講 師 :呉屋春美氏(ブラジル日本文化福祉協会会長)
演 題 :Meu Grande Desafio(私の大きな挑戦)
「海外日系人大会」並びに「世界のウチナーンチュ大会」に参加するために来日された呉屋会長に、ご自身の個人史や文協会長としての抱負について、自由に語っていただいた。
沖縄出身の私が家族と一緒にサントス港に着いたのは1958年10月12日、私は5歳であった。初めて飲んだコーヒーのまずさ・にがさは今でも記憶に残っている。家族とサンパウロ州内陸部のオウリーニョスに入植、その後パラナ州のコーヒー園に移動し、そこの市立小学校と日本語学校に通ったが、私が日本語を学校で学んだのはこの4年間だけだ。
1977年、バレットス工科大学(土木工学専攻)を卒業し、建設会社で数年働いたが、当時は不況で安定的職場がなかったため、男女差別もなく高給が約束されたサンパウロ州税務局のキャリア税務官に転進(1986年)、ここでプロの仕事のやり方を学んだが、中でも1997年に州税務長官に着任したヨシアキ・ナカノ(中野慶昭)教授(ヴァルガス経営大学教授)に“鍛えられた”。州税務局IT推進部門ダイレクターとして、州刑務所ネットワークのITシステム確立などで活躍したが、職場では日系人も女性もマイノリティーであったにも拘わらず、ナカノ先生や同僚たちのおかげで「自分の中にある力を引き出す」ことができた。
学生時代は、日系社会との関係はほとんどなく、友人関係も食文化もまったくブラジル社会に溶け込んでいたこともあって、1974年にはブラジルに帰化し、自分のアイデンティティーはブラジル人と考えていた。
1979年、沖縄県人会会館の落成式に参加したところから、沖縄県人会の活動(青年会、琉舞、カラオケ等)に関与するようになり、2003年には県人会の役員になったが、また、JICA研修生(1990年、国家税務行政研修、1996年、行政改革研修)として公共行政について多くを学んだことが自分のキャリアにもプラスになったことは、今でも感謝している。
自分のアイデンティティーを改めて考えてみると、家では日本式の生活と習慣、学校や職場ではブラジル式であり、自分は(日本人ではなく)ブラジル人であると思うが、自分の出自、受け継いだ社会文化は沖縄県人会に根ざしていることは間違いない。
また、こうした活動を続けることが出来たのは、1984年に結婚した夫、呉屋ミルトンの理解と支えがあったからで、ここに改めて感謝しておきたい。
文協(ブラジル日本文化福祉協会)は、上原幸啓先生(元会長)から招待されて2003年から理事、2009年から2015年まで副会長を務め、昨年2015年4月から会長(文協初の女性会長)となった。
これまで、日伯外交関係樹立120周年、在サンパウロ総領事館開設100周年、文協創立60周年など多くの記念行事を行ってきたが、私が挑戦したいテーマは次の通り。
- 地方の文化協会やブラジル組織との交流強化
- 親しめる文協に改革
- 運営資金の心配が要らない文協に育てたい
- 日本文化を支えていきたいと思う会員を増やす
- 新世代へ日本文化に興味を持たせる
- 女性パワーをどう引き出すか(会長として女性パワーをまだまとめきれていない、まとめれば何か大きなことが出来ると思っている)
最後に、座右の銘を二つあげておきたい。
一つは、やってやれぬことはない(母から聞かされた、日本の座右の銘)二つ目は、semear é livre, a colheita é obrigatória(蒔く種は自由に選んで蒔いていいが、収穫は蒔いたものしか取れない、これはブラジルの座右の銘)
日 時
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2016年11月2日(水)12:00~14:00
※講演の後、13:00頃からブッフェスタイルの食事を開始。 |
会 場 | シーボニアメンズクラブ
住所:東京都千代田区内幸町2-1-4日比谷中日ビル1F 電話:03-3503-6301 |
会 費 | 会員3,000円/非会員3,500円 ※当日会場にて領収書と引き換えに申し受けます |
備 考 |
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