会報『ブラジル特報』 2011年7月号掲載

                                           中西 俊一(TOYOTA do Brasil LtdA 社長)



ブラジルトヨタの歴史は、1958年まで遡ります。当時ブラジルはクビチェック大統領が「50年を5年で」計画を実施し、リオデジャネイロからブラジリアに遷都する計画を推進していました。


 当時を振り返り豊田章一郎名誉会長は、ブラジル進出はトヨタの海外戦略の第一歩であり、いざとなったら日本のトヨタを支えてもらいたいという強い想いがあったと申しております。かくして58年に弊社は設立され、試行錯誤を繰り返した翌59年にトヨタ海外生産第1号となるランドクルーザーFJ25L(バンデランテの前身)が完成しました。62年にはサンベルナルド工場が完成し、バンデランテとして2001年まで延べ10万台を生産しました。62年の自動車総市場は19万台、2010年は350万台ですから、先代方の先見の明とチャレンジ精神には敬服しております。



1962年バンデランテ。ブラジルが独立宣言をしたイピランガの丘にて撮影



  64年にはブラジルに軍事政権が誕生し、67年には1000分の1デノミが実施されました。弊社は政治・経済の荒波を乗り越えながら、お客様のニーズにお答えできるよう、ハードトップ、ソフトトップ、ピックアップ等バンデランテの車型の充実を図るとともに、エンジンのパワーアップ等改善に取組みました。

 70年代にはオイルショックがありましたが、自動車市場は50万台から100万台まで成長をとげ、バンデランテはお客様にご好評を頂き、79年には年産4,000台にまで至りました。

 80年代はいわゆる『失われた10年』であり、経済低迷にともない自動車市場が58万台まで減少し、弊社の生産も半減。全国的にストライキが多発し社会的不安定が続きましたが、弊社はバンデランテの品質改良を続けました。

 90年に入り、コーロルプランという新工業政策が始まりました。これにより通貨変更(クルザード・ノーボ→クルゼイロ)、輸入車解禁などが発表され、弊社は92年からカローラ、ハイラックスSW4、カムリの完成車輸入を開始しました。

 93年には自動車市場が139万台に達しますが、インフレが約2,500%を記録し、1000分の1デノミが実施されました。ブラジル政府は翌年にコーロルプランに代わり、レアルプランを導入。2750分の1デノミを実施し、通貨はクルゼイロからレアルへ変更しました。

 このような激動を切り抜けながら、94年から、弊社はメルコスール協定に基づいたブラジル、アルゼンチン相互補完事業展開に着手しました。具体的には、ブラジルで生産したカローラをアルゼンチンへ輸出、アルゼンチンで生産したハイラックスをブラジルへ輸出するというものです。

 96年にブラジルにてカローラのCKD(Complete KnockDown:部品を輸送し、組立てを行う生産方式)事業を発表し、98年インダイアツーバ工場にてカローラ現地生産を開始しました。ほぼ同時期の97年にはアルゼンチンのサラテ工場が完成し、生産したハイラックスをブラジルへ輸出開始しました。これにより、弊社はメルコスール協定に沿った相互補完事業を開始しました。

 2001年になり、弊社の原点であり、お客様にご好評頂いていたバンデランテの生産を断腸の思いで中止いたしました。排気規制をなんとかクリアできないか検討・実験を重ねたのですが、残念ながら規制をクリアできず、生産終了に至りました。しかしながら、今でも様々な場所で、バンデランテがお客様のお役に立っている様子を目にいたします。お客様には大切にお乗り頂き大変感謝しております。

 07年には、ブラジルのエタノール政策に適応したカローラのFFV(Flex Fuel Vehicle:ガソリンとエタノールなど1種類以上の燃料を任意の比率で混合しても走行可能な自動車)バージョンを導入。このFFV開発は、トヨタにない新技術でしたので、日本の本社と協力して試行錯誤を繰り返した末に開発を終え、無事生産・販売することが出来ました。

 08年に弊社は50周年を迎えることが出来、お客様、デーラー、サプライヤー、従業員、関係者の皆様に大変感謝をしております。来年の後半には、弊社長年の夢であった小型車生産がソロカバ新工場にて始まります。

お客様に良品廉価の商品をお届けできるように引続きお客様の声に耳を傾けて、ブラジルの発展に貢献できるよう努力していく所存です。