会報『ブラジル特報』 2011年11月号掲載

                                        永田 翼(『実業のブラジル』誌 代表)



 就任して9ヶ月が過ぎたジルマ・ルセフ政権をどう評価したら良いのだろう。歴史に残る高支持率を残したルラ前大統領の後継者として、その力量を不安視する向きもあった。しかし、ジルマは9ヶ月目としてはルラを上回る高い支持率を示している。しかしその背景はルラ時代とは大きく変わってきた。

汚職大臣の更迭で基盤を強化
 ジルマが大統領になって早くも5人の大臣が更迭された。一般的にいって閣僚が汚職で失脚すれば、その内閣の政治基盤は弱体化する。ジルマのしたたかさがここで発揮されている。「汚職を許さない大統領」というクリーンイメージで国民の支持を受け、合わせて自身の政治基盤の確立を図っているからだ。
 ジルマの属する労働者党(PT)は、言葉どおり労働者のための政党で、最大のテーマは労働者の権益を求めることにある。しかし労働者だけではなく、社会革命を夢見た学生運出身者も多い。
 政権についてしまうと学生運動出身の方が実力があるらしく、幹部の多くは元学生だ。そしてルラは組合活動家からではなく、元学生のジルマを後継者にした。清濁併せのむタイプのルラの政権下で数々の汚職スキャンダルが発生した。しかしルラ自身が追及されることはなく、彼は糾弾される政界のボスを擁護することが多かった。しかしジルマは今のところ反汚職の姿勢を強く打ち出しており、腐敗したPTを飛び出し大統領選挙で健闘したマリーナ・シルバ元環境相からも評価されている。
 しかしPT政権は単独で政権を維持できるだけの議席は握っておらず、連立与党を形成している。連立を組むことは、それぞれの政党に権益を分与することだ。大臣は権益分配の中心となり、予算を握り、親族などを要職に就かせ、発注先を選定できる。そして収賄を受ける。マスコミはこうした構造での汚職を摘発する。芋づる式とはこれかと思わせるほど根深い。実は都市担当相と労相も来年早々の更迭が噂されている。ジルマ大統領はルラに押し付けられた大臣たちの汚職を利用して入れ替え、自分のチームを組む気だ。
 国民の教育水準が上がると、若者は政治の腐敗を嫌う。とくに16歳から投票権があるブラジルで若者票は数が多い。政治意識が高いとされる南部、東南部でもジルマ大統領の支持率は上昇している。意図的にクリーンなイメージを選挙対策に結び付けているとしたら、ジルマはルラに負けない政治家なのかもしれない。


金利下げを主導
 ルラ政権時代にコモディティ価格が高騰し、ブラジルはそれを満喫した。税収は増え続け、「家族手当」で代表される貧困層へのバラマキも可能となり、東北ブラジルに市場が形成された。また人口のボーナス期効果もあり、Cクラスと呼ばれる中流階級が増大した。リーマン・ショックの経済危機も中国、インドの消費に支えられ、脱出に成功した。すべてがうまく回って運の良かったルラの時代が終わり、ジルマ政権をめぐる経済環境は大きく変わろうとしている。
 まず、ブラジルの躍進の原動力となったコモディティの価格が下がり始めた。好調といわれる消費市場もローン支払い遅延が顕在化し始めた。レアル高を背景にBNDES(国立経済開発銀行)資金を利用した国際的な買収案件も、経営効果が問われ始めた。為替の先行きはわからない。だがレアル高で国際競争力を失っていた製造業は、このところのレアル安傾向で息を吹き返すことができるだろうか。経済政策を専門家にまかせ、政治的な勘で勝負したルラ前大統領と異なり、経済学を専攻したジルマ大統領には自分の考えがあるようだ。
 昨年の大統領選挙で、ジルマがした公約の一つに金利の引き下げがある。高金利はブラジル・コストの最たるものだ。ハイパーインフレ時代を経験したブラジルには、高金利に慣れ、それを受容してしまう国民がいる。金融機関も高金利を前提に経営されている。自動車や家電製品などを月賦で買っても、いくら金利を払うか消費者は知らない。大型小売店でゼロ金利10回払いを売りにしている商品の月賦は、金利を含めた価格を10分の1にしているだけだ。ところが現金払いをしても払わないで良い筈の金利を自動的に払わされる。現金払いできないほとんどの消費者は、クレジットカードや特別小切手で支払う際に無審査の借越しを利用すると、年間180%にもなる金利を金融機関に払わされる。何枚かのカードを使う人は、雪だるま式に負債を増やす。消費者は支払総額を計算することなく、毎月支払える限度まで買い物をする。受け取る給料までの支払額なら困らないからという。
 消費者が高金利を許しても、企業は事業資金を民間銀行の高利融資に頼れない。ルラ政権はインフレ以上の給与調整を行った。その調整にスライドして福利厚生費が増え、公務員の大量増員で人件費負担も膨れ上がった。既存の公共事業の歳出が減るわけでなく、ジルマ政権の政府には投資余力はない。結局、外国資金の流入がブラジルの資本不足を補うことになる。ところが世界の余剰資金を動かす投機筋は、ブラジルが高金利なので資金を持ち込む。財政担当者も高金利でないと、ブラジルに外国資金が流入しないと考えてしまう。高金利と海外の投機資金を巡るイタチごっこだ。少なくともジルマ大統領は、現在のブラジルの高金利が真っ当な一国経済の運営に望ましいとは考えていない。ジルマ大統領が中銀に圧力をかけ、8月31日に金利を0.5%引き下げさせたのはそのためだろう。2012年の早い時期に、さしものブラジル金利も再び一桁になることはまず間違いない。問題は金利引き下げで外国資金が流入し続けるかだ。

