会報『ブラジル特報』 2014年3月号掲載
日系企業シリーズ 第29回

       
加藤 三紀彦<ブラジル特殊陶業() 社長>



技術開発からメンテナスまで
日本特殊陶業のブラジル現地法人、ブラジル特殊陶業 (NGK DO BRASIL LTDA.) は1959年(昭和34年)に設立され、今年で55周年を迎える当社グループの中でも最も歴史のある海外法人となります。また海外工場の中で唯一、絶縁体精製から金属塑性加工、完成品組み立てまでのスパークプラグを一貫生産できる工場として技術開発や設備メンテナンスを行える体制を確立しています。
極めて現地の情報量の少なかった50年以上前に工場進出を決断し、その後も年率1,000%を越える超ハイパーインフレなど幾多の困難を乗り越え現在の姿を形作られた先人の方々の勇気とご苦労には畏敬の念を禁じ得ません。

設立後間もないフラビアーノ工場


ブラジル進出の歴史は、当時海外販路拡大を考えていた本社側に、1956年クビチェック大統領が就任し自動車国産のためのGEIA (自動車工業実行グループ)が設立され、各種優遇策が打ち出されていたブラジルから種々の合弁申し入れが持ち込まれたところから始まります。何度も調査団を派遣した結果、三菱系東山企業グループ傘下のモジ製陶(株)(Porcelanas Mogi das Cruzes S.A.)と提携してスパークプラグを生産すことで合意しました。設立当初はまさに何もない状態で、最初の年の12月に最初の2万個のプラグを組立てましたが、「日本へその報告をするための電報料がなかったことを覚えている。」と立ち上げに従事し、後に伯陶社長、本社副会長となった小林朗氏(故人)は30年史に記しています。
その後合弁先から資本を買い取り、100%子会社となるが、市場においてはスパークプラグと言えば米国の「チャンピオン」が代名詞となっており、NGKの知名度は極めて低いものでしたが、予てより念願であったGM (ジェネラルモーター)社へのOEM納入が認められ、それを皮切りにシムカ、ランブレッタ、インターナショナル、ウイリス、DKW、フォルクスワーゲンへと順次、オリジナル及び補修用プラグの納入が開始されました。
1980<spanstyle=’font-size:10.5pt;font-family:”MS Pゴシック”;mso-bidi-font-family:”Times New Roman”;mso-ansi-language:EN-US;mso-fareast-language:JA;mso-bidi-language:AR-SA’>年代にはハイパーインフレーションの時代を迎え、多くの外国企業がブラジルからの撤退を余儀なくされる中、本社においても対ブラジル投資に対しての懸念や反対の声が出ていましたが、当時の幹部は信念を持ってこの地球の反対側での奮闘ぶりに「男のロマン」を感じ、投資の継続を決めた経緯があります。
当時私は入社間もない駆け出しの経理マン。ブラジルへの設備の現物出資の処理をしながら「またブラジルですか?」と上司に言っていた記憶があります。30年近く経ってその地に赴くとも思わずに・・

現在のブラジル特殊陶業
NGK DO BRASIL) コクエーラ工場全景


多くの日系人が働く工場
現在の従業員は約1,300人。主力製品のスパークプラグをはじめ自動車用のイグニッションケーブル、独自技術を活かした住宅用小型タイルなどの生産・販売を行っています。スパークプラグはOEM、補修用ともその後も順調に拡大し、ブラジルのみならずアルゼンチン、コロンビア、エクアドルなど南米全体でのシェアを拡大し、トップブランドの地位を確立しています。
会社が位置しているモジダスクルーゼス市(通称モジ市)というのは、大都市サンパウロの東約60kmに位置する450年の歴史を持つ古い町ですが、一方で日系人が多く住む町として知られています。したがって会社にも多くの日系人(2世、3世、最近は4世も)の方が勤めており、日本人出向者と現地社員とのコミュニケーションギャップを埋めてくれています。ブラジルの寛容さと日本的な「和」の精神をうまく融合し、幾多の困難を乗り越えながら長年に亘り会社を支えてきたのは、こうした方々の力に負うところが大きいとあらためて感じています。
今後とも、ますます発展していくであろうブラジルの自動車産業、およびその周辺産業に関わる者としましては、次なる60周年、70周年、100周年に向けて一層発展できるように、微力ながら尽力していく所存です。