岸和田仁(『ブラジル特報』編集人)
ブラジル北東部で一番大きな州がバイーアである。日本全土の1.5 倍ほどの面積を有する広大な州だが、そのバイーア南部を代表する都市がイリェウス(現人口19 万)である。州都サルヴァドールから南へ約400㎞下ったところに位置しており、18 世紀末から広まったカカオ栽培地として発展したところである。
ところで、普通のブラジル人と連想ゲームの言葉遊びをしたとすると、イリェウスと聞いて彼らが連想する言葉は、何だろうか。おそらく、「カカオ」、「ガブリエラ」、「ジョルジ・アマード」、「美しい海岸線」といったところだろう。
1930 年代から50年代までブラジルにおけるモノカルチャー農業の代表コーヒーに次ぐ主要輸出産品であったのがカカオであったが、そのカカオの栽培
地にして集積地でもあり輸出港でもあったのがイリェウスだ。イリェウスで少年時代を過ごした国民作家アマードの多くの文学作品(『カカオ』1931年、『果てなき大地』1943 年、『イリェウスの聖ジョルジ』1944 年、『丁字と肉桂のガブリエラ』1958 年、『大いなる待伏せ』1984 年、等)の舞台となったのがイリェウスであった。彼の小説の多くはロングセラーになったが、国民全般に知名度があがったのは、1970 年代以降多くのアマード作品が映画化されテレビドラマ化されたためであり、『ガブリエラ』の主演女優ソニア・ブラガの好感度が高かったためでもあろう。
1980 年代後半から広がった病害によってカカオ生産は激減してしまったが、90 年代以降の産業振興策の結果、工業団地がしっかりと成長(ブラジル国産コンピューターの2 割強はイリェウスで製造)、また観光開発でリゾートホテルも多数オープンし、今や人気の観光スポットになっている。さらには、バイーア州西部で大規模栽培されている大豆の輸出でイリェウス港は変貌を遂げている。
アマード(1912-2001)が亡くなった翌年の2002年以降、彼の名前がイリェウスのあちこちに溢れている。まず、空港が「ジョルジ・アマード空港」となり、彼が少年時代をすごした邸宅は「ジョルジ・アマード文化センター」という博物館となり、彼の小説にも何回も登場した居酒屋「ヴェズヴィオ・バー」には、等身大のアマード座像(セラミック製)がベンチに置かれている。観光ビジネス振興戦略の一環なのだろうが、泉下のアマードは苦笑しているにちがいない。