執筆者:田所 清克 氏
(京都外国語大学名誉教授)

この記事は執筆者の許可を得て伯学コラムに掲載致します。(文化交流委員会)

北東部の風物詩 ① –貧困の背景を探る—

 

国内でもっとも貧しい北東部。最初に首都が設けられ、18世紀までは少なくともサトウキビ産業で殷賑をきわめたにもかかわらず、何故そうなのだろう。

その主なる原因が、農村貴族階級(aristocracia da sociedade rural)たるラテイフンデイオ地主=latifúndio)と、黒人のごとき隷農、土地なき農民、分益農、零細農民によって代表される下層底辺の人々との間の、社会的不平等にあることは火を見るより明らかである。すでに紹介したF•Juliãoの『重いくびきの下で』(Cambão)の書が、北東部における地主制(latifúndio)に対する告発の書であることからも容易に推察できる。

生殺与奪の権利を有し、時には警察権をも凌ぐ地方ボス的存在の” コロネル”(coronel 、大佐の謂い)と呼ばれた地主たちは代々、大土地所有制度(latifundiário)の下に、好き放題に社会を牛耳っていた。

北東部の貧困なり病理は、そうした社会から必然的に出来した構造的な貧困と言える。その一方で、時折襲う旱魃は、地域住民を貧困へと追いやる大きな要因となっている。

年間を通して雨が少なく、セルトンにかぎらず半砂漠化している「旱魃の五角形」(polígono da seca)と呼ばれる地が北東部のかなりの部分を占めていることも、貧困を助長している。

干天の日々を嘆き、旱魃にうちひしがれた被災者(retirante)たち。彼らは南部のリオやサンパウロにアララよろしくトラックの荷台(pau de arara)に乗って出稼ぎを強いられるのである。そして、異郷の地で古里の慈雨を願いながら望郷の念にかられる。そうした北東部人の心境を唄ったAsa Branca や、旱魃に苦しむ貧農家族を描いた、Graciliano Ramosの手になる『干からびた生活』(Vidas Secas)などの作品があるが、それらはまさしく地域がかかえる、痼疾ともいえる社会病理の最たる、つまり貧困の問題が背景にあるからなのだろう。

北東部の風土的特性 ①  –zona da mata—4

 

アマゾンのテーラ•フィルメ林で土着のカカオを見て食べたことはある。が、Jorge Amadoの作品『カカオ』(Cacau)の訳者として、作品の舞台となる南バイーア州のIlhéus を見ないわけにはいかない。

そういう思いで、ブラジル原産のそれを現地のカカオ園を訪ねたことがある。そこはまさしく作家が綴るような、黄金に色づいたカカオが幹から鈴なりになつている美しい光景で、いたく感動したものだ。

zona da mataでも南バイーア州は、カカオ栽培がなされ、その生産量は国内の実に80%強を占める。その意味で、zona da mataは、サトウキビ産業だけの景観を呈しているのではない。

周知のように、カカオはチョコレートの原料のみならず、美容や医薬品としても用いられる。そのカカオは暑熱湿潤の気候に適した果樹で、なおかつ肥沃な土壌であらねばならない。しかも、存外知られていないのは、直射日光を受けない日陰で栽培する必要があることだろう。とにかく、世話のかかる作物と言われている。

何故世話がかかるかと言うと、アマゾンの害病であるvassoura-de-bruxa(「魔法使いのホウキ」の謂い)にかかりやすいからだそうだ。従って、カカオ栽培者はそれを一番おそれている。害に遭い方策を講じなければ、風や水を介してまたたくまに感染するとのこと。感染している兆候が見られる時は、直ちに当局に伝える義務があるようだ。

北東部の風土的特性 ① –zona da mata—5

 

zona da mataの産業はサトウキビ栽培とそれを原料とする製糖とアルコール製造に象徴される。幾度となく私は、そのzona da mataおいて大規模経営で栽培される、見渡すかぎり満目の青々したcanavial (サトウキビ畑)が風で波打つ光景を目にしたものである。

がしかし、この下位地域で営まれる農業はサトウキビやカカオの栽培だけではない。ごく小規模ながら、沿岸部のところによっては、自給農業(agricultura de subsistência)的な性格で、トウモロコシ、マンデイオカ、サツマイモ、ジェリムン(jerimum)[かぼちゃ=abóboraのことを北東部ではそう呼ぶ]が栽培されている。

 

他方、漁業は多くの場合近代的な技術を駆使したものとは到底言えないが、zona da mataに面する沿岸のみならず、北東部の全域の海岸おいて重要な活動なっているのは言を待たない。であるから事実、多くの人がその漁業で生計を立てている。エビ、伊勢海老、鮪、カサゴ(garoupa)などが収穫され、その一部はブラジルの他の地域および国外に向けられる。

 

北東部の風土的特性 ① –アグレステ(agreste)–

アグレステは地図のように、zona da mataと奥地(sertão)に位置する遷移地帯である。従って、その気候はzona da mataのごとく湿潤でもなく、奥地から較べれば湿気が多い。アグレステの大部分がBorborema 台地(Planalto ou Chapada)に位置することもあって湿気があり穏やかな気候である。それ故に、人口も農業活動もBorborema 台地の高い湿気のあるところに集中している。

