執筆者:田所清克 氏
(京都外国語大学名誉教授)
2024年5月31日

★★この記事は執筆者の許可を得て、伯学コラムに転載させて頂きます。★★

 

バイーアの文化風土が生んだ珠玉の社会派詩人Castro Alvesと近代主義を代表する作家Jorge Amado –① Castro Alves, poeta social e Jorge Amado, escritor representante no modernismo que o clima cultural da Bahia produziu

 

弁護士にしてジャーナリストのクロドミール•ヴイアーナ•モオグ[Clodimir Vianna Moog]が指摘しているように※、ブラジル北東部の文学を読むと概して、少なからず社会的な階級闘争のカラーを帯びているのは否めない。

 

が、バイーアの文化圏というものは何よりもインテリの文化だと、モオグは言う。果たしてそうであろうか。Castro Alvesの詩作や、一連のAmadoの<カカオ叢書>、中でもCacau, Terra Vermelha などの作品に触れれば、それらは正しく革命的で社会闘争の思弁で貫かれており、モオグの言説に疑問を感じざるを得ない。

ともあれ、アフロ系住民の多いバイーア州の文化風土が、著名な詩人と世界的に名を馳せた文豪を生み出したことにも言及すべきだろう。

※Moog, Vianna. Bandeirantes e Pioneiros:Paralelo

entre duas culturas. São Paulo, Globo, 1956.

 

バイーアの文化風土が生んだ “社会派詩人”カストロ•アルヴエス– ②

[“Poeta social” Castro Alves que o clima cultural da Baia produziu]

 

カーニバル時にサンバ車中や観光客などに埋め尽くされたカストロ•アルヴエス広場。そこで目につくのはやはり、広場の名を冠したカストロ•アルヴエスの立身像だろう。

 

サルヴアドールを訪ね下町にあるMercado Modelo に行く時は決まって私は、その像に敬意を表すべく拝む。なぜなら、Antônio Frederico de Castro Alves は、Espumas Flutuante (うたかた), Vozes d’África (アフリカの声), Os Escravos(奴隷たち)などの詩作を通じて、奴隷の立場に与して真っ向から非人道的な奴隷制を痛烈に批判した人物だからである。従って彼は、” 奴隷詩人”としてアフロ系の人々の間では神格化されている存在になっている。

 

こうしたヒューマニティ溢れる人であるばかりか、アルヴエスの感情あふれる表現に富み、清冽に響き渡るリズムと力強いトーンで綴られた詩作品は、胸を打つものがある。時にはエロテイシズムの漂う

バイーアの文化風土が生んだ、世界文学に名を連ねる作家Jorge Amado — ①

[Jorge Amado figura na lista da literatura mundial que o clima cultural da Bahia produziu]

 

こと私のブラジルとの関係で、いささか自慢と言えなくもなく恐縮であるが、この国を代表する三人の知識人と知遇を得、と同時に、あまたの本も上梓できたことは、ブラジリアニスタとしてまこと幸運であった。

 

その一人は、文字通り高名な社会学者にして文芸評論家のAntonio Candido先生である。文学の果たす社会的役割を一貫して力説され、Literatura e Sociedade, Formação da Literatura Brasileira など、多くの著作のいずれもが注目の対象となっている。こんなに著名な方にもかかわらず、ブラジル研究に着手した頃の若造に、今はあるか知らないが、地下鉄Liberdade の前にあったOsaka Hotelで会ってくださった。そして別れ際には、外国人向けにお書きになった生原稿までお与えになった。先生のご生前までに訳出•刊行する予定であったが、残念ながら叶わなかった。

 

転じて、Arnaldo Nisquier氏は作家であり教育学者で、前ブラジル文学翰林院[Academia Brasileira de Letras]総裁のお立場にあった。パンタナルの環境破壊を警鐘した氏の児童文学をこの日本で紹介したことを契機に、最高の友人となった。であるから、私がリオを訪ねる場合は決まって、イパネマにあるお宅に出向き深交を重ねたものである。日本にも国際交流基金の招きで来られ、私が通訳を兼ねてお供して、各地を訪ねもした。

そして、もう一人の文人はJorge Amado であるが、次に回そう。

バイーアの文化風土が生んだ、世界に名を連ねた文豪: Jorge Amado

[Um grande literato: Jorge Amado tem o nome na lista da literatura mundial que o clima cultural da Bahia produziu]–③

 

私のJorge Amado との出会いは、不思議な糸で結ばれていたように思える。彼がブラジル内外で脚光を浴びていたのは存知ていた。が、作品はと言えば私の場合、Os Velhos Marinheiros[『老練なる船乗りたち』高橋都彦訳、旺文社、1978年を日本語で読んでいただけであった。しかし、運命の出会いを神様は授けてくれた気がする。

 

Amado 同様に、ノーベル文学賞にノミネートとされていたポルトガルの新写実作家にして「ポルトガル言語文化院」[Instituto de Língua e Cultura Portuguesa]の総裁をされておられたFernando Namoraさんから、彼の傑作『ある医師の生活の断片』(Retalho da Vida de Um Médico)を訳したことで、ポルトガルへ3カ月招かれた。まことに幸運としか言いようがなかった。

