会報『ブラジル特報』 2014年7月号掲載
浜口伸明(神戸大学経済経営研究所教授)
歴史的転換点となったレアル・プラン
レアル・プランが開始したのは1994年であるから(公式には暫定令MP434号が施行された7月30日をもって開始とする)、もう20年前のことになる。当時まだ子供だった今のブラジル人の学生や若手研究者と話していると、ハイパーインフレを知識としてわかっていても実体験として知らない人たちがいて、そのころすでにレアル・プランについていくつか拙い論文を書いていた自分の齢を思い知らされることになる。
正直に言うと、レアル・プランが歴史的転換点になる成功をおさめ、20年後にこうして文章を書くことになるとは、当時予想できなかった。それまで、「クルザード・プラン」、「サマー・プラン」、「ブレッセル・プラン」、「コロル・プランI・II」など、経済安定化政策が矢継ぎ早に繰り出されたがどれも効果は短命で、しかも失敗を繰り返すたびにインフレのぶり返しはどんどん激しくなっていた。このためレアル・プランも泡沫的な運命をたどるのではないかと予断を持って見ていたことは否定できない。しかし結果的に、レアル・プランはブラジルをインフレとの戦いから解放し、経済状況を劇的に改善した。
レアル・プランとともに、現在も使われている通貨単位「レアル」が導入された。レアル以前に使用されていたクルゼイロはブラジルの国旗や国歌の中の象徴である南十字星が語源であろう(Wikipediaポルトガル語版によると、この呼称を最初に提案したのは、かの文豪マシャード・デ・アシスである)。80年代後半から90年代前半にかけてインフレが激しく高進したブラジルでは、クルゼイロのマイナーな呼称変更やデノミが何度も行われた。そのたびにすべて新しい紙幣に交換するわけにもいかなかったのだろうが、たくさんのゼロが付いた古い紙幣に判を押したものが新しい単位の紙幣として流通しつづけ、いかにも「紙切れに等しい」という印象が残っている。
なぜ新しい通貨はレアル(Real)だったのか。1993年8月に、イタマル・フランコ政権はそれまで使われていた1000クルゼイロのゼロを3つ取るデノミを行い、新しい通貨をクルゼイロ・レアルと呼んだ。ちょうどその1年後にレアル・プランが開始され、クルゼイロ・レアルから忌まわしいクルゼイロを外してレアルになったのである。ところで、レアルという通貨がブラジルで使われたのはこの時初めてではない。もとはポルトガル王国で1430年から使われていた通貨であり(レアルは王を意味する)、植民地時代にブラジルでも使われ、独立後も変更されなかった。このときのレアルの複数形は現在の「レアイス」ではなく「レイス」だった。レイスもインフレの影響を受けて価値が下がり、千を意味するミル・レイス、100万を意味するコントス・デ・レイス(あるいは簡単にコントス)と変遷したが、1942年にクルゼイロが採用されるまで、「レアル」の時代があった。
レアル・プランを主導したカルドーゾ元大統領の回想録(Cardoso 2006 p.186)によると、レアルはそのような歴史的な重みを感じさせるとともに、「リアル」という意味があることから、今度こそ実質価値のある長く使われる通貨にするという意味が込められていた。まさにその思いどおり物価は安定し、ブラジル経済は息を吹き返した。
レアル・プランのしくみ
再びカルドーゾの回想録によると、彼は1993年5月に外務大臣として訪日した帰途のニューヨーク滞在中、イタマル・フランコ大統領(当時)からの電話でかなり強引に財務大臣に任命され(Cardoso 2006 pp.175-177)、E. Bacha、A.L.Resende、P. Arida、G. Franco、P. Malanなど錚々たるエコノミストを集めて、金融と財政の一体的改革案として練られた計画がレアル・プランとなった。
レアル・プランの特徴は名目為替レートをアンカー(錨)にしたことにある。ハイパーインフレ下で諸物価は為替レートと連動して変動していたので、計算上は為替レートを固定すれば物価上昇も止まるはずである。もちろん、固定した為替レートが維持可能でなければ何の意味もないので、整合的な金融政策を実施しなければならない。つまり、固定為替レートのアンカーであえて政策の裁量の自由度を無くしてしまうことによって、かえって政府・中央銀行の信認が高まるというわけだ。
レアル・プランを実施するために必要な経済環境も急ピッチで整備された。第1に、1994年の外貨準備は80年代から90年代初めの平均的水準よりも3倍以上に積みあがっており、固定レートを守ることができた。第2に、固定レート導入前に、実質価値単位(Unidade
Real de Valor: URV)という疑似貨幣単位を試運転的に施行する移行期間を設けて、混乱なく為替レート体制の変更が国民に受け入れられるようにした。第3に、固定レートを維持する抑制的金融政策と整合的に財政政策の規律を維持しなければならない。カルドーゾが大統領に就任したあと、しばらくは連邦予算の一部を各省庁に配分せず、財務省の緊急社会基金(Fundo
Social de Emergência)の集中管理下に置いた。
最終解決策とならなかったレアル・プラン
レアル・プランはブラジル国民に物価の安定をもたらした。特に貧困層にとって、物価安定が実質購買力を保全する意義は大きく、その後ブラジルで貧困削減が進む礎となった。他方、それまでインフレで利益を得ていた金融機関の中には経営破たんに追い込まれるところが出た。政府は金融システムの健全性を維持するために問題を抱えた金融機関の救済や他機関による合併、買収を進めるプログラムPROERに多額の公的資金を投入しなければならなかった。PROERは特に状況が悪かった地方の州立銀行の民営化と並行して進められ、結果的に銀行部門の集中と外資の参入をともなう近代化につながった。
