執筆者:田所 清克 氏
(京都外国語大学名誉教授)

★★★この記事は執筆者、田所先生の許可を得て「伯学コラム」に転載させて頂きます。(文化交流委員会)★★★

カボクロは、インディオとヨーロッパ人の子孫であり、アマゾン地方のもっとも伝統的な民族集団の一つである。それはまたribeirinho[川縁に住む人]としても知られている。

カボクロは、今日でも見られるように、先祖から生活様式はむろん、通過儀礼(ritos de passagem),生活手段などを継承している。

しかしながら、カボクロの定義を巡っては、時代や場所によって異なるので、注意を要する。歴史史料によれば、それは17世紀末期および18世紀当初、次第に文化変容し部族に分類できないインディオを指す言葉であった。最初は密林の産物を収集する奴隷としてポルトガル人に使われた彼らであったが、後になるとイエズス会士との接触を通じて文化変容の度合いも深まっていった。そして、時の流れと共にカボクロという言葉は、インディオとポルトガル人との混血児を意味するものになった。caboclo 以外に、caboco、mameluco 、cariboca、curinocaも同義である。

普通、インディオとポルトガル人の混血児を呼称する言葉であるものの、今日では他方において、他のブラジル地域、特に経済的な危機や旱魃にうちひしがれた北東部地域から生活の糧を求めてアマゾン、わけても川縁に国内移住した人を指す言葉にもなっている。と同時にそれは、田舎者を指す言葉としても使われている。*caboclo と白人との混血児は、cariboca、ccuribovaと言われる。

 

アマゾンの風物詩 ⑩ –密林に通暁したcaboclo–(その2)

インディオ同様にカボクロはアマゾンの環境に極めて明るい。加えて、適応力も優れている。河やイガラペ(igarapé)と呼ばれる、島と島、あるいは島と陸地の間の狭い水路の有り様にも実に詳しい。のみならず、夜間、暗くてあまりよく見えないところでも易々と移動する能力を具えている。また、生活手段として森が供する産物、天然資源に対する知識はむろん、動植物相とその生態についても造詣が深い。であるから、例えば、毒蛇のいそうなところには近づかない。

雨期の洪水のあと、氾濫原のvárzeaは土地が豊かになると、彼らはそこに農産物を栽培する術を知っている。乾季と雨季で水位が違い、様相を異にするアマゾン。川縁に住み家畜を飼うカボクロは水上が上昇し始めると、水上家屋の上にマロンバ(maromba)と言われる収容する高い柵を設ける。そうした家畜はManaus やCareiroで今も50万頭ほど飼われていることのようだ。

最後の写真:ribeirinho が住む典型的な家[Web から]

アマゾンの風物詩 ⑪ –先住民インディオ–

 

アマゾンの豊さは自然だけではない。文化的にも特筆すべき多様、多彩なものを内に蔵している。先住民の大半の土地はこの地域にあり、およそ20万人が住んでいる。ブラジルにおいて206の部族によって話される180の言語が集中している地域でもある。アマゾン流域の先住民の人口は1500年にブラジルが発見された当時、500万人[内ブラジルには300万人]を数えたが、その後、特に20世紀になってから、ドラスティックに減少した。1900年の段階で民族集団は230存在していたが、1947年には143のみになった。たとえ多くの部族の生活が安定してきているとは言え、部族の消滅の危機からは免れていない。

多くのインディオはアマゾン河流域から離れたところに居住している。が、今もなおアマゾン河近くに暮らしているのはTikuma族である。彼らはペルー、コロンビアと国境を接するところに暮らす。現在のインディオの土地は「法定アマゾニア」(Amazônia Lega)のほぼ20%である。

 

アマゾンの風物詩 ⑫ –旱魃で脅かされる緑の樹海(Um mar verde ameaçado pela seca)—

 

アマゾンでは水と森林は同義のようにさえ思える。と言うのも、その、地域に降る雨のほぼ半分は森林からの蒸散作用(evapotranspiração)によって水に還元されるからである。この雨の多い気候はしかしながら、森林が野焼き(queimada)によって焼き払われたり、伐採されたりすると、たちまち異常をきたす。森林のない大気は雨の減少となる。

