会報『ブラジル特報』 2005年
11月号掲載

                    大岩 玲
(日本貿易振興機構JEtrO 海外調査部中南米課)


最初の契機は石油ショック

「サンパウロの空港に降り立つと、ほのかに甘い匂いがした」。こんな言葉を、1980年代にブラジル駐在経験のある諸先輩から聞くことがある。ブラジル政府は、73年に発生した第一次石油危機に起因する原油価格高騰、当時の高い石油輸入依存率対策として、自動車燃料のガソリンからサトウキビ・エタノールへの代替を促進する『国家アルコール計画(プロアルコール)』を75年から実施していた。ポルトガル人がサトウキビの栽培を始めた16世紀前半より、ブラジルには原料となるサトウキビは豊富に存在した。さらに30年代以降の輸入代替工業化政策の中で、国家主導で工業技術を向上させていたブラジルでは、80年に100%含水エタノールで走行する自動車が開発、販売されるに至った。85年にはブラジルのエタノール生産量は順調に1,000万キロリットルに達し、国内を走行する自動車の96%がエタノールを燃料とするようになる。モータリゼーション社会サンパウロが、サトウキビの甘い香とともに記憶に残っても不思議ではない。

しかし、その後の石油価格安定、サトウキビの不作、多額の政府補助を要するプロアルコールの根拠法廃止(91年)などにより、燃料ニーズの変化に対応できなかった当時のエタノール自動車は姿を消していく。多くの場合、砂糖とエタノールが同一のUsina(プラント)で製造されていたため、国際価格が上昇した砂糖の生産に切り替えられたという背景もあった。また、気温の低い日にエンジンがかかりにくい、車内もエタノール臭がして快適さに欠けるなどの欠点があり、消費者に手放しで歓迎された製品ではなかったようだ。

「燃料選択の自由」に飛びついた消費者

1990年代初頭、自動車燃料としてのエタノールが、ブラジルで再び脚光を浴びる。ロバート・ボッシュなど進出自動車部品メーカーが、エタノールが混合されたガソリンとアルコールをどの様な比率で混合しても走行可能な自動車、『フレックス車』用のエンジン開発に着手する。当初は、各完成車メーカーは市場受容性を見極められず採用を見送っていたが、2003年3月にVWがフレックス車第1号を販売した。以降、欧米各社が同車を開発し、ブラジル自動車製造業者協会(Anfavea)によると、05年8月にはフレックス車の販売台数は国内の月間新車販売の61.7%(9万334台)を占めるに至った。同シェアは03年が3%、04年が33%で、05年は1~8月で46%に達しており(各卸売りベース)、通年でも5割を超えるとみられる。ブラジルは06年中に石油の自給国になるとされており、エタノールの国内消費増はその要因の一つといえよう。なお、Anfaveaは05年9月、同年の自動車生産見通しを234万台から245万台に引き上げた。これは前年比11%増となる数字で、実現すれば過去最高記録を更新することとなる。

現在は、VWに加えフィアット、GM、フォード、ルノー、プジョーの計6社がブラジルでフレックス車を生産、販売しており、日系企業ではトヨタとホンダが06年中に生産開始と報じられている。VWは、06年までに生産における同車のシェアを100%にするとしており、フォードは、エタノールを25%混合したブラジルの通常のカソリン(E-25)、エタノール、天然ガス、そして100%ガソリンの4種の燃料に対応可能な『Tetra-Fuel(テトラ・フューエル)』車を06年より販売する予定であるが、これは燃料事情の異なる外国への輸出用として出荷できる点が注目されている。

