高嶋尚生(協会監事)

コーヒー、サンバ、カーニバルと言った典型的なブラジルのイメージからかけ離れた小さな市が南部リオグランデ・ド・スル州(RS 州)に存在する。ノーヴァ・ペトロポリスである。州都ポルト・アレグレから北へ 90㎞(クルマで1時間 20 分)のところに位置する。セー
ハ・ガウーシャと呼ばれる南部の高原、標高 700m の町である。まず本稿に挿入した金髪の子供たちの写真をご覧いただきたいが、彼らは外国人ではなく全員ブラジル人、地元のドイツ移民の子供たちである。ブラジルへのドイツ移民は 1824 年に南部 RS 州のサン・レオポルドから始まり、本年で 200 周年を迎えるが、ノーヴァ・ペトロポリスへの移民は 1858 年から始まった。既に 170 年近くの歴史があり、現在、人口約 2 万人の 90%がドイツ移民の子孫である。今でもドイツ語を話す住人が多い。街の中心に移民村公園がある。ここで典型的なドイツ料理から当時の伝統的な木骨造りの建物までゲルマン文化について学ぶことができる。ところで、今から 30 年ほど前、この公園の奥にひっそりと相撲の土俵があった。それは、ノーヴァ・ペトロポリスに移住した 1 世の方が造ったものであった。筆者は 1990 年代のポルト・アレグレ駐在時代にその方
を訪ねたことがあったが、当時、ブラジル人も参加した相撲大会も開催しているとのことだった。こんな山の中にも日伯友好の絆があると感心した記憶がある(その後、土俵は撤去されたが、RS州の相撲選手権は現在も続いていて、昨年5月に第 61回としてポルト・アレグレ近郊のエステイオで開催されている)。

ノーヴァ・ペトロポリスはセーハ・ガウーシャの庭園とも呼ばれ、市の中心のフローレス広場では色鮮やかな季節の植物と花壇が常にその美しさを保っている。特にクリスマスのころの紫陽花は人々を魅了する。こうした自然及び移民が残した歴史・文化遺産が組み合わさって、年間を通じて様々なイベントが開催されている。「セーハ・ガーウシャの庭園の夏」、「フェスティマーリャ(二ットウェア見本市)」、「国際民俗フェスティバル」、「春祭り」、「オクトーバーフェスト(10 月のビール祭り)」、「セーハ・ガウーシャ庭園のクリスマス」などである。これから春に向かい、あっという間に夏のクリスマスという幸せな季節を迎える。

ノーヴァ・ペトロポリスも今年 4 月末からブラジル南部を襲った大洪水で大きな被害を被った。今後、復興が進みみ、一日も早く市民が笑顔で当たり前の日常生活を取り戻せるよう心よりお祈りしたい。