ごすこととなった。この期間は「ピンドラーマ」のバックナンバーや広橋勝造氏のコロニア・アクション小説(めっぽう面白い!)のキンドル版を販売したり、note.com に記事を掲載したりと新しい試みを模索した時期であった。パンデミアがほぼ収まり、広告主が徐々に戻りつつある現在、新たな事業として今年の4月からブラジルの大手不動産会社と提携し、駐在員向けにサンパウロの賃貸アパートの仲介を始めることになった。不動産の仲介に関連して新たな展開が望め、今後が非常に楽しみである。弊社は小出版社ゆえ小回りが利くので、面白そうな企画は出版に限らずどんどんチャレンジでしていくつもりである。