ブラジルならではの価格競争力

フレックス車は、見事にブラジル市場に受け入れられたといえよう。その主な要因として、①燃料コスト、②少ない車自体の価格差、③車種の増加を挙げることができる。

イラク戦争、米国のハリケーン災害などによるガソリン価格高騰により、地域差はあるもののエタノールとの差が大きくなっている。サンパウロ市内の通常のガソリンスタンドで、1リットルあたりエタノールは1.2~1.3レアル、E-25ガソリンは2.3~2.4レアルと二倍近い開きがある(05年10月3日時点、1ドル=2.23レアル)。こうした状況では、ガソリンに燃費で若干劣るものの、フレックス車を100%エタノールにして走行させる消費者も現れる。  ブラジルのエタノールは、サトウキビ栽培・精製の技術改良、安い労働コスト、広大な土地を活かしたスケール・メリットなどにより、政府による補助金なしでも十分な競争力を有している。車自体の価格差については、VWのGol.10の場合、フレックス車は2万4,415レアル、ガソリン(E-25)専用車は2万3,980レアルと価格差はわずかである(http://www.webmotors.com.br/ 05年7月)。車種についても、例えばVWは小型車からピックアップトラックまで9種類の多様なフレックス車を販売している(05年10月時点)。この他、個人向け融資の大幅な増加なども、フレックス車の好調な販売を牽引しているといえよう。

フレックス車の”完成度の高さ”も見落とすことはできない。80年代のエタノール車と異なり、フレックス車は低温下での発進時にもエンジントラブルを起こすことはない。これは、フレックス車のエンジンが18℃以下での始動用にガソリン供給スペースを備えているためだ。また、エタノールの腐食作用により車が長持ちしないと考えられがちだが、各社はこの点もクリアしている。車内がエタノール臭くないことはいうまでもない。 

温暖化対策へも効果を発揮

バイオマス燃料としてのエタノールに目をつけているのは、ブラジルだけでない。米国では、オクタン価向上剤MTBEが環境面への配慮から2004年以降使用中止になるにつれ、ガソリンへのエタノールの直接混合が進んでいる。すでに全米で使用されている自動車400万台でトウモロコシ・エタノールがガソリンに混合され使用されており、ブラジルは不足分として自国のサトウキビ・エタノールの輸出拡大を狙っている。インド、欧州でもオクタン価向上剤ETBEとしての使用や、ガソリンへの直接混合が進んでいるほか、中国でも、急激な自動車の普及にともない政府主導でガソリンへのエタノール混合が進んでいる。中国ではトウモロコシ・エタノールが主流だが、サトウキビやマンジォカのエタノールへの関心も高くなっており、ブラジルは技術指導や輸出で商機としたい考えだ。ブラジルの2004年のエタノール輸出量は前年比3.6倍増の215万キロリットルで、最大の輸出相手国はインドであった。こうした国内外の需要増に対して、サンパウロ州サトウキビ農工業連合会(UNICA)は、ブラジルのエタノール用のサトウキビ作付面積は266万ha(04年)で、『セラード』(サバンナ地帯)、転用可能な牧草地など、森林破壊に拠らない未利用の多目的可耕地が3億2,000万haあるため、今後も増産への対応は可能としている。その一方、陸送、港湾インフラの未整備、国内に300以上あるUsinaの配給能力が限界に達しつつあるといった問題も指摘されている。また、ブラジルでのフレックス車の一層の普及やレアル高の継続により、輸出よりも国内向けが重視される傾向が強まっていくとの見方もある。

各国は、石油価格の高騰、中東情勢の緊迫化などから代替燃料としてエタノールに注目しているとみられるが、地球環境への配慮という点も見落とせない。オーストラリアの民間研究機関によると、ガソリンにエタノールを10%混合することで、一酸化炭素の排出量が32%削減される。UNICAは、サトウキビは栽培中も大気中の二酸化炭素(CO2)を吸収しているので、最終的に1リットルの無水アルコール使用が、二酸化炭素2.7キロ分の削減効果になり、京都議定書発効により先進各国に課された温室効果ガス削減義務の観点からも重要としている。このほか、サトウキビの搾りかす(バガス)を用いたバイオマス発電は、クリーン開発メカニズム(CDM)の案件として有望とされている。

ブラジル政府はエタノールの対日輸出開始も熱望している。日本政府は、04年よりE-3ガソリンの流通実験を行っているほか、サトウキビ・エタノールを原料とするETBEの供給安定性、安全性などに関する実証実験に取り組んでいる。日本のエネルギー政策においても、ブラジルの重要性はますます高まっていくといえよう。


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Usina(左がエタノール工場、右が製糖工場)


(出所) 農畜産業振興機構HP(http://sugar.lin.go.jp/)
(本文中の意見、見解は、JEtrOの公式意見を示すものではない。)