沼田行雄(協会理事、元ベレン総領事)

 サンタレン市は、アマゾン河が支流タパジョス河と合流する、マナウスとベレンのほぼ中間地点にある人口約 33 万人、パラー州第 2 の大都市圏を形成。天然ゴム、コーヒー、胡椒生産などで数回のブームの盛衰を経験、良港に恵まれ、最近は、大豆、トウモロコシ等セラード穀倉地帯北側の積出基地としても発展している。
1661 年、タパジョス族の本拠地にイエズス会宣教師たちが創設したアマゾン地域で最も古い歴史を持つ都市の一つで、カトリックと先住民の文化的遺産を引き継ぐ、「タパジョスの真珠」とも呼ばれる美しい街である。
市街地から車で 30 分ほどタパジョス河を遡ると大きな中洲があり、青く澄んだ水に白砂の美しいビーチが広がる世界的な観光地、アルテール・ド・シャン(Alterdo Chão)がある。洒落たポウザーダや土産店が建ち並び、地元の伝統的な音楽、踊り、食べ物が楽しめる9 月のサイレ祭りの時期を中心に、国内外から多くの観光客が訪れる。この地域のアマゾン河水系では、季節により水位が5メートル近く変化し、雨季の 12 月~5月にかけて徐々に水位が上がり、4、5 月頃には白砂のビーチは完全に水没する。人々はこのゆっくりとした自然の営みに身を任せて上手に生活しており、水が引いた後に氾濫原に残った栄養分たっぷりの土壌で作物を生産し、牛や馬を放牧する。
更に少し進むと、ベルテーラの入口でもあったピンドバル・ビーチがある。ベルテーラは、先行のフォードランディアとともに、米国フォード社が作った大規模ゴム農園があったところで、戦後、両農園に対して相当数の日本人集団移住が行われた。しかし、間もなく、事業を継承したブラジル政府が農園の閉鎖、邦人の強制退去を決定したため、全ての入植者たちは国内各地への転住を余儀なくされた歴史がある。
日系社会について、集団移住は無かったが、サンパウロ、トメアスー他からの転住者も多く、製造業、商業など多方面で活躍されており、タパジョス日伯文化協会の旗の下で活動が続いている。私が表敬訪問した当時の市長が、サンタレンの魅力について、ご自身の先祖が(米国の)南北戦争後の南軍の生き残りとしてこの地に渡ったことを挙げつつ、北東伯や南伯からの再入植者、日本人、米国人など外国人移住者と先住民が互いに偏見もなく共存しており、人種の坩堝的な多様性がブラジルの中でも特に顕著な地域であると指摘されていたことが印象に残る。