2003年11月にジェトロの所長としてサンパウロに赴任した。その当時は、日本とブラジルの経済関係は「失われた20年」と呼ばれ、信じられないくらい冷却していた。
1980年代は、ブラジル経済が停滞し、1990年代は、日本経済がバブル崩壊によって、元気をなくしていた。日本の企業の対ブラジル関心度はほぼゼロに近い感じであった。日本や米国から日本人ビジネスマンの訪伯もほとんどなかった。そこでどうすれば、日本企業にブラジルへ来てもらうかを真剣に考えた。日本企業の対ブラジル投資の誘致をすることがジェトロの重要な仕事であるが、ブラジルのイメージと言えば、「コーヒー、サッカー、サンバ・カーニバル」である。これらのイメージは、観光振興には有効であっても投資誘致には役立たない。。

 せっかくブラジルに赴任したからには、何とかして日伯の経済関係の緊密化に貢献したいと真面目に考えた結果、たどり着いた結論は、ブラジルについての新しいイメージを作り出し、それを日本企業にアピールすることであった。「コーヒー、サッカー、サンバ・カーニバル、」という昔からのイメージからの脱却である。ジェトロ所内で議論した結果、「技術の国ブラジル」で打って出ることにした。ブラジルには、世界に誇る技術が少なくとも3つある。航空機製造技術、エタノール製造技術、石油の深海掘削技術である。その当時、それぞれの技術については、関係者の知るところであったが、ブラジル政府を含め、パッケージとして「技術の国」を売り出そうと考える人は皆無であった。最初の具体的行動は、2004年5月にサンパウロ工業連盟(FIESP)が日本に大ミッションを派遣し、ジェトロが全面的に受け入れ協力を行うことになった。東京でのブラジル・セミナーには、ジェトロ・サンパウロの次長を講師として送り込み、初めて、ブラジルの新イメージを日本企業に訴えた。

その後、上記3つの技術に関連した技術情報や企業情報の作成提供を強化した。航空機技術については、世界3位の航空機メーカーであるエンブラエール社の横田聡副社長(当時)に「大阪ものづくりサミット2005」に講師として自費で参加していただいた。05年12月にジェトロが派遣したブラジル投資ミッションでもエンブラエール社を見学し、横田副社長から同社の戦略や技術について説明を受けた。エタノール生産技術についても、サンパウロ・サトウキビ生産者連盟(UNICA)が派遣する日本へのテクニカル・ミッションの受け入れを一手に引き受け、石油元売り等関係先にブラジルのエタノール生産技術の優秀性を広く紹介した。その後もUNICAのカルヴァーリョ会長、ブラジル科学アカデミーのクリーゲル会長、サンパウロ州環境庁のゴールデンベルグ長官などを京都で開催されたSTS科学技術フォーラムに招待し、ブラジルの環境技術の発展につき、日本や世界からの参加者にプレゼンテーションしてもらった。ペトロブラス社を取り巻くブラジルのエネルギー事情についても積極的に情報提供したほか、「知られざる技術大国ブラジル」と題する15分のテレビ番組を2006年12月に制作し、ブラジルのエンブラエール社とペトロブラス社の技術力を紹介した。それ以前もエタノール技術についてのテレビ番組を制作していたので、ブラジルの優れた技術をすべて紹介することができた。上記ビデオは、在京のブラジル大使他大使館員に試写したところ非常によくできているというコメントをいただいた。

そうこうしているうちに、小泉総理が04年秋に、ルーラ大統領が、05年春に相互訪問が行われ、ゴールドマンサックス社のBRICSが広まり、05年秋頃から、ブラジルを訪問する日本人ビジネスマンが急激に増加し始めた。ブラジルの航空機も日本航空が10機プラス5機オプション、鈴与が2機購入することが決定した。エタノールの輸入も決断が相当遅れたが、ようやく本格的に輸入する体制になった。ペトロブラスも06年に石油自給を達成した。さらに沖縄の南西石油を買収し、10億ドル規模の投資を行うことになった。その後、2008年の移住100周年、日伯交流年にあたり、日本とブラジルで多くの記念行事が開催され、日本のテレビ、新聞、雑誌でもブラジルを積極的に取り上げられるようになった。徐々に「技術の国ブラジル」に焦点をあてたものが増加していった。このようにして、「ブラジル新イメージ浸透作戦」がようやく功を奏し始めるようになった。
(アジア経済研究所レポート2008年VOL25NO2を基にして加筆修正したものである)

投稿者:桜井悌司 氏