民営化はマイナスイメージ
 PT政権とカルドーゾ政権(PSDB)の最大の違いは、公営企業の民営化に対する姿勢だ。「効率的な公営企業はありえない」。これは世界の常識だ。ところがPT政権は、民営化を争点にしてカルドーゾ政権を批判して選挙で勝利した。先進国的な考え方では理解し難いが、ブラジルで生活をしていると見えることがある。植民地支配され、後進国として先進国に搾取されてきた(と思っている)大多数の国民にとって、外資は経験的に帝国主義者で自分たちを豊かにする財を盗んでいく存在だと考える。公営企業を民営化した時に国内資本が購入すれば、少なくともナショナリズム的な反発は起こらなかったかもしれない。ところが多くの場合、資金力は外国企業にあり、外資が買収した。
 消費者からすると、民営化されての変化は「すべてが有料になり、しかもどんどん値上げされる」ことだった。つまり民営化によって利益を上げるための効率化は進めても、設備やサービスへの投資は最低限しかなされない。公的事業を民営化しても、競争がなければメリットは企業だけに行くことが多い。実際には民営化の成功企業は多いが、民営化は大衆にとってはマイナスイメージなのだ。
 PTにすると、雇用は大きなテーマだ。国営企業のペトロブラスは政府の指導を常に受け入れ、雇用のための投資を増やし続けている。ペトロブラスの国産品購買で国内メーカーが息をつけた面もある。しかしこうした政治的な影響が、ペトロブラスの経営に影響し始めている。一方、民営化されたはずのヴァーレは効率経営が仇となり、PT政権の介入を嫌った結果、ジルマが大統領になってからアグネリ社長が更迭された。
 政府系企業の民営化を行わないだけでなく、PT政権下ではBNDESなどを通じた国家による企業支配が進められている。本来的には公的事業に資金を提供すべき機関が民間企業に出資するため、インフラ整備などに回す資金がなくなり、工事は遅々として進まない。ジルマ政権の目玉になる筈だった国家加速計画(PAC)について語る人は今はもういなくなってしまった。
 2014年にはサッカーワールドカップ、16年にはリオデジャネイロでのオリンピックが開催される。アテネ・オリンピック開催が現在のユーロ危機の一因だとすると、ブラジルも他人事とはいっていられない。本当に大丈夫だろうか。
 ブラジルは空港の民営化を発表した。ジルマが路線を変更したわけではない。政府では2014年までに整備できないので、外国企業にやらせるしかないというのが本音だ。開催地の変更は簡単にはできないから開催はされよう。ただし準備のほどは保証されない。FIFAの構想は絵に描いた餅になる可能性もある。それでもフィールドは整地され、サッカーの試合は間違いなくできるだろう。
 
 ジルマ政権は、ルラ政権とは違った環境での舵取りを要求されており、今後それらに即した対応を求められている。ブラジル唯一の月刊邦字経済誌である弊誌では、ブラジルの経済、産業、企業等の動きとその背景にあるものを引き続きフォローしていきたいと考えている。

邦字月刊経済誌『実業のブラジル』