 

社会組織の観点からもアグレステは、zona da mataともSertãとも異なる。アグレステの農業の大部分は小土地を利用した家内農業(agricultura familiar)が中心。農民は、豆、トウモロコシ、マンデイオカといった作物を多角的栽培する一方で、フルーツ、玉ねぎ、トマト、コーヒー、綿花、サイザル麻(sisal=agave。ヒモやマットの原料となる)などを作っている。と同時に、山羊、などの小型の動物を飼っているケースが少なくない。奥地ほどではないが、酪農も営まわれている。前者は自給、後者はいわば商業農業としてであり、沿岸部のzona da mataにある大都市向けに供給される。ちなみに、綿花やサイザル麻も原料のかたちで、zona da mataの繊維工場へと出荷されるのである。

 

こうした両地域の経済的な結びつきは古く、アグレステにはいくつかの重要都市がある。バイーア州のVitória da ConquistaやFeira de Santana、アラゴーアス州のArapiraca、ペルナンブーコ州のCaruaruやCaranhuns、パライーバ州のCampina Grande などはその好例であろう。中でもCampina Grandeは典型。これらの都市が、” アグレステの都 “(capitais do Agreste)として知られていることは、

恥ずかしながら地理書を当たるまで知らなかった。

 

北東部の風土的特性 ① –奥地(sertão)– 1

 

実際にsertãoに出向いた人でなければ、この世界の自然風土はもとより、そこに生きる住民であるセルタネージヨ(sertanejo)や牧童(vaqueiro)たちの日常、経済活動、実り豊かな文化[景観]等を真に理解することは容易ではない。

幸い私は、既述のように、奥地での生活を1ヵ月あまり送ったことがあるので、おぼろげながら当地への認識がなくはない。

これまた既にcomig outしているが、この地に逗留の間に私は、当時Quixadá 市長で牧畜主のアジスさんのお嬢さんであるダヴイナと仮初の恋をし、二人で夜会(sarau)に出向いてダンスをしたり、Catullo da Paixão Cearense の「奥地の月光」(Luar do Sertão)聴いたりして、奥地を肌で感じたものである。

それかあらぬか、文学では荒涼としたカアアチンガ地帯と苛酷で容赦のない自然、不条理な搾取•収奪社会に映る赤裸々な現実(realidade nua e crua)の奥地に対して、私は言い様のない愛着を覚えるのである。

北東部の風土的特性 ① –sertão—2

 

北東部にあっていちばん広大で、沿岸部からは内奥部に位置する下位地域がsertão である。Ceará 州の海岸およびRio Grande do Norte州からBaia州南部と西部を占め、南東部のMinas Gerais州の北部および北東部の一地域もsertãoに属している。

浅い砂状の土壌以外に、小雨かつ不定期的な雨と高い温度に特徴付けられる半乾燥気候(clima semi-árido)のために、農業は不向きである。結果として、必然的に酪農を含めた牧畜が、奥地の主たる産業になっている。その一方で、生産性は低いがseridóと呼ばれる綿花の栽培も見られる。

概して、台地のふもとの湿度があるところでは、自給農業が主流を占める。牧畜の場合は、わが古里に見られるように粗放的(extensivo)である。奥地の植生に関しては、ブラジルのビオーム(bioma=生群系)の一つで、caatinga とインディオの言葉[森=ca’a、ting=白い、a=名詞の接尾辞]で呼ばれる通り、奥地の一帯が「白い森」のように見える。雨が少ないことから落葉、幹が白色化し乾燥している光景であるからだろう。

そうしたcaatinga 地帯には、サボテン科(cactáceas)の有刺植物のmandacaru やxique-xiqueなどが辺り一面に存在する。であるから、vaqueiro たる牧童などは、革製の防御服を身につけている。

貧しい北東部の中でも、旱魃が住民を苦しめてもっとも貧しいのがsertãoである。彼らはより良い生活を求めてサンパウロなどに国内移住する。が、sertanejoたちの故郷偏愛主義(bairrismo)はAsa Branca の歌詞で垣間見るように想像以上のものがある。

乾燥した大地に慈雨があり、緑に甦る草木の光景を奥地の人は夢見ながら、望郷の念にかられつつ遠きにありて故里を思っているのだ。

北東部の風物詩 ② –「旱魃の五角形」(polígono das secas)

 

私が長期滞在した、『イラセマ』の大地セアラー州。その州都フオルタレーザは沿岸部に位置しても、「旱魃の五角形」に属する。であるから、その地からフイルドワークの対象地であるQuixadá まで、そこかしこにダムばかりかアスーデ(açude)と呼ばれる大小様々な貯水ダムが存在する。水不足は深刻そのもので、その現実を身をもって私は体験もした。

北東部地域は国土[1558000平方キロ]の18,27%を占め、その内962857,3平方キロが「旱魃の五角形」に位置するから驚きである。このことからも北東部が貧困であるのは容易に理解できる。

