会報『ブラジル特報』 2009年1月号掲載

岸和田 仁(在サンパウロ)


 

 尾関興之助が評論『文学の思想性とコロニア文学』(『コロニア文学』第二号)において、「コロニア作家一般の欠陥は、文学における思想の欠如である。(中略)この思想性の欠如ということは、コロニア作品を類型化することになる。」と、コロニア文学の思想欠如論=文学意識貧困論を展開したのは、1966年であった。

その9年後、人類学研究と並行して文学活動にも挺身していた前山隆が『加害者不明の被害者』(『コロニア文学』26号、1975年)において主張したことは、「現在までのコロニア小説を二大別すれば、ひとつはコロニア的現実にずっぷり浸り、目前の日常的事象を世俗的日常性のままで把えた“篭の鳥”文学であり、もうひとつはコロニア的現実を存在しないとわめいていて小児病的抽象を行なう脱色文学である。(中略)移民たちが出稼ぎ移民でありつづけ、ブラジルを“仮寓”と見なし、帰国の夢を追っていた“客”であったときには、みずからの現に立っている状況にたいして責任をもたず、変革のための告発も行なわなかったから、被害者意識だけをぬくぬく培養しながら、他方では“加害者”の実体をみようとはしなかった。」と、大変厳しいコロニア文学批判であった。

実作においても評論においても、コロニア文学と呼ばれる在伯移民日本語文学が最盛期を迎えたのは、季刊同人誌『コロニア文学』が出版されていた1966年から1977年までだろうが、9月末に発刊された百周年叢書『ブラジル日系文芸』(下巻)(サンパウロ人文科学研究所)は、日系コロニア文学(小説・評論)の史的概観であり、こうした“論争”や研究のための資料集大成でもある。著者の安良田済さんは、山口県出身の93歳、1929年に渡伯、農業や商店経営で生計を立てつつ文学活動も継続、歌誌『椰子樹』編集長、コロニア文学会の創立メンバー、コロニア詩文学会同人として今でも現役のコロニア文学界の重鎮である。その安良田さんが、移民資料館に保管されている文学関係資料を精読するのに二年半、執筆に半年と、のべ3年もかけている超力作である。

著者はコロニア文学の歴史を、第一期(1908-1945)、第二期(1946-1977)、第三期(1978-2007)に大別し、小説も評論もそれぞれの時期の代表作をとりあげ、その要略と解説、文芸誌や文学賞については全てをリストアップし、その時代の文芸動向が把握できるような丁寧なつくりになっている。更には巻末には詳細極まりない「創作・文芸評論年表」が付されており、コロニア文学百科事典でもある。

例えば、日系社会で初めて活字となった小説は、1920年に日伯新聞に発表された薗部生『別れ路』であることがわかるが、著者は戦前移民がピークを迎えた1930年代前半に注目し、当時の移民入国者のなかには多くの自由主義者、反軍政論者といったインテリたちが相当数まじっていた筈なのに、何故彼らが文学作品を残さなかったか、と疑問を呈している。また、1960年代から戦後移民による創作活動が活発となり、「戦後日本の文学傾向を持ち込んだ」が、戦前移民の書く小説のテーマは「郷愁」が主体であったのに比し、戦後は「郷愁は主題ではなく背景になった」と指摘している。

日本の雑誌でも月刊『すばる』が7月号、8月号で『「日系」と文学―特集ブラジル移民百年』をとりあげていたが、移民100周年の機会に、コロニア文学の再評価がようやくなされるようになった、といえようか。