執筆者:田所 清克 氏
(京都外国語大学名誉教授)

★★この記事は執筆者の許可を得て伯学コラムに転載させて頂きました。★★

継続的にご覧くださっている方々へのお願い。

これまでブラジル北東部の家父長制社会の人種関係に関して先般、アフリカから強制離散された後ブラジルに導入された黒人奴隷の出自を中心に点描しました。そしてこれからは、アフリカ(文化)のブラジル(文化)への影響を論じることとなります。このテーマを扱ったあまたある文献のなかで、Nina Rodrigues 、Roger Bastide, Gladstone Chaves de Melo、Gilberto Freyre の著作は黙過できません。とりわけFreyre のCasa Grande $ Senzala(『大邸宅と奴隷小屋』(鈴木茂 訳、日本経済評論社、2005年)は、アフリカ奴隷の役割とブラジル文化への貢献度を高く評価している点で知られています。

従って、アフリカ黒人の社会、文化、芸術等への影響を俯瞰すべく、他の文献を含めて前揚書を目下、読み返しているところです。

ですから、今しばらくお待ち願いたく存じます!

ついでながら、学際的な立場から論じた、博覧強記とも言えるフレイレの同上の著作が、ブラジル理解の中核的なものであることを改めて痛感した次第です。と同時に、訳者の鈴木氏の力量には心底から感服しました。どちらかと言えば、晦渋な著者の文体を的確に日本語に置き換え、膨大な注記までも付されていて、そこには訳者の深い学識さえも垣間見られるからです。

訳書には二度にわたつて、拙訳『砂糖園の子』[Menino de Engenho](彩流社、2000年)も取り上げられて頂いて、まことに恐れ入りました。

アフリカの黒人奴隷のブラジルへの影響[A influência africana do escravo negro no Brasil]

ブラジル人の民族構成、心性、国民性、生活様式、宗教、音楽等の文化を理解するために–[Para compreender a composição étnica, mentalidade, caráter nacional, estilo da vida, cultura como religião, música etc.]

 

[ブラジル人の形成の中核となつた黒人]

ブラジルを訪ねると、きまってその年の年鑑(almanaque)を買って、研究の参考資料に役立てていた。皮肉なことに、大学を退いて間もなく、健康面の理由からこれまでのように訪れることはままならず、年鑑を買わなくなって久しい。

そのこともあってか、こよなく愛する私の研究対象地のブラジルの、アマゾン、パンタナル、北東部のバイーア、セルトンなどの光景がしばしば夢となって現れたりもする。

ところで、先述したGilberto Freyre の言説のごとく、多方面にわたるアフリカ黒人の与えた影響は測り知れないほどに大きい。

奴隷廃棄以後、黒人奴隷に代わる労働力をヨーロッパ系およびアジア系に頼る以前のブラジルでの人種構成と言えば、白人たるポルトガル人、インディオ、黒人および三人種間の混血児であった。

砂糖園、コーヒー園、鉱山開発などを通じて、ブラジルの文化構造の基底的な役割を果たしたポルトガル人と接触頻度の高かった黒人の、この国に及ぼした影響は想像を絶するものがある。

以下、その具体例を各分野ごとにみてみることにしたい。

先ずは、ブラジル人の民族形成への影響について言及しよう。

2022年11月11日付けのブラジルの人種構成[A composição étnica]は以下の通りである。

白人                47,7%

パルド褐色系=黒人と白人との混血 43,1%

黒人               7,6%

黄色人種             1,1%

インディオ            0,4%

上の構成比からパルド(pardo)を加えると、黒人系の人種の占める割合はきわめて高い。しかも、白人の血脈には、かなりの程度インディオや黒人の血が流れているという研究結果が公になっている。すなわち、ブラジル人には、言いえて妙であるが、植物で象徴されるウルクン[urucum=赤い実→インディオ]とジエニパポ[jenipapo=チブサの黒い実→黒人]を持ち合わせている。

してみると、ブラジルは黒人民族の色濃い国と言えなくもない。ブラジル人の民族形成に果たした黒人奴隷は、その意味で特筆大書すべきであろう。

 

アフリカの黒人奴隷のブラジルへの影響[A influência que o escravo negro africano exerceu sobre o Brasil]

[ブラジル国民の心性、国民性、思考•行動様式に与えた影響] ②-1

 

昔読んだデーヴイド•T•ハーバリーの著書『悲しき三つの人種』(David T. Haberly, Three sad races; racial identity and nacional consciousness in Brazilian literatura, Cambridge, 1983. 198p.)で著者は、Bilacのブラジル音楽についての解釈を引用している。

