会報『ブラジル特報』 2014年7月号掲載

   
岸和田 仁(『ブラジル特報』編集人)


 「私はブラジルの搾取と闘った。国民の搾取と闘った。私は胸を張って闘ってきた。憎悪と侮辱と中傷に動じなかった。私は諸君に自分の生命を捧げた。今度は、私の死を捧げる。私は何も恐れない。冷静に、永遠への第一歩を踏み出し、人生に別れを告げて、歴史の中に入る。」(シッコ・アレンカール他『ブラジルの歴史』明石書店、から孫引き)という有名な遺書を書き上げたジェトゥリオ・ヴァルガス大統領(1882-1954)は、カテッチ宮(大統領府)の自室ベッドに座わり、ピストルを自らの左胸にあてて引き金を引く。
1954824日、朝<spanlang=EN-US>8時半、のことであった。
当時、翌日25日の誕生日に六歳となるアントニオ・デ・カルヴァリョ・バルボーザ少年は、サンパウロ州アヴァレ市の祖父母の家にいたが、ラジオで大統領の自殺を知った祖母は、「ドトール・ジェトゥリオが亡くなった」と叫ぶや、台所のテーブルに腰かけて泣き始めてしまった、という。このアントニオ少年が、長じて、芸名トニー・ハモスという俳優となり、この事件から60年後に映画のなかで大統領役を演じることになる。
51日メーデーに、全国の映画館で一斉封切りとなった、ジョアン・ジャルディン監督作品『ジェトゥリオ』は、良くも悪くも現代ブラジルのベースを確立したヴァルガス大統領の最後の日々、正確には<spanlang=EN-US>195485日から<spanlang=EN-US>24
日までの19日間を、ドキュメンタリー風に再現したフィクション映画である。調査・構想に<spanlang=EN-US>5
年、製作費7百万レアルを費やした監督のこだわりは、一般公開日にまで及んだ。すなわち、労働法、労働手帳、最低賃金など現在のブラジル人労働者が恒常的に世話になっている諸制度を作り上げ、ブラジル版ファシズムを模した労働組合主義を掲げたヴァルガスにとって、メーデーは特別な意味を有する日であった。だからこそ、映画公開日をこの日としたのだ。
冒頭のシーンは、85日。政敵カルロス・ラセルダ(1914-1977)が襲撃され、逃げ惑う。彼自身は、足先に被弾しただけですんだが、ボディーガード役の空軍少佐フーベンス・ヴァスが銃殺されてしまったので、政治的な大事件となっていく。この襲撃の立案・首謀者は、ヴァルガス大統領本人ないし側近だろう、という噂があっという間に広がることになる。(実際の真相は今日に至るまで不明であるが。)
その一週間後の12日。ラセルダは、自身が社主を務める「トゥリブーナ・ダ・インプレンサ」紙の社説で、ヴァルガス大統領の即時辞任を要求、過激といえる言論活動を通じて反政府・反ヴァルガス運動を展開していく。
13日。野党ばかりか軍部の中枢も大半のマスメディアも大統領辞任を主張し始め、この政治的プレッシャーがヴァルガス政権を追い詰めていく。
18日。大統領の護衛兵の一人、クリメリオ・デ・アルメイダがラセルダ襲撃容疑者として拘束され、大統領のボディーガード、グレゴリオ・フォルトゥナトから依頼を受けた、と証言したことから、ヴァルガスへの“包囲網”が一挙に強化されてしまう。
22日。空軍の中堅幹部たちが結束して、大統領辞任への最後通告を行う。
23日。陸軍、海軍、空軍の三軍トップが、大統領辞任を突きつける。
24日、朝8時半、ヴァルガス自殺。
という19日間が時系列的に映像化されているが、筆者にとって面白かったのは、ヴァルガスが息子に愚痴を語るシーンだ。
すなわち、医者となった息子ルテロが、父親の健康を診察するために大統領府にやってくる。診察が終わって、ヴァルガスが独り言のように語り始める、「息子よ、私が大統領として権力を握っていた20年間のあいだ、国益のために何かを陳情しにきたヤツは一人もいなかったな、私のところにやってきた連中は、皆、自分の私的利害関係・私欲のための陳情しかしなかった。まあ、昔から今日まで、お前の知っている通りだがね」と。
本当にヴァルガスがそう言ったのかどうか、の判断はこの映画をみたブラジル国民一人一人違うかもしれないが、筆者には、この映画はブラジルの歴史や社会を理解するための映像教材となっている。
映像がリアルなのは、監督の力と名優トニー・ハモスのおかげだろう。彼は主人公に成りきるべく、現在は博物館となっているカテッチ宮に一週間以上も泊まり込み、現場の雰囲気を体感した由だし、最後のシーンに使用したベッドも自殺に使った拳銃も、ヴァルガス本人が使っていた本物だというから、この辺のリアリズムは観客として歓迎だ。
ちなみにジルマ現大統領は、ヴァルガス主義の後継者を自任していたレオネル・ブリゾーラ(1922-2004)率いるPDT(民主労働党)に長年属しており、後になってPT(労働者党)に鞍替えした政治家である。彼女のポピュリズム的政策にヴァルガスの“影”を感じてしまうのは、筆者だけではないだろう。