ルセフ大統領はなぜ勝てたか

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領選挙が現職の勝利で終わった。普通はしばらくすれば喧けん騒そうも落ち着くものだが、どうも今回は体操競技でいう「着地」がしっくりこない。頭を冷やして考えると、ジルマ・ルセフ大統領が勝った意味はきわめて重いのに、そう思われていないことに気付いたからだ。金融マーケットという目に見えない存在から袋だたきにされた彼女はなぜ勝てたのか。さながら「南北戦争」だったようだ。大きな国土の真ん中から北は圧倒的にジルマ・ルセフ氏、南はアエシオ・ネベス氏を支持した。貧困層が多い地域はルセフ氏、富裕層はネベス氏と支持母体ははっきり分かれた。

第1回投票ではマリナ・シルバ氏が有力視され「女の戦い」といわれた。ところがふたを開けてみたら彼女は3位に沈み、ネベス氏が2位に残った。決選投票ではその2位と3位が連合したため、ルセフ政権の終しゅう焉えんを予想する人も多かった。そして10月26日の決選投票。ルセフ氏は大票田のサンパウロでおよそ4割しか獲と れなかったのに、北部で圧勝、接戦を制した。多くの人は「大接戦」と言う。しかし52%対48%はガチンコ対決では堂々たる勝利。52%も支持者がいたということだ。
ルセフ氏勝利の瞬間、ブラジルのボベスパ株価指数は6%以上急落、通貨のレアルも対ドルで下落した。完全な「失望売り」というやつだ。選挙戦の終盤、世論調査でルセフ優勢と出れば、株価が下がり、逆に劣勢となれば株価は持ち直した。そんなことが繰り返されていた。日本人から見ればまるで「いじめ」である。「失望」が駆け巡ったのはマーケットだけではなかった。現職勝利でよりいっそうのショックを受けたのはほかならぬ内外のマスコミ陣だった。経済界寄りのネベス勝利のシナリオが崩れ、冷静さを失ったマスコミはうろたえて、真っ先にやるべき仕事、つまり勝因分析を忘れた。

ルセフ氏は「人嫌い」のレッテルがつきまとう。ブラジリアの官僚からは、他人の意見を聞かないといったボヤキが聞こえてくる。
景気低迷、汚職の広がり、国家予算の無駄遣い――。国家運営に対するインテリたちの批判はとどまるところを知らない。そうだとしても、マーケットの過剰反応は異常だったし、その傾向は続いている。よくぞあそこまでマーケットと内外のインテリに嫌われたものだ。退場するはずの“悪役” が勝ってしまったからマスコミは困った。「マーケットによるクーデター」は成功しなかったことになる。どこでマスコミは間違えたのか。底力はどこから生まれたのか。ここはまじめに考えざるを得ない。
どこかの新聞のように、「ここが悪い、あそこが悪い、こうしないと駄目」といった批判的な論調で終わりにするわけにはいかない。勝因は何だったか、答えを出そう。ルセフ氏の勝因は「貧困解決」に尽きる。労働党(PT)政権の4年継続を決めたルセフ氏をルーラ前大統領はしっかりと抱きしめた。ルセフ氏にはルーラ氏という“救世主” がいたのだ。ルーラ前大統領の功績は言うまでもない。「ボルサ・ファミリア」(家族手当)の導入でブラジルの貧困層は大幅に減った。貧困層が新中間層に加われば、当然個人消費も増える。ルーラ前大統領が敷いたレールの上をルセフ氏は走って、勝った。
貧困問題の解決は21世紀の地球的課題である。イスラム過激派のテロ、地球環境問題と並んで、3大課題といってもよい。
ブラジルはGDP世界7位の「大国」である。しかし、GDP世界2位の中国と並んで、いまだに途上国の仲間だ。それは貧富の格差が大きいからだ。だから貧困解決は焦しょう眉び の急きゅうだ。ルセフ批判のひとつに「外国から投資を呼び込め」という指摘もある。しかし外国投資家は金融やビジネスには熱心だが、ブラジルのような途上国の貧困解決には関心がない。「経済改革を進めよ」との声もあるが、これを本気でやろうとすると、長年の習慣をどう変えるかという厚い壁にぶち当たる。
「サンパウロの町がきれいになった」「イビラプエラ公園が家族連れの憩いの場になっていた」――子どものころ両親とサンパウロに住んだ日本人の友人がブラジルを再訪し、こんな感想をメールで伝えてきた。
ブラジルは「貧困解決」という壮大な実験に挑み始めたと考えてはどうか。新興国の集まりであるBRICS諸国では貧困解決に向けて一歩リードしたといえる。ルセフ氏が勝った本当の理由は弱く貧しい人たちが1票を投じたからである。ルセフ支持者の歓喜の声はあまり伝わってこなかったが、実際はそんなはずはない。

 

エボラ熱が米・キューバを仲介?