森林伐採の深化はエルニーニョ(El Niñó)現象と結びついて、アマゾン林の乾燥化を引き起こす要因となる。そして今夏、ヨーロッパの国々で発生しているような森林火災がこのアマゾンでも、1988年に起こったロライーマの大規模な山火事のように、起こる可能性がないではない。ロライーマの火事では、生態系への影響が甚大であつた。

Projeto Seca Florestaと呼ぶ計画の名の下に、IPAM[Instituto de Pesquisa Ambiental da Amazônia =アマゾン環境研究院]のごとき研究機関が目下、研究を進めている。

アマゾンの風物詩 ⑬ –Terra Firme林–

先にアマゾンの密林が、位置する地勢などによつて異なる特徴を有していることについて触れた。アマゾン河流域で、60~200メートルの比較的に高いところにところに位置するテーラ•フィルメ林は、河の影響を被ることなく洪水からも免れている。その点で水捌けもよい。流域全体の森林の90%を占めるこのテーラ•フィルメ林こそアマゾンの熱帯雨林といつても過言ではない。ここで見られる特徴は、他を圧倒•支配するような樹木は少なく、多岐に亘っていることだろう。木の高さは平均して40メート程度。ここにはマホガニー(magno)、シーダー(cedro)、月桂樹(louro)などの貴重などの貴重な木材も存在する。

テーラ•フィルメ林の内奥部には、地面に達する日射量次第であるが、灌木、椰子樹、ツル植物、草類も見られる。樹齢はまちまちであるが、1000年を越す木も最近発見されている。樹木の枯れ死は寿命以外に、キノコのような菌類、昆虫によるもの、それに、パンタナルでもよく見られるツル植物や” 絞め殺しの木 “と言われる類いのhemiepífitaが多数存在していることにも起因している。

しかしながら、樹木によつては枯死を免れる防御システムを具えたり、昆虫に蝕まれた幹を再生させるものもある。太陽光の届かないために樹木が育たないクラレイラ[clareira=林間の空き地]には、栗の木の一種のカスタニエイラ(castanheira)が育つたりする。

 

アマゾンの風物詩 ⑭ –OmamaとTëpërësikiの葉との間に生まれたと自ら信じるヤノマミ族(Yanomami=Ianomâmi)–

この日本でも一度は耳にされたことのある、ブラジルのインディオ部族名と言えば、ヤノマミもその一つかもしれない。私個人もヤノマミ族の生活様式、風俗、習慣などに関心があったことから、懇意にしていた元ブラジル文学翰林院の総裁Arnaldo Niskier氏の手になる児童文学Ianomâmis ; um destino trágicoを、嶋村さんと共訳している。

他方、ヤノマミ族についてある程度の知見を有していることで、テレビ東京の番組「所さんの世界びっくり村」(2015年12月26日)の監修したこともあった。そのヤノマミは、ブラジルのネグロ川とブランコ川の水源地と、ベネズエラのオリノコ川上流の界隈に居住する民族である。昔からそのアマゾン北部で、狩猟と農業で生計を立てている。

” 人間 “[seres humanos]を意味する民族名のヤノマミの現在の推定人口は2万6千人で、その内11.700人はブラジル側に住む。白人との接触は20世紀初頭になってからのことであり、その意味においても相対的に彼らの文化、慣習などは保たれている。ヤノマミ族は自らの出自が、半神のオママとTëpërësiki、つまり川底に住む怪物との混血児であると信じている。Urihiなる土地と森もオママが彼らが生きるために与えたものとみている。

ヤノマミ族の現在の居住地域はベネズエラ、ブラジル双方合わせて192.000平方キロメートルで、ブラジル側のみの96.650平方キロメートルは、この国最大のインディオ居留地である。80年代末期に、ヤノマミ族にとつて悲劇が起きた。彼らの居住地に侵入したガリンペイロ(garimpeiro=砂金採取者)によつて2000人以上が、暴力や砂金採取者がもたらした病気、アルコールなどで命を落としたのである。