Bilacの解釈では、ポルトガル人は、離れた母国に 対する郷愁の情に満ちみちた歌を、インディオは白人が奪った世界を嘆き悲しむ歌を、そして鎖に繋がれてブラジルに連れて来られた黒人は、失った自由に対して涙を流すような歌を唄うようだ。

つまり、それぞれの人種が自らのおかれた悲しい、筆舌に尽くし難い境遇を、歌に託しているとのこと。

こうした言説とは裏腹に、Gilberto Freyre の説に依拠すると黒人は、肉親とは離ればなれになりながらアフリカの祖国を強制離散されたにもかかわらず、陽気で外交的(extrovertido)であったようだ。その一例として、主にインディオ出自の北東部奥地の住民の陰気で寂しげな(sorumbático)性格とは対照的であるとみている。そして、ことに黒人の多いバイーアは、彼らの存在で毎日がフェスタのような印象すら覚えると。

こうした黒人奴隷が、ブラジル人の心性、国民性、思考•行動様式に及ぼした影響は、火を見るより明らかである。

農園主の館casa grandeの家内奴隷として働いていた黒人女性も然り。次回は砂糖で種々の役割を演じた彼女たちの、ブラジル人の心性に与えた影響を中心にみてみたい。

アフリカ黒人奴隷のブラジルへの影響[A influência que o escravo negro africano exerceu sobre o Brasil]

[ブラジル国民の心性、国民性、思考•行動様式に与えた影響] ①-2

 

前回みたように、陰気で内向的な性向のインディオに較べて、黒人は陽気で楽天的であった。加えて、casa grandeで生まれた園主の子息のほとんどが、家内奴隷であった黒人女に育てられた。

つまり、乳母(ama de leite)に育てられる一方、あらゆる日常の場面において、歩き方、話し方、アフリカの原始宗教や音楽などにも手ほどきを受けたのである。ちなみに、ポルトガルの子守唄も黒人の乳母の口では歌詞が取り替えられて唄われることもあったらしい。

他方において、黒人の老婆からはアフリカの民話やお化け話を聞かされもしていた。

このことが結果として、アフリカ民族のメンタリティーや民族性の類いのものが、ひろくブラジル人の心性や国民性、思考•行動様式に深い影を落としているように考えられる。「三つ子の魂、100まで」。

アフリカの黒人奴隷のブラジルへの影響[A influência que o escravo negro exerceu sobre o Brasil]

ブラジル(人)に観る形質人類学的な視座からのアフリカの民族集団の影響—

 

肌の色が白くブロンドの髪をした多くのブラジルの白人にも、黒人との混血によってl身体にはjenipapo[黒く染まる植物の実] で表徴されるように、黒人の痕跡を留めていることを先に述べた。

ブラジルへ輸入されたその黒人の大半を占めるバントウー系の民族だけではなく、スーダン系やギニア•スーダン系もいた。しかも、そうした民族の下位集団にあってもそれぞれ特有の文化はおろか、身体的特徴に違いがみられるのである。

例えば、Nina Rodrigues によって確かめられたバイーアのフラ族(fula)は、スーダン系ではあるが” 白人種の黒人”[pretos da raça branca] と呼ばれ、赤胴色の肌で直毛に近いウェーブのかかった髪をしている。と言うのもそれは、ハム系やアラブ系の血が混じっているからである。

同じくバイーアに多く輸入されたハウサー族(hauçá)も、黒人的な特徴を濃厚に有していながらも、ハム族(hamitas)やベルベル族(berberes)との混血集団の特徴が垣間見らるのである。

マンデイング族(mandingo)にも、アラブ人とトウアレグ族(tuaregue=北アフリカ、サハラ地方のイスラム系の遊牧民)との混血をうかがわせる身体的特徴があるとのこと。

他の種族がいなかったわけではないが、リオやペルナンブーコで支配的であったアフリカ南部のバントウー系集団の中のアンゴラ族は、コンゴのそれと同じく強健にして強靭で、農作業に適していたようである。

バントウー族といっても様々のようで、種々の民族の血が融合しているらしい。中でも、ハム人とネグリーロ[アフリカの身長の低い準黒人種]との混血が。肌は概して濃褐色で、チョコレート色をしたくすんだ黄色もしくは赤味がかった明るい褐色の色合いをしている。長頭で、上顎が前に突き出しており、鼻柱が高くかつほっそりしているのが特徴のようだ。※

転じて、黄金海岸出自でバイーアにおけるスーダン文化の中核を担ったミナ族(minas=nagô)は、形質人類学上、長身なのが特徴である。

ギニア奴隷の肉体は美しく、ことに女性は家内労働に最適の存在であったとのこと。

これまでまんぜんとブラジルの黒人およびムラトを眺めてきたが、種族によってかくも身体的特徴が異なるのである。この一例をみて、ブラジルのアフロ系の人々の、アフリカの出自を探るのも興味深い。

