執筆者:桜井 悌司(ブラジル中央協会 常務理事)
サンパウロに駐在時には、パライソ地区のCarlos Steinnenという通りに住んでいた。また事務所は、日本総領事館と同じビルにあり、パウリスタ大通りとJoaquim Eugenio de Lima通りの角にあった。ブラジル人に、彼らは何者と聞いても、ほとんどの人は、的確に答えてくれなかった。そこで、自分で調べてやろうと思い立った。文献を探したところ、近所の本屋さんで、SILVA COSTA ROSA著の「1001 RUAS DE SÃO PAULO」(2003年発行)という手軽な本が見つかった。その本を元に、インターネットも駆使し、少しずつ調べてみた。日本人の駐在員が多く住んでいる通りや比較的有名な通り等を中心に取り上げ、2005年5月に「サンパウロの主要通りの由来―駐在員のための手引き」をまとめ、ブラジル日本商工会議所のホームページに掲載してもらった。
ブラジルで通り等住所を調べると、「rua」(通り)、「avenida」(大通り)、「alameda」(並木道)、「viaduto」(陸橋・高架橋)、「largo」(小広場)、「praça」(広場)、「parque」(公園)等が出てくる。これらをひっくるめて通り等と称することにする。
通り等の名前の命名は、ラテンの国らしく、自由自在であり、ありとあらゆるものから取っている。それゆえ、私も独断で、下記の通り分類してみた。
1)人名、2)歴史上重要な出来事がおこった日、3)宗教関係、4)インジオの言葉、5)国名、6)その他である。
以下説明しよう。
1.人 名
これが一番多いようである。人名も様々で、①歴史上の英雄・人物、②実業家、③芸術家、④学者・医者、⑤宗教関係者、⑥ポルトガル王室関係者、⑦軍人・政治家、⑧ジャーナリスト、⑨現代の英雄、⑩外国人等とである。比較的よく知られている通りと人物を紹介する。
- 歴史上の英雄・人物
Libertador Simón Bolívar(解放者シモン・ボリーバル、言わずと知れた南米の北部諸国の独立の英雄である)
Trajano(トラヤヌス帝、ローマ帝国の5賢帝の一人)
Tome de Souza (最初のブラジル総督、サルヴァドール市を建設)
Pedroso de Morais (16世紀末から17世紀の初めにブラジル南部を探検し、多くのインジオを捕虜にし、「インジオの恐怖」とあだ名を持つパウリスタのバンディランテス - 実業家
Francisco Matarazzo (イタリア生まれ、ブラジルの工業化の推進者、マタラッゾ財閥の創始者)
Alvares Penteado(農業で成功し、産業家として紡績・織物工場を建設、その後教育面で貢献した。その名をとった財団や大学で有名) - 芸術家
Maestro Villa Lobos (世界的に有名なブラジルのクラシック音楽の作曲家)
Tarsila do Amaral (ブラジルを代表する画家)
Antonio Carlos Gomes(歌曲「グアラニ―」の作曲者)
Vitor Brecheret(イビラプエラ公園のバンディランテス像で有名な彫刻家)
Ramos de Azevedo (サンパウロの主要建築の多くが彼により設計・建設された)
Rui Barbosa (作家、政治家、共和国大蔵大臣、1891年の共和国憲法の起草、ブラジル文学アカデミーの創始者) - 学者・医者
Galvão Bueno(日本人街・東洋人街を代表する通り。法学者・哲学者)
Josue de Castro(世界的に知られた「飢餓の地理学」の著者。社会・経済学者)
Oscar Freire(医者、法学・犯罪医学協会、教育・指導協会を創設)
Oswaldo Cruz(医者。ペストや黄熱病との闘いに貢献。同名の病院で有名)
Professor Arthur Ramos (ブラジル人類学・民俗学学会の創始者。教育・健康省の精神衛生部門の創設者) - 宗教者
Manuel de Nóbrega (イエズス会使徒。最初の総督であるTome de Souzaに同行して、ブラジルに渡る。彼の請願により、最初の司教管区が設立される)
Padre José de Anchieta(スペイン生まれのイエズス会使徒。サンパウロ市創設者) - ポルトガル王室関係者
Imperatriz Leopoldina(1797年ウイーン生まれ。ドンペドロ1世の奥方、ブラジル最初の皇后)
Teresa Cristina(イタリア生まれ。ブラジルの皇后、慈善の仕事に没頭し、ブラジル人の母と呼ばれた) - 軍人・政治家
Presidente Castelo Branco(軍人。将軍、元帥、後に大統領)