 

ポルトガル政府の全額給付で、マデイラ島も含めてポルトガル各地を訪ね、国土認識することができたので、願ったり叶ったりであった。リスボンに逗留中は多くの場合、大学寮に寄宿しながら、リスボン大学の文学部の授業に出たり図書館に通っていた。この時、この国の、大西洋と地中海に位置する地理と文化にも関心を抱くようになり、幾つかのmonographyを後に公することもできた。

 

前置きが長くなったが、Amado との最初の出会いは、このリスボン大学においてであった。大学の招聘で彼が「ブラジル文学の独自性」[A originalidade da literatura brasileira]なる演題の下に話され、運良く私も講演を拝聴する機会に浴した。のみならず、講演後、わずかの時間ながらも、このブラジルを代表する作家と言葉を交わすこともできた。以来、Amado作品への興味が俄然湧き、邦訳することを思い立った次第。

 

世界文学に名を連ねた、バイーアの文化風土が生んだ文豪: Jorge Amado — ④[Um grande literato que tem o nome na lista da literatura mundial que o clima cultural da Bahia produziu]

 

Jorge Amado de Fariaは1912年8月、バイーア州南部のItabuna市近郊で、カカオ園を営む父João Amado de Faria と母エウラリア•レアルとの間に生まれている。ブラジル文学の流れからみると、この国の代表的な存在の彼は、1930年代に相次いで登場した各地の風土に根差した地方主義(regionalismo)の作家の一人でもある。

 

一連の一頭地を抜く作品によってあまたの言語に訳されており、アンドレ•ジードなど幾多の批評家の目にとまり、論評の対象となってきた。Amado の作品を邦訳することを決意した私ではあったが、たちまち翻訳する作品をどれにするかでしユん巡することになった。当初はO País do Carnaval[『カーニバルの国』] という処女作に惹かれたが、結局のところ、Cacauを訳することにした。

 

これには相当の理由があった。Ilhéus のカカオ栽培地を訪ねたことがあり、幹から垂れ下がる黄金の実からなるカカオ園の美しさに圧倒された想い出があること。かてて加えて、作家の揺籃の地であったからである。この作品の叙述を通じて私は、あの原色的な熱帯の風景を今もなお、想い描いている。そして、民芸コレクションもあった、Iemanjá の祭典の場となるRio Vermelhoにある、Amado の白壁に囲まれた邸宅を訪ねたありし日のことを追憶し続けている。

※Jorge Amadoについては、あらゆるところで言及している。特に拙著『ブラジル文学事典』および『北東部の風土と文学』において、かなりの紙面を割いて論じているので、ここでは割愛した。

 

バイーア州で見逃せない観光地: Ilhéus e Porto Seguro–① [Um lugar de interesse turístico que não pode deixar de ver no estado de Baia: Ilhéus e Porto Seguro]

 

サルヴアドール以外で、バイーア州で最低訪ねて頂きたいところは、前回にも触れたIlhéusとPorto Seguro かもしれない。まずそのIlhéus であるが、カカオと直接結びついている。最初のカカオの苗が1746年、アマゾン地方から運ばれて来て、1890年以降、カカオ栽培は収益のある農産物とみなされるようになった。

 

これには、カカオ栽培にとって有利な条件、すなわち、暑熱で湿潤な気候、豊かな土壌を具えていたからである。このこともあってブラジルは、1920年代には世界の産出国のなかでは最大となり、絶頂を迎えている。

 

ちなみに、1926年だけで、イレーウス地方からニューヨークへ、47千袋以上ものカカオが輸出されたそうだ。しかしながら、1989年には、カカオの大敵であるvassoura-de-brucha病が蔓延し、ほぼ同じ時期に、アフリカとアジアの幾つかの国においてカカオ栽培が成功を収めたことから、イレーウス経済は打撃を被ることになり人口が減少するといった過去の歴史もある。

 

がしかし、イレーウスは今日、カカオ生産地として重要な経済的役割を果たし続けている。黄金期にあったこの地のカカオ園主の有り様や地方ボスとしての振る舞いなどは、Jorgeの手になる<カカオ連作>(ciclo de cacau)を通じて垣間見られる。この作家はイレーウス住民にとっては大いなる誇りになっていることも付記したい。

 

バイーア州で見逃せない観光地: Ilhéus とPorto Seguro –② [Um lugar de interesse turístico que não pode deixar de ver: Ilhéus e Porto Seguro ]

 

Buranhém川の河口の左岸に位置する、「安全な港」を意味するPorto Seguro は、「発見の海岸」と命名された地域の主要都市である。言うまでもなくここは、Pedro Álvares Cabral艦隊が接岸し、ブラジル発見を祝しながら最初のミサを行ったところである。

カブラルに同行した年代記者のCaminha は、当時のポルトガルの国王ドン•マニユエルに対して、ここから「発見の書簡」(Carta de achamento)を送っている。州都サルヴアドールから南へおよそ776キロのところにあるが、インフラも整いアクセスも良い。1999年にはユネスコの自然遺産[Patrimônio Natural da Humanidade]にも登録されている。

 

以 上