講 師
本田健治氏(音楽雑誌 ラティーナ社社長)&宮沢和史氏(歌手、代表曲『島唄』)
演 題
ブラジルの魅力に溺れたお二人のフリートーク対談

ラ・ロシェル山王店のフランス料理ランチを楽しんで心も胃袋も満たされた参加者80名が聞き入ったのが、ブラジル音楽文化の紹介・交流の現場で活躍されてきた、お二人の絶妙なる“掛け合いトーク”であった。事前シナリオなしで自らの言葉を紡ぎ出しながら迫力ある語りを自然体で展開した宮沢さんの“眼光”に感動しながら、迫力あるトーク・ショーに惹き込まれた一時間半となった。

40年以上にわたって中南米音楽、なかんずくブラジル音楽の紹介を続けてきた“生き証人”本田さんによれば、ボサノヴァが世界に広まった1960年代どころか70年代になってもブラジル音楽(レコード)は全く売れず、様々なマーケティングの仕掛けをしてようやくある程度の市場が出来上がったのであって、日本人に実質的に受容されるようになったのは1990年代以降だった。

 

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1992年に『島唄』を発表してメジャー歌手となっていた宮沢さんが、初めて、しかも一人で、ブラジルを訪ねたのは、1994年であった。リオのイパネマ体験を皮切りに、その後20回以上もブラジルを訪ね、ミュージシャンたちと共演したり、2008年のブラジル移民百周年記念イベントでは、クリチーバ、サントス、サンパウロ、リオで公演したが、宮沢さんが何度も強調したのが、「ブラジル人から学んだのは、彼らの「人間力」でした」という経験知であった。いくつもの人種が混淆した歴史の結果である生身のブラジル人と向き合い、お互いの目を見合いながら、彼らと交流すると、金持ちであれ、貧乏人であれ、ブラジル人なら誰でも持っている「人間力」とパワーに魅せられることになった、と。

もう一つの「人間力」を学んだのが、ブラジルやペルーにおける日系(とりわけ沖縄)の人たちからであった。ロンドリーナでお会いした、第一回移民船笠戸丸でブラジルに渡った中川トミさん(当時97歳)、あるいは、2009年のアマゾン移民80周年の記念公演の際、声をかけられた日系のオバアサンとの会話を今でも思い出す。日系人が歩んだ苦難の歴史を肌で学ばせていただいたが、100年ほどの短い歴史にもかからず、ブラジル社会の一員として各界で活躍するようになった日系の人たちの努力と「人間力」には首を垂れるしかない。

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一言でいえば、「ブラジルという扉をあけていなかったら、今の僕はない」、と宮沢さんは語った。

50歳になった宮沢さんが、決断したことは、歌手休業であったが、それは、自分が若い世代の人たちに対して何ができるか、何をすべきか、を考えた末の決断であり、現在、取り組んでいるのが、多様で豊かな沖縄(本島プラス各島)音楽の、数百に及ぶ音源(音と言葉)のデータベース化である。

日  時
2016年2月29日(月)
12:00-14:00 (受付開始は11:30)
会  場 ラ・ロッシェル山王店
H P: http://www.la-rochelle.co.jp/
住 所:千代田区永田町2-10-3 東京キャピタルタワー1階
(地下鉄銀座線。南北線 溜池山王駅5番出口より徒歩3分)
電 話:03-3500-1031
会  費 会 員 5,000円 / 非会員 5,500円
※当日会場にて申し受けます。領収書は用意致します。
 定  員  先着 70名
備  考 (1)ドレスコード:自由
※ジーンズ、スニーカー等はご遠慮ください。(2) 申し込み後、生憎ご欠席となる場合で、2月26日(金)までにご連絡を頂けない時には、参加費のご負担をお願いせざるを得なくなりますのでご注意下さい。