city_2015_07_pペトロリーナに初めて降り立った時、西部劇の舞台に来たような気分になった。
カラカラに乾いた大地にサボテンが疎らに生えており、埃が多く日差しは強烈だった。
ペトロリーナは半乾燥地帯に属しており、年間降雨量は400mm 程度しかない。しばしば発
生する旱魃は、降雨量の少ないこの地の農家を幾度となく苦しめてきた。自然環境が非常に厳しく、1840 年頃には住む人もいなかったペトロリーナではあるが、政府主導による灌漑事業により現在ではブラジルから輸出されるマンゴー、ブドウの9 割を生産する一大農業フロンティアへと「奇跡的」な変貌を遂げた。
ペトロリーナとジュアゼイロの間を流れるサンフランシスコ河は、ミナスジェライスを水源とするブラジルの重要な大河の一つである。このサンフランシスコ河中流域は、1950 年頃から米国をモデルとして灌漑農業の開発計画が進められてきた。1978年にソブラジーニョ人造湖(ダム)が竣工してからは、開発が本格化した。市街から40km ほど西にあるこのダムは総面積4,214km³、最大341 億m³ の貯水量を有する巨大人造湖であり、灌漑用水を供給する重要な役割を担っている。新しく拓かれた耕地は地元住民へ分譲された他、南伯からの移住者等にも分譲された。中でも、コチア組合等を通して移住してきた日系人の果たした功績は絶大である。(土壌塩性化の予防策、ぶどうの強制剪定による収穫時期の調整と生産性の向上など。)農業開発をベースに発展してきたペトロリーナであるが、2002 年には総合大学(連邦大学)が設置されるなど総合的社会開発も進められており、域外から多くの人を集めている。ペトロリーナとジュアゼイロを合わせた人口は、1980 年に20 万人であったのが現在は51 万人まで成長している。30年前には信号機すらなかったというが、今では渋滞も発生するようになった。最近では、市内に洒落た喫茶店や大型の本屋がオープンし始め、ペトロリーナ市民も都会らしい生活を楽しむ時代になってきている。

唐木真吾(ペトロリーナ在住3年)