しかしレアル・プランはその持続可能性に2つの主な問題があった。第1に、レアルはレアル・プラン以前と比較して約30パーセント実質増価し、ブラジル製造業の競争力低下をもたらした。中央銀行は名目為替レートを小刻みに調整したが、インフレ率はそれを上回っていたからだ。このため輸入が急速に増加し、経常収支赤字が拡大した。
第2に、金融政策の自立性が失われていたので、固定為替レートを維持できるよう外貨バランスを保証する金利水準を受け入れなければならず、高金利が常態化し、経済成長の障害になった。金利はただ高止まりになっただけでなく、国際経済の状況に反応して急激に海外に資本が流出すると、そのたびに金利がスパイク状に跳ね上がるような、外生ショックに脆弱な状況を作り出した。1997年のアジア通貨危機、98年のロシア・ルーブル危機など、新興経済国の過大評価された通貨を対象にした投機的資金の動きが激しくなると、1998年末にはブラジルも外貨繰りが厳しくなり、レアルを固定相場で買い支えることができなくなった。結局99年初めに固定為替レートを放棄して変動相場制に移行することになり、レアル・プランはその役割を終えた。
通貨レアルのその後
ブラジル政府・中央銀行は通貨レアルを変動相場制に移行するに際して、金融政策の信認を維持するために、ハイパーインフレ期に行われていたような裁量的金融政策に戻るのではなく、他のアンカーによりルール化した金融政策が必要と考えていた。この時導入されたのが、現在も続いているインフレ目標政策である。
この政策枠組みでは、政府が目標インフレ率を発表し、中央銀行がインフレ率を目標に近づけるように金融政策を実施する。金融政策の効果が出るまでタイムラグを考慮すると、実際に中央銀行が働きかけるのは市場のインフレ期待(たとえば金融機関の1年後のインフレ率の予測)である。インフレ目標政策が物価の安定に成功するために、中央銀行は経済状況を的確に診断して金融政策を決定する能力のほかに、市場に政策意図を理解させるコミュニケーション能力が要求される。中央銀行は、毎週主要な金融機関の予想を調査して報告するニュースレターFocusや、年間8回開催される金融政策決定会合(COPOM)の議事要録、および四半期ごとに刊行するインフレ・レポートなどによる情報提供を重視している。この努力により、金融機関の間のインフレ期待のばらつきが小さくなり、インフレ期待が適切に修正されるようになっている。
また、当然ながら金融政策への信認が不可欠である。制度上の中央銀行の独立性は確立していないが、1999年に施行された財政責任法の下、プライマリー財政黒字目標を達成することを政府が確約し、金融政策が財政政策に従属しないことを保証することは重要である。また、中銀は物価安定に専念すべきであり、金融政策で為替レートの水準に影響を与えようとしている印象を与えないように変動相場制を維持することも必要となる。
インフレ目標政策に転換したことによる最大のメリットは、金利を引き下げる自律性を得たことである。これにより、個人向け融資が拡大し、ルーラ政権下の大衆消費ブームと新中間層の台頭に結びついた。
しかし、国際経済環境から影響を受けやすい脆弱性は残されている。先進国の大規模な金融緩和により発生した余剰資金が金利差に引き付けられて急激に流入し、通貨の過大評価が進み、経常収支赤字の規模はレアル・プランの時以上に拡大した。
現在のジルマ・ルセフ政権下で、リーマンショックや欧州経済危機の影響を受けてレアルは不安定化している。中央銀行はインフレ期待がインフレ目標を超える状態が続くことを容認しつづけ、政府はプライマリー財政収支黒字目標を厳密な意味で達成できていない。また2013年5月に米国連邦準備制度理事会が金融量的緩和の縮小を宣言した後は資金流出がレアルの減価を引き起こしインフレを助長した。これに対して2013年8月以降、中央銀行は為替レートの安定化を目的としたドル買い介入プログラムを継続している。このようにレアル・プラン後の経済政策枠組を支える、インフレ目標、プライマリー財政黒字、自由変動為替相場の三本柱が揺らいでいるが、金融政策だけでできることは限られている。外生ショックへの防戦に追われる中央銀行は金利を低い水準に維持できず、内需主導の経済成長は鈍化した。市場は、12年間の労働者党政権下でかえって肥大化したと言われる公的部門の大胆な構造改革を行う必要があるという、メッセージを発しているようだ。
かかる経済状況は、ルセフ大統領の再選支持率の低下にも影響を与えている。次期政権は現在レアルが置かれている不安定な状況に込められた市場のメッセージを政治家や国民はどのように受け止めるのか、大統領選挙戦の論争に注目している。
◇
参考文献<spanstyle=’font-size:10.5pt;font-family:”MS Pゴシック”;mso-bidi-font-family:HiraKakuProN-W3;color:black;mso-font-kerning:0pt;mso-ansi-language:PT-BR;mso-fareast-language:JA;mso-bidi-language:AR-SA’>:Cardoso, Fernando Henrique 2006. <spanlang=EN-US style=’font-size:10.5pt;font-family:”MS Pゴシック”;mso-bidi-font-family:HiraMinProN-W3;color:black;mso-font-kerning:0pt;mso-ansi-language:EN-US;mso-fareast-language:JA;mso-bidi-language:AR-SA’>The Accidental President of Brazil: A Memoir. New York,Public Affairs
|