執筆者:桜井 悌司 氏

 

最初にブラジルを訪問したのは、1973年3月であった。サンパウロ日本産業見本市組織のための出張である。その当時から、ブラジルとは何か、ブラジルを一言で表現するとどのようになるのかということを考えてきた。結論を先に言えば、ブラジルは、「水滴」のようなものであるという「ブラジル水滴論」である。ブラジルは、今や2億人に達しようとする世界第5位の人口大国である。1973年当時の人口は、もっと少なかったがそれでも大変な大国であった。
ブラジルは移民の国である。1500年にポルトガル人のペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルに到達し、ポルトガル人が植民した。その後、労働力不足を解消するために、アフリカから奴隷を連れてきた。その後は、さらなる労働力を獲得するために、欧州から、イタリア人、ドイツ人、スペイン人、フランス人、ユダヤ人、レバノン・シリア人等々がブラジルに移住した。不思議なことだが、ブラジルはすべてのことを「ブラジル化」してしまうのである。最初の植民者であるポルトガル人を「ブラジル化」したのを皮きりに、イタリア人、ドイツ人、フランス人、レバノン・シリア人、日本人等を次々と「ブラジル化」したのである。具体例には食事や料理で説明すると分かりやすい。ブラジルのイタリア料理とアルゼンチンのイタリア料理を比較するとアルゼンチンに軍配を上げる人が大多数であろう。アルゼンチンはイタリア系の移住者が大多数を占める国であるためイタリアの影響が強い。
名前を見てもイタリア系だとわかる苗字が多い。サッカーのワールドカップ出場の選手のリストをみても、苗字が「i」で終わる選手が多い。彼らの出身国であるイタリimage_photo_05アに敬意を表するせいか、イタリア料理のエッセンスを大いに尊重している。イタリア料理の本来の味が守られているのである。これに反して、ブラジルのイタリア料理はとても褒められたものではない。値段が高い割に、味が今一というより悪いと言った方が良い。スパゲッテイ等のパスタを注文してもアルデンテに出くわすことが少なく、アルデンチンの味には遠く及ばない。ブラジルの日本料理も同様である。
私が駐在していた2006年初めには、サンパウロにおける日本レストラン数は600軒(今は1000軒か?)と言われていた。有名な日本レストランである「ランゲツ」の日本人シェフは、日本料理のエッセンスを守っているレストランは、600軒の内せいぜい10軒でしょうと言っていた。そう言えば、すしを大量のしょうゆ(それもブラジル製の甘いしょうゆ)にどっぷりつけたり、ブラジル風やきそばを開発したり、サケピリーニャと呼ばれる日本酒カクテルをつくったり、全く自由自在である。イタリア料理のエッセンスも日本料理のエッセンスも全く気にせずブラジル流で通すのである。人間もすべてブラジル化する。イタリア系もドイツ系も日本系もすべてブラジル化するのである。ドイツ移民にしてもイタリア移民にしても日本移民にしても当初は、それぞれのコミュニテイで自国の言語を守って行くが、3世、4世、5世になると出身国の言語が話せなくなり、ポルトガル語だけというケースが多い。
この大らかさ、天真爛漫さが、駐在員の中でブラジルに永住を決意する人が多い理由と思われる。

2015年9月
桜井悌司氏