会報『ブラジル特報』 2008年3月号掲載
<日伯交流年・日本人ブラジル移住100周年記念寄稿>
鈴木 勝也(日伯交流年実行委員会副委員長、当協会理事長)

1.日伯交流年の決定
2008年を日伯交流年として両国で大々的に祝うということは、2004年9月にブラジルを公式訪問した小泉首相とブラジルのルーラ大統領との間で合意されたものである。この時、日伯関係の将来につき大所高所から提言するための「日伯21世紀協議会」を設立することも合意された。翌2005年5月にルーラ大統領が我が国を公式訪問し、この協議会の発足と両国メンバーの発表が行われた。因みに、2008年というのは、我が国からの第一回ブラジル移民781人を乗せた笠戸丸が神戸港からサンパウロの海の玄関ともいうべきサントス港に渡った1908年から百年目という記念すべき年である。

2.日伯21世紀協議会の活動と提言
この協議会は、日伯関係の将来を盛り上げて行くための様々な施策につき両国官民のいわゆる「賢人」が自由な立場から大所高所の提言をまとめ、両国の首脳にこれを提出するというものであり、2005年11月のリオデジャネイロ会合と2006年7月の東京会合を経て提言を取り纏め、同月末、小泉首相にこれを手交するとともにやや遅れてルーラ大統領にもこれを手交した。因みに、この協議会の日本側座長は河村建夫元文部科学大臣で、ブラジル側座長はエリゼル・バチスタ氏(リオ・ドセ社特別顧問)であった。筆者は日本側委員の一人としてこれに参加した。「新たな日伯関係をめざして」と題する提言は、政治、経済、文化、社会の各般にわたるものであった。

3.日伯交流年実行委員会の設立
日伯交流年の実施のための実行委員会は、我が国では、槍田松瑩経団連ブラジル経済委員長(三井物産社長)が委員長、麻生太郎元外相が名誉会長、皇太子殿下が名誉総裁という体制で組織され、ブラジル側では、アレンカール副大統領を頂点とする同様の組織が設立された。日本側実行委員会の下では、本年1月の総会の時点で既に幹事55、委員178、事業数174という数字が発表されており、その後もこれらの数字は順調に伸びている。なお、筆者は西松
遥日本航空社長とともに実行委の副委員長を務めている。

4.交流年事業 交流年事業は、本年1月から年末までの期間に両国で行われるので、既に済んだものもあるが、日本側では4月24日に東京で政府主催の式典が、また、ブラジル側では6月18日にブラジリアで伯政府主催の式典が予定されており、これには皇太子殿下の訪伯ご出席が検討されている。この他にも、音楽会、展覧会、スポーツ・イベント等様々なプロジェクトが計画されている。大まかにいうと、日本側が主催するものは将来に向けて交流を盛り上げることを狙いとするものが多いのに対し、ブラジル側、特に在伯日系人が主催するものは移民100周年を祝うことを狙いとするものが多いとの印象である。この微妙な差異は、当初から存在したものであり、日本側は、対伯移民の流れが途絶えて久しくなる今日、やはり未来志向でないと国民の支持を得られないし、移民に過度に焦点を当てると、多数の国からの移民で成り立っているブラジルの政府は何故日本からの移民だけを特別扱いするのかとの批判を恐れて動き難くなるのではないかと考えたわけである。また、在伯日系人の間には、当初、今まで同様、移民の歴史の節目にはいわゆる「ハコモノ」を日本側から呉れる筈だとの期待感が強かったが、今日の日本では「ハコモノ」は悪い行政の代名詞であり、相手の如何を問わず、前向きな対応は期待すべくもなかった。