地図のように、マラニョン州を除いて全ての州があてはまる。1909年に「旱魃対策事業連邦監察局」(Inspetoria Federal de Obras contra as Secas=InXfocs)が公に始動したが、Getúlio Vargas[1930-1945]大統領政権時代に「旱魃対策国家事業部」(Departamento Nacional de Obras contra as Secas=Dnocs)へと改称された。そして、ダムや貯水ダムが建造されることとなる。

「旱魃の五角形」地域は1951年、Dnocsと共に設定され、半乾燥のアグレステ地帯も対象に含まれるようになった。しかも、大旱魃が発生したことで南東部のMinas Gerais州まで拡大されることとなる。 ところが、こうした旱魃対策は時には活かされず、腐敗の温床になったのも事実である。Epitácio Pessoa 大統領政権時代がそうで、選挙のための地方の為政者、有力な地方ボスcoronelたる農園主、牧畜主など と政権担当者との癒着

なのが、大きなスキャンダルになっていることもあった。

北東部の風物詩 ③ –sertão を唄うPatativa do Assaré (=Gonçalves da

Silva)—

 

実に多くの作家や音楽家、芸術家たちが、自らの故里sertão を唄っている。その一人に “Patativa do Assuré “という名前の方が知られている詩人がいる。

彼の以下の詩想は、Asa Branca のそれにも通じるものがある。

Na seca inclemente do nosso Nordeste

o sol é mais quente e o céu mais azul

e o povo se achando sem pão e sem veste

viaja à procura das terras do Sul

[…]Porém, quando chove, tudo é riso e festa

O campo é a floresta prometem fartura

Escutam-se as notas agudas e graves

do canto das aves louvando a natura.

われらが北東部の無情な旱魃のなかで

太陽はますます暑く、天空はますます碧い

そして、住民は食うパンも着る服もなく

南の土地を求めて旅をする

しかし、雨が降ると、一切が歓喜とお祭りへと

原野と森は富を約束し

自然を称えながら、高い調べや低い調べの

鳥たちの唄が聞こえる。

北東部の風土的特性 ① –sertão—3

 

雨不足で干からびる太陽いっぱいの大地の灌漑農業(agricultura de irrigação)

北東部の大半を占める「旱魃の五角形」地域。であるから、年間を通じて雨がすくない。概して、降雨があるのは12月から4月にかけてで、年によっては雨がほとんどなく、翌年にまたがる時もある。

こうなると、零細農民にとっては悲劇で、耕作した作物は枯れ飼っていた家畜も死に果てる。灌漑は地方ボスの農園主や牧場主にとっても例外ではない。貧しい被災者(retirante)には他に生き延びる術はなく、約束の地を目指して南部に国内移住するしかない。かくして、pau de araraさながらのトラックによる移住が発現するのである。

それとは裏腹に、農村貴族階級たる人々は、政府による旱魃事業対策の手厚い恩恵を被るという、実に不平等な構図が両者間には過去に存在していたのも事実である。

ところで、そうした干からびた大地にも、灌漑農業が行われていることも認識すべきだろう。灌漑農業と言えば、私などはすぐさま、ポルトガル最南部のAlgarve 地方を思い出す。Alという定冠詞で始まる地方名から察せられるように、アラビアの影響が強く、今もその痕跡を留めている。農業面、ことに灌漑農業に及ぼした影響も少なくない。

ポルトガルに3ヵ月間招聘された機会に、Algarve を訪ね、灌漑農業へのアラビアの影響について考察したことがある。フィールドワークでは実際に、灌漑技術面での用水路(canais de rega)、バケツ付きの下射式水車であるノラ(nora)、ポンプのピストンさお(picota)などを実見できた。

閑話休題

驚くなかれ、そうした乾燥土壌のセルトンでも散見されるのである。北東部最大のSão Francisco川を引き込み灌漑農業として利用する計画は以前から存じているが、その進捗状況は寡聞にして知らない。が、その川に程近いところや比較的に湿潤なところでは、果樹栽培などもなされている。

将来、水路によってSão Francisco 川の水の引き込みが実現すれば、sertão も包含している「旱魃の五角形」の農業地域としての潜在能力は途轍もなく大きいものがあると考えられる。

最後に、何故に旱魃が発生するのだろう。ブラジルの地理書で調べてみると、その要因がいくつか挙げられていた。

南米西海岸ちかくの太平洋の水温が上昇する、つまり3年から7年にかけて不定期に起きるEl Niño現象によるもので、地球規模で風の循環に作用し、結果的に北東部の内陸部の雨の分布に影響を及ぼしていること、北東部の地勢、より暑い北大西洋と寒い南大西洋との間の海水温度の違いなどが指摘されている。

参考までに、旱魃の要因をしている文献は、

①Medicina, Miriam de Cássia. A Nova Visão da

Geografia. São Paulo, Editora Nova Geraldo,

2006, 344p.

②Garcia, Wanessa et ali. Geografia; Espaço e

Vivência. São Paulo, Atual Editora, 2009, 208p