「フィデル・カストロを知っていますか?」と筆者が教えている私立大学の学生に聞いてみた。「はい」と答えたのは45人中3人だけだった。カリブの社会主義国キューバのかつての英雄もこれでは形無しだ。名前の印象が薄れるのは仕方ないが、88歳の今も病に負けじ、と新聞や雑誌に意見を発表している。そのカストロ氏の健在ぶりを示す記事を久しぶりに目にした。世界を揺るがせているエボラ出血熱について、政府系メディアが紹介したコメントだ。10月末に転電した朝日新聞によると、アメリカ国内でエボラ出血熱の患者が発見された後、カストロ氏は「米国のスタッフと(感染対策に)喜んで協力する」との考えを示したという。

長年敵対してきた両国だが、同氏は「関係修復を図るためではなく世界平和のため」と言ったらしい。彼がどう説明しようが構わないが、察するに1961年から半世紀以上も続くアメリカの経済制裁を終わらせるため、対話の糸口をつくろうとある種のサインを送った可能性もある。
そうした政治的意味がある一方で、注目すべきはキューバの医者の技術レベルはアメリカよりも上と言いたげだったことだ。実際、やっかいな感染症のワクチン開発も活発に行われている。そう、キューバ最大の輸出商品は驚くなかれ「医者」なのだ。かつては砂糖が有名だったが、今は競争力を失い、海産物も農産物も工業製品も大したことはない。輸出品が何もないから、という声もあるが、「医者の輸出」は相手国にとってはこれほどありがたいことはない。
毎日新聞などの取材によると、医者の輸出は途上国を中心に70カ国以上、およそ1万7000人にのぼる。看護師など医療関係者全体では4万人近い。チェルノブイリ原発事故では、ウクライナの子どもたち2万人以上を受け入れ、無料で治療した実績もある。
今度のエボラ出血熱は、西アフリカのリベリア、シエラレオネ、ギニアの3カ国が発生源とされる。感染力がきわめて強く、致死率も高い(50 ~70%)。エボラウイルスには5種類があり、今回の「ザイール型」は以前に中央アフリカで流行したことがある。キューバはシエラレオネに最近200人近い医者・看護師チームを派遣した。そしてリベリアにも300人近くを派遣する計画という。人道目的の医者輸出は数知れず。それ以外にも1999年にラテンアメリカ医科大学を開校、途上国を中心に数多くの医療関係者を受け入れているそうだ。滞在費はキューバ政府がすべて負担する。

一方のアメリカの医療保険制度は「皆保険」の遅れで、先進国で最悪と評される。批判映画までできており、数年前のマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画『シッコ』ではアメリカで見放された病人をキューバの病院に連れて行き、無償で診療させる場面
が出てくる。
キューバでは教育費と医療費はタダだ。そうした違いを知るカストロ氏はエボラ対策で混乱するアメリカに“助け舟” を出したようだ。何年か前、薬物中毒になったアルゼンチン・サッカーのマラドーナ氏を治療し、健康体に戻したのもキューバの病院だった。
世界中がエボラ対策で揺れている。2014年10月末にはカリブ海を巡るクルーズ船がメキシコや中米ベリーズへの入港を拒否される事
件も起きた。クルーズ船にはリベリア男性が入院(のちに死亡)したテキサス州の病院関係者が乗っていたからだ。
アメリカの邦字紙編集長によると、米疾病予防管理センター(CDC)は感染を防ぐために「手をよく洗うこと。患者と接触しない。自分の目、鼻、口に手で触れない」などの予防手引書を配布した。でも、これでは何が本当の注
意点なのかよくわからない。
アメリカは死者が出ているので過剰反応になっているのかもしれない。感染していないのに一時隔離や自宅待機を強制し、「人権侵害だ」として命令を拒否する人も出ている。

1959年、カストロ氏(前国家評議会議長)率いる革命軍がバチスタ独裁政権を倒し「キューバ革命」を成功させた。当時33歳のカストロ氏は巨大な権力に立ち向かうヒーローだった。
それから55年が経つ。近年、米MLBや日本のプロ野球には多くのキューバ人選手がいる。昔のような亡命ではなく、出稼ぎだ。国も本人も納得ずくの「人材の輸出」といえる。医者だけでなくこういう形の輸出がまだ増えるだろう。アメリカとキューバ両国の人的交流が増えれば「対話」が近づく。この見方は的外れではなさそうだ。両国は2015年に国交正常化交渉を開始する。

(日本ブラジル中央協会 常務理事 和田 昌親)