会報『ブラジル特報』 2011年9月号掲載

                                名井 良三(前在ベレン総領事)



 「ここはアマゾンというが、森林がありませんね。」日本からベレンを来訪した人の言葉でした。アマゾンといえば原始林を想像してしまうのでしょう。アマゾンといっても,私がいるベレン市は人口150万人、中高層のビルもあれば、車だらけで交通渋滞も頻繁にある大都会なのです。
 ベレン市はパラー州の州都です。パラー州は日本の3倍もの大きさを有する広大な州であり,森林もあれば都会もあり,そして元気な日系社会があります。


初めてのアマゾン勤務
 昨年の日本ブラジル中央協会の『ブラジル特報』11月号の中で、大部在サンパウロ総領事は、「壮大なドラマと偉大な開拓の歴史である日本人移住」を「感動」という言葉を用いながら語っていました。同氏がサンパウロに赴任する前、東京で共に食事をとりながら懇談したことがあります。南米には詳しい同氏でしたが、ブラジル勤務は初めてで期待の中にも緊張が感じられました。初めて勤務するブラジル、それも活発に活動する大きな規模の日系社会をもつサンパウロであったからこそ、着任後の同氏の感動も大きかったものと思います。
 奇しくも、私も同氏に4ヶ月遅れてブラジルで勤務することとなりました。初めてのアマゾン地域勤務です。そこにも、「壮大なドラマと偉大な開拓の歴史」を持つ活力ある日系社会が形成されていました。

80年を超える歴史
 私が赴任したのは2009年、ちょうどアマゾン移住80周年の年でした。80周年を迎える日系社会は精力的に様々な行事を開催し、総領事館もトメアスの学校やベレンの日系病院に対する資金協力を行い、種々の行事にも参加しました。80年前のアマゾン移住を顧みながら日系社会が大きく盛り上がった年です。
 日本人のアマゾン移住は、1929年189名のトメアス到着に始まります。苦しい当初の時期を乗り越え、トメアスは世界的な胡椒の産地として発展しました。トメアスから始まったアマゾン日系社会は、今やトメアスにとどまらず、各地でその存在感を示しています。

アマゾンの日系社会
国内唯一の日系人国立大学学長はパラー州にあり

 昨年10月,私は国立アマゾン農業大学学長夫妻と共に新橋の日本ブラジル中央協会を訪れました。学長は、トメアス出身の二世、ヌマザワ・スエオ氏です。日系人としてはブラジル国内で歴代二人目、今は唯一の国立大学学長です。
 日本外務省は、昨年10月、日本をまったく見たことのないヌマザワ学長を訪日招待しました。外務省の招待は学長を対象とするものでしたが、パラー州の東京農業大学OB会の中から夫人も一緒に訪日させようとする動きが出、同会の支援により夫人の同行も可能となりました。ブラジル各地に多数が移住した東京農大出身者から成るOB会の力の強さには驚かされました。
 こうして、学長にとって生まれて初めての日本訪問、それも非日系人である夫人同行の訪問が実現したのです。学長は、「両親が生きていれば、息子が日本の外務省に招待される人物になったことをどんなに喜んだであろう」と語っていました。
 私も同じ時期に日本に戻り、いくつかの視察先に同行しました。学長は、外務省、大学、企業等を訪問し、2回の講演会も実施しました。広島、京都、小田原を視察しつつ日本についての見識を深めるにつれ、学長は日本人の血を受け継ぐ日系人としての意識を強めていきました。忘れかけていた日本語も少しずつ思い出し、滞日終盤には自分の日本語に自信を持ち始めていました。
 以前は日系社会と関係が少なかった学長ですが、訪日を契機に日系社会との関係も緊密になってきています。今や、パラー州では、ヌマザワ学長という新たな親日家が日系社会の中でも活躍するようになっています。

2010年10月 ヌマザワ国立アマゾン農業大学学長の訪日(日本ブラジル中央協会訪問)