Brigadeiro Luis Antonio(ポルトガルからブラジルに移住。軍隊に入り、准将に昇格。後承認として成功し、多額の資金を寄付)
Brigadeiro Faria Lima(空軍省の創設に参画。5月23日通りや地下鉄が建設された当時のサンパウロ市長)
Marechal Bittencourt (モライス大統領時代の陸軍大臣。ジェツーリオ・ヴァルガス大統領により、陸軍サービスの守護者に任命される) - ジャーナリスト
Gaspar Líbero(ブラジルで最初の通信社を設立、A Gazetaの編集長)
José Maria Lisboa (ポルトガル生まれ、ジャーナリスト、Diário Popularの発刊責任者) - 現代の英雄
Ayrton Senna(F1を何度も制覇した英雄。グアルーリョス空港へ行く高速通り) - 外国人等
外国の有名人から命名された通りであるが、日系人の名前も見受けられる。
Comendador Tadashi Nishi(ブラジルに帰化。サンパウロ等で商業連盟、スポーツ連盟に協力・貢献した)
Shuhei Uetsuka(ブラジル移民の父と呼ばれている。植民者と農場主の間に立って、双方のメリットになるよう努力した)
2.歴史上重要な出来事がおこった日にちからとったもの
これが結構数が多い。サンパウロを運転して比較的頻繁に通るのは、
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サンパウロの民衆が、1932年5月23日に、広場に集まり、連邦政府に憲法の制定を要求した日
- Nove de Julho (7月9日通り)
1932年7月9日に起こった「立憲革命」として知られる軍の運動蜂起の日その他奴隷廃止にちなんだ日が5月13日通りと11月7日通りがある。ブラジル人は、歴史的に早い時点で奴隷解放をしたのを誇りに思っているようだ。 - Doze de Outubro(10月12日)は言わずと知れたコロンブスのアメリカ大陸到達日で米州大陸のすべてで祝日となっている
3.宗教関係・聖人等 聖人・聖女の名前や宗教でよく使われる言葉からとったもの
São João、São Luis、Santa Cecília、Santa Ifigênia、Santa Rosa、Conceição(受胎)、Consolação(慰め),Misercórdia(慈悲),等がある
4.先住民族(インジオ)の言葉(トウピー語が多い)からとったもの
Butantã (固い土地)、Ibirapuera (くさった木)、 Ipiranga (赤い水、粘土質の水)、 Jabaquara(岩石、穴) 、Pacaembu (天竺ネズミの小川)、 Morumbi (小山、高い丘)、 Moema (夜明け)、Jaú (暴飲暴食する魚、反抗的な子供の体)、Anhangabau(有毒の水)等がある。
頻繁に訪れるところにインジオ語起源の場所が多いことがわかる
5.国 名
サンパウロ市内の一角に、ブラジル、アルゼンチン、スイス、スウエーデン等外国の名前をとったところがある
6.その他
Bandeira広場(国旗の広場)
Liberdade広場(絞首刑が行われた広場。住民の要望により絞首台が移され、自由の広場になった。東洋人街の中心)
Viaduto de Chá(昔、このあたりでお茶の栽培がなされた)
最初に出したCarlos Steinenn,は、それほど有名ではないので、誰も知らない。しかし、Joaquim Eugenio de Lima,は、極めて重要だ。同氏は、1845年ウルグアイで生まれ、パウリスタ通りを建設し、命名した人物である。1891年12月8日に厳粛に完成セレモニーが催された。サンパウロでアスファルト化され、並木のある初めての公道で、イルミネーションもされていたという。
その後、日本企業が集まるパウリスタ通り界隈を徹底的に調べることを思いついた。毎日昼休みに散歩しながら、何があるかをチェックすることにした。調べた対象は、映画館、文化施設、ショッピングセンター、名所・旧跡・古い建築物、博物館、大通りに面する18の彫刻の解説である。これらを2005年「パウリスタ界隈ガイド」として発表した。2つの資料は、知的好奇心旺盛な駐在員が、サンパウロ市を知る上で、少しは役立ったものと思われる。
ブラジル人に通りの由来を説明すると、態度が変わり、尊敬の眼で見られるようになった。また、由来を知ることによって、ブラジルの歴史やブラジル人の考え方が少しずつ分かってくるし、サンパウロでの生活が楽しく、豊かになってくる感じがした。まさに一石二鳥であった。