会報『ブラジル特報』 2008年7月号掲載

                                岸和田 仁(在サンパウロ)


 

 マイテ・プロエンサ。1958年生まれの、この知性と美貌を兼ね備えた女優がブラジル全国に知られるようになったのは、1986年、今はなきマンシェッチTVのノヴェーラ「ドナ・ベイジャ」で主演してからだろう。ミナス・ジェライス州アラシャで18世紀に実在した、地元政治を動かすほどの勢力を有した高級花魁の話を連続テレビ小説化したもので、当然ながらハダカシーンも続出し、大いに話題となったものだ。放映終了直後に「プレイボーイ」誌で裸身を惜しげもなく晒したことから、当時の男性諸氏は生唾をたくさん飲み込んだのであった。(告白すれば筆者もその一人であったが、当時ブラジルに駐在していた読者なら思い当たることが多いはずだ。)

 80年代後半セックスシンボルであった彼女は、90年代以降は映画、テレビばかりでなく演劇でも活躍していくが、最近はその知性をフル回転しつつテレビの司会から劇の脚本家まで活動分野を広げてきている。2005年には最初の本(小話集)を上梓、これは週刊誌エポカに連載していたエッセイを一冊にまとめたものであったが、これで文筆家としての評価が確立したといえる。「書く」という「孤独な作業」に自分の有りかたを重ねたマイテは、今年3月に入って初めての小説(タイトルは「ある創られた人生」)を出版、これが大いに評判となっている。4月に入ってベストセラー入りしているが、5月第一週にはフィクション部門で一位となり、6月第二週でも4位か5位をキープしている。筆者もあわてて購入し、読み始めたがその文学的レベルに驚嘆しながら、一気に読み進んだ次第だ。

極東の某国であれば、女優の「衝撃の告白」本なぞはまずゴーストライターが書いたもので、一過性の芸能雑誌的話題を提供するだけの内容しかないものばかりだが、このマイテ小説は彼女の精神的煩悶をフィクションの文体で綴ったもので、そのスケールの大きさとナイーブな知性のカクテルは読者に適度どころから過度な酔いをもたらす、といってよい。

 彼女は、父親はサンパウロ州検事、母親は大学の哲学教師(カンピナス市文化局長も経験)というサンパウロの伝統的なインテリ上流階級に生まれ、小さい時からバイオリン、ダンス、ピアノなどを習い、アメリカンスクールに通学していたこともあって英語やフランス語は堪能。カトリック大学に入学したものの、アントゥネス・フィリョ率いるマクナイーマ劇団に入って演劇の道を歩み始めたため、大学は中退したが、パリを中心にヨーロッパに2年間留学している。

 彼女が12歳の時、フランス人と“密通”した母親を父親が殺す事件が起き、ここから彼女の人生が激変していくのだが、少女の目でみた父親といった回想的な部分と大人になってからの成熟した視点を語っている部分とが、オムニバス的に交互に配置された小説は、著者の演劇や映画への造詣の深さから練られた構成となっている。16歳の処女喪失からパリ遊学、欧州(北欧から南欧、東欧まで)からアジア(トルコ、イラン、パキスタン、インド、タイ、ミャンマーなど)までの旅(国の数では60カ国以上旅行した由)のメモ、そしてブラジルにおけるテレビ撮影の裏話まで、とにかく唖然とするほど話題が豊富だ。

恋多き女性ゆえ、その恋愛遍歴ももちろん書き紡がれており、ギリシアに向けて地中海を航行中に船長からプロポーズされたり、モロッコ皇太子から「第二夫人になって」と懇願されたり、といったエピソードも満載だが、この辺はコミカルな文体で処理されていて、ちっとも厭味感がない。

 彼女自身が脚本書きで鍛えられた華麗な文体を駆使している、この“私小説”は文学的完成度も高いと断言できる。であるからこそ、一般紙の文化欄、書評欄で取上げられたばかりでなく、経済紙ガゼッタ・メルカンチルの文化面ではアンゴラ人作家ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザが絶賛書評をリスボンから寄稿しており、この本の反響はブラジルの国境を越え、ポルトガルやアンゴラまで拡がっていることが了解できるのだ。