city_20116_07_p サンパウロ市から真西に向かうカステロ・ブランコ街道は78 キロ地点で通称「砂糖道路」と交差する。左へ行けば日本人に馴染みの深いソロカバ市、右側がイトゥー市となる。このイトゥーの名が突然日本のメディアで取り沙汰されるようになったのは2014 年、サッカーのワールドカップで日本選手団のベース地と決まったためだった。
ブラジル人一般にとっては「何でも大きい街」というのがイトゥーのイメージのようだ。だが「大きなもの」は公衆電話、信号機、消火器などほんの数えるほど。あるときテレビでコメディアンが「おらが街では何でもでっかくて…」と法螺を吹いたのがきっかけで市があわてて作ったというものでそれほど歴史が古いわけではない。
この街は2010 年に市政四百年を迎え、その年のサンパウロ市のカーニバルではカーザ・ヴェルデがイトゥーをテーマにパレード。その歌詞が街の歴史と特色を端的に表しているのでその一節を紹介してみたい。city_2016_07

♫<サトウキビでイトゥーは発展し、コーヒーで繁栄を極めた。そしてこの街で共和制の産声が上がった>♪
つまり、「砂糖産業のサイクルが終わったとき、その利益をコーヒー栽培へ投資し、そこから得た富で工業化を図ったイトゥーは、経済力の強さから国政に大きな発言権を獲得。共和制の発端となったイトゥー会議が
開かれた」というもの。
イトゥー会議の開かれた家は博物館になっていて、壁には街の歴史を描いた大量のアズレージョ(ポルトガル伝統の青を基調としたタイル)。これを見るためだけでもサンパウロから出かけ
る価値はあると思う。
歴史の街イトゥーは今も静かなたたずまいを見せ、市の中心カンデラリア教会前のパドレ・ミゲル広場には昔ながらのコレット(小音楽堂)があり、人々が思い思いにくつろいでいる。植民地時代からのポルトガル風の石畳が帰国後の今もとても懐かしく、あの古都の雰囲気をいつまでも、と願わずにはいられない。

小高利根子
(ポルトガル語翻訳者 在伯通算22 年、イトゥー在住15 年)