新しい農業への挑戦  アグロフォーレストリー
 1950年代以降胡椒で栄え、70年代からは胡椒の病害に苦しんだトメアスは、今、ふたたび繁栄の道を歩み始めています。胡椒栽培というモノカルチャーを見直し、樹木や様々な作物の混栽を試み、これが成果をあげているのです。この農法がアグロフォレストリーです。深刻な森林伐採が懸念されるアマゾンの中で日系人が進める環境にも配慮した持続的農業のモデルとして評価されています。
 アグロフォレストリーの作物は日本にも進出するようになりました。トメアスのトロピカル・フルーツに注目した日本企業フルッタフルッタ社が、日系農協との契約によりアサイやクプアスという日本ではまだ聞き慣れない冷凍フルーツ・ジュースを輸入し、さらには、明治製菓がトメアス農協とともにカカオの品質向上に取り組み、トメアス・カカオ100%のチョコレートの生産を行うようになりました。本年3月から日本で新製品として発売されたのがその「アグロフォーレストリー・チョコレート」です。
http://www.meiji.co.jp/sweets/chocolate/
agroforestry/ )
 日本に少しずつトメアス産品が入ってきています。トロピカル・フルーツ・ジュースは、日本のみならず欧米にも進出しています。トメアスの未来は明るく輝いています。

何れは政界進出か 大業家ヤマダ
 「ベレンといえばヤマダですね。」この言葉は今でも頭に残っています。赴任前に訪れた日本ブラジル中央協会で、こう語ったのはアマゾン地域の事情にも詳しい鈴木勝也理事長でした。その後、私はベレンに赴任しましたが、到着した空港でまず目にするのが「ヤマダ」の名であろうとは思ってもみませんでした。チェックイン荷物のベルトコンベアに何度も「Y.YAMADA」と書かかれた宣伝用カバンが回ってくるのです。
 「ヤマダ」は、アマゾン地域では最大手のスーパーマーケット・チェーンです。パラー州では、「ヤマダ」の名を知らない者はいません。小さな農機具販売からスタートしたヤマダ・グループが成長した秘訣は、庶民に対するクレジット・カードの発行でした。庶民を重視した経営理念が基礎にあるのです。会社は、初代社長の孫フェルナンド・ヤマダ氏が采配をとっていますが、同氏は政界、経済界等多方面の人とも接触が多い有力者です。昨年の選挙においては、企業経営者でありながら上院議員候補となり、周りをあっといわせました。立候補手続き面の問題から、実際に選挙を戦うというところまではいきませんでしたが、候補者となった翌日には、州の経済諸団体が一堂に会し、同人に対する無条件支持を表明した場面のことは忘れられません。経済界有力者が集まる会場の盛り上がりは極めて大きく、同人の力を見せつけられた思いでした。同氏は何れは有力政治家として名をなすことが期待されています。単なる期待に終わることはないように思っています。
 過去、パラー州商工長官、SEbrAE(中小企業支援機構)役員等を経験し、現在は全ブラジル・スーパーマーケット協会副会長を務めています。これまで日系社会とは関係を持たなかった同氏ですが、2009年に日系商工会議所会頭を引き受けてからというもの日系社会の一員として日系社会の発展のため動くようになっています。
 フェルナンド氏の周りには若手日系企業家が集まっています。「ヤマダ」に続こうとする二、三世の若手企業家がパラー州の発展のためフェルナンド氏とともに動こうとしているのです。
 フェルナンド氏は日本語を話しません。日系商工会議所の最大の懇親行事は、毎年200名以上を集める年末親睦会です。私は、昨年の会の挨拶の中で、「私が来年の年末親睦会の時にベレンに継続勤務している場合には、ヤマダ会頭には日本語による演説をやってもらいたい」と述べました。同氏はこれを受け、日本語を勉強しようと意向を示しました。本年の年末には、きっと日本語の挨拶をやってくれるでしょう。私のベレン勤務が続いていれば。

2011年4月 三輪大使のパラー州公式訪問:日系社会との懇親会(日系婦人会会員とともに)

終わりに

 本年4月、ブラジリアの三輪大使が公式訪問のためパラー州を訪れました。三輪大使は外務省初めてのポルトガル語を専門とするブラジル大使であり、外務省きってのブラジル通でもあります。
 大使は、国立アマゾン農大の創立60周年記念式典への出席、アマゾン・アルミやニチレイという日本関係企業の視察などを行い、ベレンやトメアスの日系社会と親しく接しました。いろいろな分野で活躍する日系人の姿に接した大使の感動は大きかったものと思っています。アマゾン地域のことにも詳しい大使ですが、公式訪問を通じ一層アマゾンについての見識を深めており、アマゾンの日系社会としても、私としても、新たに心強いアマゾンの友人を得たと感じています。
 アマゾンが、そして、アマゾンの日系社会が、今後とも、多くの人々に感銘を与えるような発展を続けていくことを願う次第です。