ベネズエラ国境付近のHaximu村での、garimpeiros による残忍な虐殺で、16名のヤノマミ族が落命したのも記録に残るところで、よく知られた悲劇的な事件である。ガリンペイロによる狼藉ぶりは今も続き、ヤノマミ族の居留地への侵入はあとをたたない。

アマゾン風物詩 ⑮ –この地を訪ねた事由:珍しい特有の フルーツの宝庫

 cupuaçu  1

ブラジルを訪ねた折りに、必ずアマゾンに出向いていたのにはいくつか訳がある。このことについてはすでにどこかで言及しており、「屋上屋を架す」ようではあるが、改めて述べてみたい。その最大の事由は、世界最大の熱帯雨林と、これまた世界最大の流域を誇る、淡水の海とも言うべきアマゾン河を有しているからである。アマゾン河もしくはその支流を眺めながら佇んでいると、訳もなく癒される。この風物詩でも先に述べたように私は、大の魚好きである。ことにtambaqui とtucunaréには目がない。であるから、アマゾンのホテルやロッジでは朝夕問わず、そうした淡水魚を焼くか煮たものを食する。きんきんに冷えたビールあるいは白ワインがあれば、言うことなし。この時ほど至福に思えることはない。

魚同様に私は、自他共に認めるfrutívoro (フルーツの常食者)である。物によってはリオやサンパウロのホテルで食べられるが、アマゾンのフルーツは現地にかぎる。中でも好物は、cupuaçu、graviola、camu-camuである。cacauと同じ科のクプアスはアマゾン原産で、木の高さは10メートルを越えないが、栽培すると約18メートルほどにまで達するらしい。暗赤色の花が幹に咲いた後、25センチには及ばない卵形の実をつける。果肉を取り巻く褐色の柄は固く、すべすべしている。果肉は芳香のある白色をしており、酸味がある。1月から5月に結実する。

クプアスの葉のジュースは気管支炎や腎臓の治療に効能があるとのこと。その一方で、クプアスの種からは優れた油がとれ、クプアスのチョコレート(cupulate)や化粧品の原料となる。現在、クプアスの一大生産地は、A Cooperativa Agrícola Mista de Tomé-Açuで、ここはかつて日本移民がpimenta-de-reinoを栽培していたところ。

*写真は全てWebから。

アマゾンの風物詩 ⑮ –大好物のフルーツ: graviola 2

グラヴイオーラは、4~8メートルのまっすぐな幹を持つ小さい果樹で、黄みがかつた葉に特徴がある。果実の長さは、15~30センチメートル程度。その樹皮は、成熟しているにせよ、緑色をしている。樹皮全体に曲がった短い刺があるが、柔らかい。通常、実は1~4キログラムの重さがあるが、あまり重くなると落下し、実が崩れることもある。果肉は白くて甘酸っぱい。そして種子は黒色をしている。1月~3月に実を結ぶ。粘土質の土壌(solo argiloso)を好む。穿孔虫(せんこうちゆう=broca)の被害を受けやすいことで知られる。アメリカの熱帯の果樹であるにもかかわらす今日では、世界のさまざまな国で栽培されている。

アマゾンの風物詩 ⑮ –大好きなフルーツ: camu-camu—3

西アマゾン原産のカム•カム。カサリ(caçari)やカウアリ(cauari)の名でも知られている。この樹木は最長で3メートルの高さにまで達する。その茎はすべすべして枝分かれしている。河岸や湖のへりのような、水に触れているところを好む植物である。花は白色で強い香りを放つ。若木の葉は赤みがかっているが、樹齢を重ねるにつれてキラキラした緑色になる。

アセロラ(acerola)よりもビタミンCの含有量が多いことで注目されるカム•カムの実は、11月~3月にかけて結ぶ。酸味のあるその実は、成熟するにつれて暗紫色になる。果肉を包む皮は存外固いが、果肉そのものは水気が多い。「桃栗3年、柿、、、」と言われるが、カム•カムもまた、実がなるのには3年を要する。木は500から1000個もの実をつけるそうだ。実と皮はジユース、アイスクリーム、アイスキャンディー(picolé)、ゼリー、お菓子、リキュールなどに使われる。

