会報『ブラジル特報』 2008年7月号掲載

                          黒田 円参(日本ウジミナス㈱ 専務取締役)


  ミナス・ジェライス州イパチンガ。州都ベロ・オリゾンテの北東220kmに位置し、今や約25万人の立派な企業城下町に成長している。無人の荒野に一貫製鉄所を建設するために先人が幾多の辛苦を重ねた地である。ウジミナス・プロジェクトは1956年4月クビチェック大統領が安東駐ブラジル大使と会談し、自らの出身地ミナス州の製鉄所建設につき日本側の協力を要請した事に端を発する。ブラジル側からの要請を受け、当時日本の鉄鋼各社は自社の設備能力増強に腐心していた時期に当たるが、ナショナル・プロジェクトとして、八幡製鐵を中心に、経団連べースで同事業への協力が推進される事になる。日本側では日本ウジミナスが57年12月に設立され、さらに日本・ブラジル合弁会社ウジミナス(日本側の出資比率40%)が58年1月に発足する。以後イパチンガでの建設工事は、派遣者にとっては劣悪な生活環境の下、激しいインフレの亢進、予算上昇、工期遅延に悩まされたが、1962年10月には第一号高炉の火入れが行なわれ、65年10月の冷延工場の完成にともない、50万トンの一貫製鉄所が完成する。

1970年代に入り、140万トン・240万トン・350万トンと矢継ぎ早にウジミナスの能力拡張が打ち出され、日本側は増資を求められたが、全てには応じられず、出資比率を徐々に低下させることになる。1970年代後半に入るとブラジル経済は外国からの借入に依存した性急な経済成長政策の脆弱性を露呈し、80年代に入ると経済は破綻する。83年11月のパリクラブ合意により、債務繰延措置が講じられた。1970年代後半から80年代にかけてブラジル鉄鋼業界では、国の関与が強まった。国営持株会社であるシデルブラスが設立され、鉄鋼価格抑制を強いられるなど経営の自由度が徐々に失われてゆく。ウジミナスも鋼材価格の歪みと財務費の増大により、苦境に陥った。さらに工業製品税(IPI)還付制度の恩典をシデルブラスが独占し、ウジミナスへの増資の原資に充当したため、増資の都度日本側の持株比率は、低下の一途を辿った。1990年代に入ると、4.65%まで低下していた日本側出資比率の是正問題の交渉が、コロル政権の打ち出したウジミナス民営化のプロセスの中で進展し、13.84%まで回復した。 

無配を続けていたウジミナスは鉄鋼製品の価格自由化を受け、民営化された1991年以降継続的に配当を実施できる企業に変貌した。1993年にはサンパウロの一貫製鉄所であるコジッパの49.78%を取得し(2005年に完全統合)、ウジミナス・グループとして約780万トンの粗鋼生産能力を持つブラジル随一の鉄鋼会社となった。2000年には高付加価値製品である溶融亜鉛メッキ鋼板の製造(子会社ユニガル社設立)を開始するとともに債務返済に努め、財務状況の改善を進めた。折からの旺盛な鉄鋼製品需要を背景に2007年には粗鋼生産868万トン、純益32億レアル(邦貨換算約1900億円)を計上するブラジルでも指折りの優良企業の地位を占めるに到っている。

 2006年には新株主協定が調印され、コントロール株主が保有する株式は63.9%に高まると同時に新日鐵が直接株主として参画した(日本側の出資シェアーは24.7%)。また、同年12月新日鐵は日本ウジミナスの民間株主保有株の大半を取得し(55.6%)、ウジミナスは新日鐵の持分法適用会社となった。現在、ウジミナスはイパチンガ製鉄所の高炉増設など生産能力拡張及び高級化を指向した設備増強計画の具体化に向けて鋭意検討が行なわれている。

イパチンガ製鉄所の夜景