会報『ブラジル特報』 2005年5月号掲載 鈴木 孝憲(元ブラジル東京銀行会長、現デロイト・トウシュ・トーマツ最高顧問) |
昨年9月の小泉首相の訪伯に次いで今年(2005年)5月ブラジルのルーラ大統領の訪日が予定されており、これを機会に日伯経済関係の再緊密化を計ろうとする動きが両国で起っている。ブラジル側がルーラ大統領訪日のお土産として最も望んでいるのはブラジル産エタノールの対日輸出の実現と見られている。他にも27万人を超えているブラジルから日本への出稼ぎに対する日本側の社会保障面などの待遇の改善策、出稼ぎの人たちの子弟の教育問題等々いろいろと取り沙汰されているが ここではブラジルの歴史に残る国土改造プロジェクトへの日本の支援協力を提案したい。それは今年度からブラジル政府予算に計上され(総工費45億レアル、本年度分6.33億レアル)本格的に動き出す東北ブラジル(ノルデステ)のカアチンガと呼ばれる半乾燥地帯(セルトン・奥地とも呼ばれている)のサンフランシスコ河の水を利用した大規模灌漑プロジェクトである。東北ブラジルはブラジルの人口170百万人のうち約47百万人が住むブラジルの最も貧しい地域だが、 その中心部を占めるカアチンガは定期的に大規模なセッカ(旱魃)に見舞われ、ひどい時には飲み水すらなくなり家畜がばたばたと倒れ 人々は生き延びるために村を捨てて海岸地帯に避難する。しかし、そこでも生活手段がなくこれら避難民の半分以上はトラックを乗り継いで、南東部のリオデジャネイロやサンパウロに生活の糧を求めてやってくる。リオやサンパウロの貧民街が年々増えてきているのはこのためだ。いわばブラジル社会の貧困問題の根元の一つがここにある。ルーラ大統領自身も母親以下一家で彼が6歳の時、ペルナンブーコからトラックの長い旅をしてサンパウロにやってきた。カアチンガはセアラー、リオ・グランデ・ド・ノルテ、パライーバ、ペルナンブーコ、セルジッペ、アラゴアス、バイーア、ピアウイー(南部と東部)、ミナスジェライス(北部)の各州にまたがったブラジルの国土の10%を占める広大な地域で約20百万人が住んでいる。東北ブラジルはリオ・グランデ・ド・ノルテからバイーアにかけて海岸から200km以内は熱帯の気候で雨量も豊富、土地も肥沃でかっての森林地帯が砂糖黍畑になっている。カアチンガ(セルトン)と海岸地帯の中間にアグレステという地帯があるが、カアチンガは半乾燥地帯で雨量が極めて少なく、降雨も不規則で土地は岩石が多く、植物はカアチンガと呼ばれるサボテン類が主体だ。セアラーとリオ・グランデ・ド・ノルテでは海岸近くまで広がった広大な地域となっている。 この東北ブラジルの真中を、ミナス州北部からはじまるサンフランシスコ河が流れている。セルジッペ州とアラゴアス州の間で大西洋に至るまで全長3,160km、年間平均流水量は2,850m3/秒と豊富で、途中にこの水力を利用したパウロ・アフォンソ、シンゴー等の発電所もある。サンフランシスコ河流域の灌漑工事は1970年代から少しづつ工事が行われ、過去30年間にサンフランシスコ河流域開発公社(CODEVASF)の建設した貯水ダムは270ヶ所に達しており、23の地区で灌漑が行われている。サンフランシスコ河の中流地点に当るバイーア州のジュアゼイロとペルナンブーコ州のペトロリーナの州境地帯を中心に、80年代にはトマトのラテンアメリカ最大の生産地が出現したが、90年代に入り政府の補助金がカットされてからは、民間の手でマンゴーと葡萄を中心としたフルーツの栽培が行われはじめた。これにはブラジル勢の他イタリア、フランス、チリー、ポルトガルなどの民間も参加している。季節が逆の北半球のヨーロッパへのフルーツの輸出(特に葡萄)はここ数年急増してきている。そして、遂に良質のワインが生産されるようになった。2003年ミオーロ社のマスカットで作られた発泡白ワインは、本場のイタリアでゴールデン大賞を獲得した。ブラジル国産ワインで最高級のミオーロ・リザーブにもサンフランシスコ河流域産の葡萄が使われている。サンパウロのスーパーにも最近はワインの棚にサンフランシスコ河流域産と表示したワインが出始めている。 今回動き始めようとしているサンフランシスコ河の水路転換プロジェクトは、これまで行われてきたサンフランシスコ河流域の灌漑でなく、サンフランシスコ河が大きく右折して大西洋に流れ込む前の右折地点から北部および東部の2本の運河を作り、セアラー、パライーバ、リオグランデ・ド・ノルテ、ペルナンブーコの各州にまたがるカアチンガのど真中にサンフランシスコ河の水を流し込み、同地域に既に建設されている貯水池や川(間歇川が多い)に年中水を貯えさせることが狙いである。そこから先は、周辺の町へ既存の水路に加え建設中の水路もあるので給水が可能となる。これまで旱魃がくると 貯水池からその先の水路も各家庭で作っている貯水タンクも空になってしまうのが通常でサンフランシスコ河の水流の一部、海へ流れ込む水量の1~2.5%を使えばカアチンガの根本問題の水が解決できることになる。 ○北部運河 全長402km ○東部運河 全長220km 本プロジェクトについてはまだIBAMA(環境・再生可能天然資源院-環境省下部機構)の承認が出ていない。また、水を巡る種々の利権争いや関係する州の立場の違いなどもあり、プロジェクトの本格スタートまでかなり調整を要するものと思われる。また運河を作っただけでこのプロジェクトが完了する訳ではない。灌漑の後、土地の改良、適性作物の選定(イスラエルの専門家がオリーブの木を植えるテストをブラジル側と最近行っている)、農民の定着と営農指導など、幾つもの課題がある。なお、今回のプロジェクトには含まれていないようだが、カアチンガのピアウイー州側寄りの地域にリオのグアナバラ湾に匹敵する地下水盤があり、この水を汲み上げて利用することも技術的には可能と見られている。さらにアマゾン側のトカンチンス河の水を運河を作って引いてくるアイデアもある。 日本は既にセラード農業開発プロジェクトで灌漑や土地改良の実績がある。東北ブラジルの灌漑プロジェクトにもブラジル政府・サンフランシスコ河流域開発公社への経済協力プロジェクト、ジャイーバII灌漑プロジェクトへの協力実績もあり、今回の東北ブラジルのカアチンガの大規模灌漑プロジェクトへの日本の協力は、資金面、技術面、実績面からみて充分可能で資格がある。企業ベースではビジネスとしては灌漑設備と関連機器位であまり多くを期待出来ないかも知れないが、ブラジル側は予算も限られていることから環境案件でもあり日本から低利長期の大型ファイナンスが出せれば日本のプレゼンスも高まろう。技術面の支援もカギになる。専門家チームとJICAのシニアボランティアを多数このプロジェクトに参加させると、さらに効果は高まろう。このプロジェクトが成功すればカアチンガがブラジルの緑豊なカリフォルニアになる可能性がある。ブラジル社会の貧困問題の根本的原因解決のための日本の協力は、ブラジルの歴史に残る大きな貢献という評価を受けることは間違いなく、将来の両国経済社会関係の強力な絆となろう。是非実現の方向で日本側官民による国を挙げての検討が行われることを期待したい。 |