※鈴木茂 訳『大邸宅と奴隷小屋』下、日本経済

評論社、30頁。

黒人奴隷がブラジルに与えた影響[A influência que o escravo negro exerceu sobre o Brasil]

アフリカの諸言語がブラジルのポルトガル語形成に向けて果たした役割[O papel das línguas africanas que desmpenha para a formação da língua portuguesa no Brasil]①-1

 

大学院の時代は、ブラジルのポルトガル語に多大な影響を及ぼしたアフリカの言語およびインディオのトウピ語にも関心があり、関連の文献を取り寄せては知識吸収に没頭したことがある。

留学してからも、民族言語学(Etnolinguística)的な観点からの上記の言語への関心は薄れることもなく、ブラジル文学を文芸風土学の視座から試みる主たる研究と平行するかたちで考察し続けた。そのために、「ブラジル諸問題研究」(Estudo de Problemas Brasileiros)の講座も担当されていた、『ブラジル語学』(A Língua do Brasil)の著者にして弁護士、政治家、文献学者として著名なGladstone Chaves de Melo の講義も受講した。のみならず、国立バイーアの「アジア•アフリカ研究センター」(Centro de Estudos Afro-Asiáticos)に出向き、これまたアフリカ学で名を馳せたYeda Pessoa de Castro教授から直接、ブラジルのポルトガル語へのアフリカ言語への影響について教えて頂くという恩恵にも浴した。

16世紀~19世紀の間に、およそ400万以上の奴隷[導入された数は、研究者によってかなりのばらつきがある]がアフリカからブラジルに搬入され、1823年のセンサスでは、国の人口の75%が黒人およびその混血児であったそうな。

そうした事実と合わせて、農園主の館で、園主の子弟の乳母役として、あるいは料理女として働く家内奴隷を含めて、多くの黒人が存在していたこと自体、ポルトガル語への影響は測りしれないものがあった。

Gladstone 教授は上述の書のなかで、「インディオの土語であるトウピの影響がより水平的(horizontal)であるのに対して、アフリカ言語のそれはより垂直的(vertical)である」と論述している。そうした影響の具体例を次回に一瞥しようと思う。

 

黒人奴隷がブラジルに与えた影響[A influência que o escravo negro exerceu sobre o Brasil]

黒人奴隷がブラジルにもたらし、国語化[ポルトガル語]したアフリカの諸言語①-2 As línguas africanas que os escravos negros trouxeram para o Brasil e vernaculozaram como idioma nacional [português]

 

ブラジルのポルトガル語へのアフリカの諸言語に関心をお持ちの方にまず、これに関連する主たる文献を挙げておきたい。

文字通り、そのタイトルで論じているものは、Renato Mendonça の手になる『ブラジルのポルトガル語へのアフリカの影響』(A influência africana no português do Brasil)である。それ以外に好個な文献としては、前回紹介した2つ、すなわちÁfrica no Brasil; a formação da língua portuguesa とA língua do Brasil であろう。

アフリカから強制離散された奴隷たちは、有形、無形の伝統的な物質•精神文化のほとんど多くを根絶され、その継承すらままならなかった。その意味において、支配者の言語を強要されたにもかかわらず自分たちの母なる民族語を、辛うじてコミニケーシヨンの手段として仲間同士で用いたのは特筆すべきだろう。

その彼らの使ったアフリカの出自の異なる語彙が今日、1500以上国語化(ポルトガル語)していると言われて言われている。人口比率からして黒人の数が圧倒的に多かったことを考えれば、当然といえば当然であろう。

アフリカ起源の言葉が国語化している以外に、彼らの民族語は、ポルトガル語の音韻、文章構造にまで影響を及ぼしている。Gilberto Freyre は畢生の大作Casa Grande & Senzala のなかでも、かなりの紙幅を割いて言及しており、参考になる。

さて先ずは、アフリカの語彙が国語化したもののなかで、ブラジルを訪れた人であるなら一度なりとも耳にしたであろう、頻度の高い単語を例示することにしよう。

私は四人兄弟の末っ子。これをポルトガル語ではカスーラ(caçula)と言う。語源はバントウー語族のキンブンド語。身体演技でアクロバットな格闘技とも舞踊ともみてとれるカポエイラ。その演技に欠かせないベリンバウ(berimbau)。ブラジル音楽ではお馴染みのサンバやクウイカ(cuíca=樽状の打楽器)。お尻をブンダ(bunda)と言うが、これまたアフリカ語源。スズメバチはマリンボンド(marimbondo)と称されるが、もとはキンブンド語。同じ語源の、少年を意味するモレツキ(moleque)。料理[法]や宗教用語はあまたある。

それらをジャンルごとに、比較的に使用頻度の

ものを中心に次回には列挙することにする。