5.若干の感想

  1.  筆者は、在ブラジル大使として在勤していた頃から、わが任国であるブラジルに対する我が国各界の関心の低さを痛感していた。勿論、自分が主要国駐在の大使でないことは十分自覚していたが、世界最大の海外日系人社会を持ち、フルセットの産業を持ち、資源大国であり、しかもASEAN10ヶ国の合計を凌ぐGDPを誇る南米一の経済大国ブラジルにしては、余りに冷遇されていると感じた。筆者は、その原因をいろいろ調べてみたが、その原因のひとつはブラジルという国が、良くも悪しくも大国で、自分を売り込む習慣の極めて乏しい国だということにあることに思い当たった。しかし、より大きい原因は日本のマスコミのブラジル報道の極端な少なさであると確信するに至った。
  2.  そこで少し調べてみると、我が国のマスコミの海外特派員の地域別配置状況が、中南米では著しく手薄なことが分かった。あの広大な中南米をカバーしているのは、僅か8名の特派員で、ブラジルに6名とメキシコに2名となっている。年配のブラジル通に聞くと、昔からそんなものだったというから、別に近年減らしたということではないらしい。しかし、他の地域はどうなのだろう。北米は244名、アジア大洋州は224名、欧州は154名、中東は39名、アフリカは5名だそうである。これらの地域への特派員の数は、アフリカは別として、近年大幅に増えているから、中南米やブラジルは、こうした増勢に取り残され、相対的にも一層手薄になっているのである。マスコミが「公器」というのであれば、世界のニュースをバランスよく読者・視聴者に提供する責務がある筈である。マスコミ側はニーズがないといわれるかもしれないが、読者・視聴者はこのように不均衡な特派員の地域別配置状況については知りようがないのだから、ニュースが少ないことにも気付かず、文句のいいようがないというのが真相だと思う。
  3.  日伯関係に限らず、今日のマスコミ主導の社会では報道されないものは存在しないに等しい。マスコミが取り上げないものに対しては政治家は動かず、政治家が動かないものに対しては官僚も動かないし、経済界も骨を拾って貰えないとして慎重になる。新聞やテレビに出ることは、昔とは比較にならないほど重要になっているのである。にもかかわらず日伯関係は文字どおり「メディア・ブラックアウト」の只中にある。昨今の資源ブームやエタノール・ブームのなかで我が国の企業もブラジルを見直しているものが少なくないし、それなりに利益を上げているものもある。しかし、商売人は昔から得した時は静かにしているのが相場だから、余り期待できない。
  4.  筆者は、このような問題意識に立って、日伯21世紀協議会ではマスコミの重要性を強調し、提言にも「2008年に日伯ジャーナリスト会議を開催する」との一文を入れて貰った。是非こうした会議が開催されることを期待しているし、これを契機として両国関係に関する報道が量質両面で格段に強化されるようになればと願っている。くどいようであるが、大衆民主主義の時代には、大衆の理解と支持を得られなければ、時の権力者といえども、成しうることは自ずと限られる。大衆の理解と支持は、すなわち「世論」であり、「世論」は、善悪は別として、マスコミが創り出すものなのである。
  5.  大衆の理解と支持という点では観光も重要であり、前記の提言には「両国旅行代理店同士による日伯合同勉強会が開催されるべきである。」との一文を入れて貰った。従来の日本人のブラジル観光は、旅行代理店のお仕着せのツアーが多く、行き先もサンパウロ、リオデジャネイロ、アマゾン、イグアスがほとんどであった。しかし、日本の23倍という広大なブラジルには他にも沢山の観光資源があり、欧米人は沢山来ている。是非このような合同勉強会を通じて選択肢を増やして貰いたい。日本人が沢山ブラジル旅行に行くようになれば、距離は変わらなくても、旅費は下がる筈である。
    (6) 日本からのブラジル移民の時代は過去となった。代わって、日系ブラジル人の我が国へのいわゆる「出稼ぎ」は、今や30万人といわれる規模に達している。時代は変わっても、人と人との絆で結ばれた両国の関係は、我が国の対外関係の中で極めてユニークなものであり、特に140万人という日系ブラジル人の存在は、資源小国たる我が国が持つ数少ない貴重な資源であり遺産であって、新規の移民が居なくなったからとてこれを忘れ去り、風化させてよい筈がない。