執筆者:桜井 悌司 氏
ブラジルやブラジル人を理解するのは容易なことではない。ブラジルは大国である。人口は2億人で世界第5位、面積も同じく世界5位である。一人あたりのGDPは12,000ドルに満たずまだまだであるが、国単位では世界で堂々第7位の経済大国でもある。さらにブラジルは、世界一の日本人移住者受入国であり、150万人の日系人が住んでいる。日本にも19万人にも及ぶ出稼ぎの人々がいる。これだけの条件がそろっていれば、ブラジルの知名度、理解度がもっと上がってもしかるべきだと考えるが現実にはそうなっていない。何故なのであろうか?様々な理由が考えられよう。誰もが考えるのは、日本と地理的に大きく離れているからという理由である。日本と同様ブラジル政府が自国の広報に力を入れないという理由もあろう。ブラジルは、多人種・多民族によって成り立っているので、ほぼ単一民族の日本人にとって理解が難しいということも考えられる。またブラジルの既成のイメージが強すぎて、その先に進まない。所謂コーヒー、サッカー、カーニバルの域からなかなか抜け出せないのである。私のサンパウロ駐在時代に、この既成のイメージといかに戦ったかについては、次回以降に紹介したい。
ブラジルは実際に見ないとわからない国とよく言われる。私もその通りだと思っている。私は距離感と面積についていつも考えている。2年以上駐在した国は、スペイン、イタリア、メキシコ、チリの5か国であるが、距離感と面積について体験したことを紹介したい。私の独断と偏見に基づくものである。日本で「遠い」という感覚を持つのは、30キロから50キロだと思う。例えば、東京から横浜に行くとなるとやや遠いという感覚を持つ。これが、スペインやイタリアだと50キロから100キロ、チリやメキシコとなると、100キロから300キロ、これがブラジルとなると、500キロから1,000キロだと「遠い」という感じであろう。
駐在中の大きなビジネス案件の一つは、エタノールの対日輸出であった。ご承知の通り、ブラジルのエタノールの生産性は世界一である。車もほぼフレックスカ―で、ガソリンとエタノールの両方が自由自在の配合で使用できる。エタノールは環境に優しい燃料なので、日本でもガソリンの中に一部混入するという計画があり、日本から多数のミッションが訪伯した。その都度、UNICAと呼ばれるサンパウロ州のサトウキビ・エタノールの生産団体を訪れ、カルヴァーリョ総裁に何度も面談した。総裁とは、ジェトロが招待したこともあり、親しくさせていただいたが、彼は、私に「どうして日本から沢山の異なるミッションがやって来て、同じことを質問するのか」と尋ねたものであった。日本の関心事は、ブラジル側が、日本に対しエタノールを安定的に供給してくれるかという点に尽きた。ブラジル側から言うと、「注文もしないのに質問ばかりする」と思ったに違いない。彼は、「もし注文してくれれば、何とでもできる。ブラジルには、まだ耕地面積が多く残っており、何の心配もいらない」と言う。確かに米国や中国には耕地面積は残っていないが、ブラジルにはまだ20数パーセント以上も残っているのである。私もブラジル側の言うことを半信半疑であったが、一度はサトウキビ畑を見るべ木と考え、サンパウロ州ヒベロン・プレット市に出かけた。驚いたことに、車で1時間くらい走ってもまだ道路の両側には、延々とサトウキビ畑が続くのである。ブラジルは見ないとわからないということを本当に実感した瞬間だった。ミッションのメンバーには、サンパウロ市ばかりではなく、サンパウロ州やパラナ州等の産地を見るべきだと思ったものであった。
話は変わるが、ブラジリアに行かれた方も多数おられると思う。1956年にクビチェック大統領により建設が開始され、60年に遷都したものだが、ブラジルのほぼ中心にある。ベネズエラ、コロンビア、ペルーなど国境の接するブラジルの州には、ブラジリアを経由して出かけることになるが、都市によっては、サンパウロから7時間もかかるところもある。私も当初、ブラジリア遷都の重要性を十分に理解していなかったが、ブラジリアを経由して多くの州に出張している内に、何故クビチェック大統領が何もなかったブラジリアに遷都したのかが明確に理解できるようになった。距離を克服しようとするブラジル人の執念がわかるようになったのである。
狭い日本に住んでいると広大な面積を持つ国の人々の発想を理解することは至難の業である。一般的には、大国の民は小国の民より大きな発想ができるものと思われる。日本人がブラジルのような圀や国民に対処するには、現地に足を運び、距離感をつかむことが必要である。
2015年9月
桜井悌司氏