アマゾンの風物詩 ⑯ –世界でも有数の動物相(fauna)の宝庫– 

失念していた。私がブラジルが好きなのは、特にパンタナルと同じくアマゾンに多くの動物が棲息しているからでもある。この密林の動物をみて、私は将来動物生態学者になりたいと、おぼろげながら夢を抱いた少年時代もあったほどだ。パンタナルと違ってアマゾンは大地が熱帯雨林に覆われているので、直に観ることは困難な場合が少なくない。しかしながら、ジャングルにひそむ生き物のことを想うだけで、興奮を覚えるのである。

アマゾン地方は動物相においては 、比類のない豊さを誇っている。熱帯雨林同様、魚類、鳥類、昆虫類、霊長類が、かくも多様性に満ちているのは、世界広しと言えどもアマゾンのみかもしれない。そうした動物相のなかには発見された新種のものもあり、知られていないものも多くある。アマゾンの動物相と植物相との間の相互依存は緊密なものがあり、ある種の絶滅は他の多くの種の消滅の危機を招来する。

 

アマゾンの風物詩 ⑰ –哺乳類(mamíferos)–

 

アマゾンには300種類の哺乳類がいると言われるが、うち64種はこの地方の固有種である。そうした哺乳類のなかでもっとも多岐に亘るのは、齧歯類、コウモリ、霊長類かもしれない。水のなかに棲息する哺乳類としてアマゾンでは、二種類のイルカ(golfinho)と、マナテイー(=海牛=peixe-boi)、少なくとも2種類はいると考えられるカワウソ(lontra)がいる。前にも述べたが、アマゾン熱帯雨林で生き物を目にするのは容易ではない。それはつまり、多くのそれが夜行動物であり、日中であっても人の気配があれば遠ざかるからであろう。従って、その存在を知るのは、足跡、フン、鳴き声などからだ。

ある種、例えばジャガーやマナティーのごとく、棲息環境の悪化や、不法な猟、すなわち密猟によっていくつかの哺乳類は絶滅危惧品種のリストにあがっている。これは全て人間の仕業である。

マゾンの風物詩 ⑱ –焼き畑農業(agricultura das queimadas)–

 

焼き畑はアマゾンに限らず、広く世界で行われている。私が人文地理学を学ぶきっかけになったのも、焼き畑に興味を持っていたからである。そのために、この道の専門家である民族博物館の館長もされた佐々木高明先生の著書を読んだこともあった。後に焼き畑を研究対象にすることはなかったが、ブラジルのパンタナルやアマゾンでの、焼き畑および焼き畑農業を直に観察して、改めてqueimadaに対する興味が湧いた。

ともあれ、パンタナルとアマゾンにおけるケイマーダはすざましい。学生さんとパンタナルでの巡検を終えて、マナウス行きの飛行機をカンポ•グランデの空港で待っていたことがあった。空が一面暗くなっていたので、ケイマーダのせいだろうと思っていた。飛行機は待てども待てども来ない。アナウンスで知ることになったが、案の定、ケイマーダによる延着だったのだ。

ブラジルの旅では中西部からアマゾンへ向かう飛行ルートが多かったが、セラードから熱帯雨林の上空を飛べば、あちらこちらでケイマーダによる噴煙を目にすることができた。ところで、アマゾンの焼き畑農業に触れてみよう。最初に原生林のケイマーダが行われる。切り株など焼け残るが、そこに種がまかれる。いかにも大陸的にも思える。灰は想像以上に地味なのだそうだ。ちなみに、燃え残った木の根などは、高温多湿でそのうち腐食するとのこと。

概して、1年目は陸稲、2年目に、多少肥料が施されてトウモロコシが栽培される。それから3年目になると、特にこの地方の基本的な食料となるmandioca が作られる。足掛け4年に亘るこれらの作物の栽培のあと、隣接する原始林が焼き払われ、同じような農業がおこなわれる。農業は通常、5回同じ地でなされる。地味が痩せ細ると、別の原始林を焼き払い、農地にするのである。そして、農地にしていたところは再生林となる

*写真はWeb から借用