会報『ブラジル特報』 2011年7月号掲載
エッセイ

                       桜井 敏浩 (徳倉建設(株)特別顧問、拓殖大学講師・協会常務理事)


 ブラジルと本格的にビジネスで関わるようになって20年が経った。ブラジルでの合弁事業—両国ナショナル・プロジェクトの一つユーカリ植林と紙パルプ製造のセニブラ社の日本側投資会社の仕事に就いたのが、忘れもしないコロル大統領弾劾手続きが始まった1992年。その成り行きに新米ブラジル・ウォッチャーとして固唾を呑んだが、ちょうどその時、合弁パートナーのリオドセ社(現VALE)と長い間懸案だったパルプ製造設備の倍増計画が実行に移された。約7億ドルもの投資が行われることになり、政治不安と月間20~30%台のハイパーインフレ下での事業遂行のための投資環境調査が急務となった。それ以前から複雑多岐にわたるインフレ調整システムで作成された財務諸表の解読に悩まされていたのだが、加えて日本側株主から見れば最悪の政治経済情勢の中での大規模投資は大きな不安が募り、担当することになったブラジル政経事情調査はそれに答える説明を求められた。「一般的な評論は要らない。要はどうなるのだ?」との質問に応じる企業調査は、文字どおり実戦対応の予測を要求される。

 幸いこの大型設備投資は、当時のブラジルでは奇跡に近い、予算内でわずかながら予定工期より早く完成したのだが、それはこのような政治経済情勢下で新規工場建設が激減し、窮地に陥った建設業者や機械メーカーが、高インフレ下にもかかわらずかなり前に出した見積もり額での受注に応じ、建設工事や機械設備製造の手が空いていたため、セニブラの工事に専念対応したという事情もあったやに聞く。結果論であるが、まさしくハイリスク・ハイリターンというのは、こういうことかと自分なりに得心したものである。しかし、ここで肝に銘じたのは、経済と政治・社会情勢は互いに影響し合っており、常に両方を見て総合的に分析しなければならないということだった。政治、経済・金融情勢分析のためには、さまざまな情報を集め資料を読み、特に現地出張の際には出来るだけ広範な人たちに会って話しを聞くことを心がける。

 しかし、それらの情報は、それぞれの立場上何らかのバイアスがかかっていることに留意しなければならないことが分かってきた。一例として、日本の金融機関などのシンクタンクでは、高額な対価を払って欧米の経済レポートを購読している。それらは現地の動きを広く網羅しているし、取り纏めた情報を英語で迅速に配信していて情報レベルも高い。調査に金を掛けることの出来ない当方はそのような資料は使えないので、もっぱら提携している商社経由の報告や現地で纏められている調査報、新聞等報道の要約などが主要情報になるが、それでもいろいろな情報源の見方と突き合わせて検証し、異なる立場の人の意見を参考にし、上記のバイアスを勘案して総合的に俯瞰することで、かなりのところまで引けを取らない、ある場合にはそれ以上の的中率で物事をみることが出来たように思う。

 いささか乱暴な決めつけかもしれないが、英語になった時には多少なりとも英米流の見方や評価が入り込んでいる可能性があるのではなかろうか。また、ブラジルのメディアの報道も、例えば大統領選挙の支持率調査などの場合、大新聞や一流週刊誌記者のインテリの見方にとらわれると、就中地方の空気は少し違うと感じることがあった。ブラジルの選挙投票者の大多数は、新聞雑誌を読まないし、世論調査に答える電話も持っていない、中所得層以下の大衆であることを考えればそれも納得がいく。長年、ブラジル・ウォッチャーとして関わってきたが、ますますブラジルの奥深さが窺い知れてきて飽きることがない。自身の進歩として、「未だブラジルのことは分かっていない」ということが判りかけてきたのではないかと思う。

正直いってブラジルが好きだが、いわゆる “ ブラ狂ち” にはなりたくない。以前さるエコノミスタから、「桜井さんはブラジルのことをよく調べているけど、ブラジルが好きだから楽観的に見ているのでしょう。もっと他地域と比べていわないと説得力が足りませんよ」といわれて愕然としたことがある。

 実際の投資判断の基となる企業調査では、「阪神に勝って欲しいというのと、阪神が勝つというのは別だ」ということを、あらためて痛感した次第である。