会報『ブラジル特報』 2008年9月号掲載
<日本ブラジル交流年・ブラジル日本人移住100周年記念寄稿>
ワタナベ・カズオ (弁護士.元サンパウロ高等裁判所判事、元サンパウロ大学法学部博士教授)

 

日本人ブラジル移住100周年記念については、人それぞれが自分の分析と視点とでその評価を持っている。祝賀の最高潮は皇太子徳仁殿下のご臨席を仰ぎ6月に行われた式典であったが、今年2008年年間を通して100周年と日本ブラジル交流年となっているのでまだ多くの行事が予定されている。
100周年記念は、歴史的、社会的観点から、すべてのブラジル社会と連邦政府のみならず、州や市町村といったあらゆる政治レベルでの政府機関の積極的で親愛感を示す参加によって何にもまして素晴らしいものになっている、というのが私の評価である。ブラジルのマスコミは、新聞雑誌、ラジオ、テレビ等すべてのメデイアで100周年記念の広範な報道を行ってきている。一般ブラジル市民は、日系人とのつながりが何もない人でも、自分自身のイベントででもあるかのような共感を示して記念行事に参加している。
例えば、サンパウロ州の小学校では、500万人の児童に日本文化の価値を教えるように「日本万歳」というプロジェクトを企画し、まだ実行中である。皇太子徳仁殿下は、州立学校“ヒロシマ”をご訪問の際、このプロジェクトをご覧になる機会をお持ちになった。
これはもはや日本人移住50年、70年あるいは90年といった歴史の区切りで起きたような単なるブラジル日系人コミュニティの記念ではなくなっている。ブラジル社会は日本人移住100周年を、あたかもブラジルの歴史の重要な記念日であるかのように自分自身のイベントとして受け止めたのである。
このことは基本的には、日本人移住者が100年の永きにわたって自己犠牲、正直、勤勉、組織、そして広く知られた子弟の教育の重視によって、ブラジルの豊かさの建設に、物質的のみならず倫理的にも文化的にも、大きな貢献をしてきたからである。
ブラジル社会はこれらの貢献を認めて、ブラジル日系人コミュニティをブラジル社会の不可分の一体としてその中核に加えたのである。日系コロニアを、第二次大戦以前のように日本の延長とは考えず、ブラジル社会の一部分として扱っているのである。さらに、異人種間の婚姻の増加により(混血の比率は二世で6%、三世で40%、四世で60%に上昇)、ブラジルの人種構成においても日本人移住者とその子孫の参加は重要になってきている。これは、日本人移住者が100年にわたって築き上げてきた、正直で、勤勉、組織的、順法そして子弟の教育を重視する市民としてのイメージの結果であるのみならず、同時にブラジル人の家庭の中に婚姻によって「日系人」が受け入れられるようになった結果である。この重要な事実は、また、ブラジル社会の求心性という特殊な性格によるところでもある。ブラジル社会は、何か異なった、特に人種的に異なった性格を示す人々を遠ざけようとする遠心性の他の社会と異なり、すべてを受容する。
この移住者とその子孫によって築かれた素晴らしいイメージは、移住者のブラジル社会における地位の向上に役立ったばかりでなく、ブラジルにおける公私の日本企業の活動を容易にしてきた。日本人移住者やその子孫は、何の疑いもなく、ブラジル移住100年の結果として、今日ブラジルと日本との間に存在する強固なつながりの人的基盤となっている。もしこの人的繋がりが無かったらブラジル日本交流年はほとんど意味がなかったであろう。したがって、私の至らぬ評価ではあるが、優秀な日本の当局者が日本人移住についてほとんど強調することなく、記念行事に使用されるシンボル・マークから「日本人移住」の表現を除き、ただ単に「ブラジル日本交流年」と称したことは、あたかも「移住」という言葉を恥ずかしむかのように、両国の間に存在する最も重要な要素である人的繋がりを軽視した態度となっている。私の評価でさらに残念なことは、ブラジルで活動し、移住者とその子孫の汗と血、労働、犠牲によって作られた前述の良きイメージの直接的恩恵を受けている日本企業の態度である。彼らの多くは(幾社かの例外はあり、その企業名は「ブラジル日本移民百周年記念協会」http://www.centenario2008.org.br/ で簡単に判る)、日本人移住100周年記念とは何の関係もないかのような態度をとった。しかし、記念行事はまだ続いており、今年2008年の終りまでまだ多くのイベントがあるので、これらの企業の多くが態度を変えて100周年記念を支援するようになってくれるかも知れない。
皇室は、畏れ多くもその御業やお言葉を通して、この人の繋がりの高い価値を常にご認識されてこられた。2008年の4月、日本人ブラジル移住100周年記念行事の開始式典の前に、天皇皇后両陛下は群馬県の大泉町をご訪問された。同地に居住し働くブラジル人労働者とお会いして、彼らの日本経済と日本ブラジル両国関係の強化への重要な貢献を強調されたいためである。4月の祭典でのお言葉では天皇陛下はその大泉ご訪問に言及され、さらにブラジルにおける日本人移住者とその子孫に対する高い評価と共感を示され、第二次世界大戦の敗戦の後の最も困難な時期に日本国民が受けた物質的援助を深く感謝された。加えて6月の記念行事に皇太子殿下がブラジルをご訪問された際には、ブラジル日本文化福祉協会がすべての日本人移住者の犠牲や献身、勤労の記憶を留めることの重要性を認めて建設し運営するブラジル日本移民史料館へ象徴的なご下賜品を届けるよう皇太子殿下に託された。
日本人ブラジル移住100周年記念についてのこの短い報告を終わるにあたり、深い尊敬と感謝の念をもって、私をはじめすべての日系ブラジル社会を感動させた日本ブラジル中央協会常務理事・事務局長故永田建太郎氏のご家族の行為を書きとどめたいとおもう。永田氏はここブラジルで日本人移住100周年の記念行事に参加したいとの希望を表明されていたが、同氏を襲った病との闘いに打ち勝つことができなかった。未亡人はブラジル日本移民百周年記念協会に永田氏がブラジルへの旅行のために蓄えていた金子を寄付されたが、これはお祝いのなかでももっとも輝かしいものであった。未亡人は野口敬子日本ブラジル中央協会員にその寄付金と永田氏が100周年記念行事に遺影で参加できるようにと写真を託され、野口氏はこれまた尊敬に値する態度で、ただ独りで100周年行事に参加して未亡人の願いを果たした。
この態度は、個別のものではあるが、日本社会にも、ブラジルの日系コミュニティおよび31万人以上を擁する在日ブラジル人コミュニティとともに、重要な人的繋がりを構成する人々がいることを示している。そのような人の繋がりこそブラジルと日本の両友好国の関係に政治経済だけではなく、社会的、文化的かつ歴史的支えと内容を与えているのである。

(原文はポルトガル語。翻訳文責:当協会常務理事 小林利郎)