執筆者:桜井 悌司 氏
ロータリークラブはアメリカで発足し、全世界規模で活動するクラブである。その目的は、創始者ポール・ハリスの考えに基づいており、「奉仕」と「友情」である。筆者は、2008年3月まで41年の長きにわたり、日本貿易振興機構(ジェトロ)で、貿易振興や投資促進等の活動を通じて、日本と世界との経済関係の緊密化を図るという仕事に従事してきた。その目的を達成するためには、何と言っても、駐在国の人々とのコミュニケーションを深め、人脈を形成する必要があった。第2回目の駐在地のチリ(1985年~89年)では、駐在員1人の小事務所であったため、すべて自分で何事も決定できる立場にあった。そこで月に12回チリ人と食事をしようと決定した。何とかノルマを達成するために毎週定期的に食事ができるうまいメカニズムはないかと考えていたところ、たまたま前任者がロータリークラブに入会していたので、私も入会することにした。私が入会したのはサンテイアゴ・セントロのクラブで会員数300名を越える大クラブであった。会員には、後に大統領になる人物や誰もが知っているテレビのキャスター、弁護士、医者、多国籍企業の代表、外国大使・参事官等々多彩な顔ぶれであった。毎年1回は、大統領も出席した。毎週1回の昼食会のおかげで食事回数が増え、チリ駐在の4年半は、見事12回の食事ノルマは達成でき、多くの友人をつくることができた。
第3回目の駐在地は、イタリアのミラノ(1996年~1999年)であった。コレステロールの関係もこれあり、さすがに食事のノルマは課さなかったが、ミラノでもロータリークラブに加入した。このクラブもミラノ最大で、300人以上の会員数を抱えていた。サンテイアゴのロータリークラブと比較すると、さすが世界のファッションの中心地であるだけにやや敷居が高い感じであったが、ここでも有力企業、銀行や有力ビジネスマン、弁護士等々が名を連ねていた。入会時にはカリプロ銀行会長のベルトラミ氏にパドリーノ(後見人)になってもらった。
第4回目の駐在地は、ブラジルのサンパウロ(2003年~2006年)であった。過去2回、ロータリークラブの会員であったので、サンパウロでも入会することにし、適当なクラブを探したところ、「パウリスタ通りクラブ」という会員数40名くらいの比較的小さなクラブが見つかった。日本のロータリークラブは入会金も会費も高く、なかなか入りにくいが、このクラブの場合、入会金なし、会費のみであった。その会費も毎週水曜日に行われる定例会の昼食代をやや上回る程度の金額であった。3つのクラブの中では最もざっくばらんですぐに友人にしてくれるという雰囲気であった。メンバーには、多国籍企業の役員、コンサルタント、弁護士等で定例会は常に和気藹々でエンジョイすることができた。会員の家庭に招待されることもあった。昨今、ブラジルからのニュースは、汚職、賄賂等ネガテイブなニュースが多いこともあり、ブラジル人に対してネガテイブなイメージを持ちがちであるが、このロータリークラブの会員は、地域社会の発展、教育、衛生等の問題について大きな関心を払っており、献身的に各種プログラムを実践していた。素晴らしい人格の持ち主が多く、会合に出席することが楽しみであった。私の持つブラジル人のイメージを深化させてくれた。時折、リベルダージのロータリークラブにも出かけた。ここでは、会員がほとんど日系人であり、日本にいるような感じがした。
このようにしてスペイン・ラテン、イタリア・ラテン、ポルトガル・ラテンという3つのラテン圏のロータリークラブに延べ10年間在籍した。いずれのクラブでも日本人は私1人であったため、どこでも大切にしてもらった。ロータリークラブで学んだことは、多々あるがここでは4つのことにつき紹介する。
第1は、英語が相当通用したことである。私が現地語で説明にとまどっているとチリでは英語にしようか、イタリアとブラジルでは英語にしようかそれともスペイン語にしようかと助け船を出してくれた。彼ら会員は知的な人が多数を占めていたので、英語がもはや米国人や英国人が話す言葉というだけではなく、国際共通語として、またコンピュータの言葉として決定的である認識するに至ったのであろう。
第2は、食事を一緒するということがコミュニケーションを良くし、信頼関係を深める上で、最善の方法だということが確認できたことである。私は、短いインタビューや取材などはさほど難しくはないと考えている。なぜならこちらから一方的に質問すればいいからである。しかし、食事となれば、話は全く別で、2人であれば、半分、3人であれば3分の1は自分が話さなければならないことになる。まさに全人格、総合力の勝負となる。その意味で、今まで76カ国・地域を旅した経験、多くの国籍の人々と話した経験、常に好奇心を出して、何でも関心を持ったおかげで歴史、文学、芸術、音楽、映画、スポーツにもある程度通じるようにことになったこと等がすべて良い方に左右した。
第3は、楽しんで寄付集めをする方法を学んだことである。パーテイを開催し、ビンゴやオークションを行う。パーテイ代の一部は寄付に回すことができる。ビンゴやオークションの景品はすべて寄贈品のため経費ゼロ、参加者は喜んでゲームに参加し、お金を供出することを厭わない。そして多額のお金が集まる。まさにWIN-WINのファンド・レイジングである。第4は、友人を通じて、人生というものは楽しむためにあり、楽しみながら長生きするのが理想なのであるということを学ぶことができた。
企業の駐在員は、何故かロータリ―クラブやライオンズクラブやキワニスクラブ等に入会することに消極的である。しかし、人脈形成や駐在地の国民性の理解に役立つほか何よりも駐在生活が豊かになること請け合いである。
執筆者:桜井悌司