グローバルバリューチェーンと 日伯FTA

投稿者:中富道隆氏 日本アマゾンアルミニウム社長(元経済産業省特別通商交渉官)

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日本アマゾンアルミニウム社長
元経済産業省特別通商交渉官
中富 道隆 氏

1 はじめに

昨年の日本ブラジル経済合同委員会で、日伯の経済界(日本経団連とCNI)は、日本とブラジルとのFTAに向けて検討を開始することに合意した。
今年(2015年)の日ブラジル賢人会議でもその方向性が確認され、両経済界は、今年8月31日から9月1日にポルトアレグレで開催された、経済合同委員会に検討結果を報告書として提出した。
同報告書は、日伯の間で包括的なFTA交渉を早急に開始すべきとしている。

日本は、中南米諸国との間で、既にメキシコ、チリ、ペルー、コロンビアとのFTAを実現しており、南米の大国ブラジルとのFTAは、必然的な流れであるが、この報告書を契機に日伯FTA交渉の開始に向けた機運が強まることを期待したい。
本稿では、急速なビジネスの国際化と生産分業の多極化に対応した、グローバルバリューチェーン(GVC)の深化という視点から日伯FTAの必要性を論じる。

 

2 グローバルバリューチェーンの展開と国際貿易

ビジネスの実態に対応したグローバルバリューチェーンの展開については、統計の制約があるものの、近時膨大な研究が行われ、変化の実態が明らかになりつつある。

20世紀に展開した、貿易コストの低減に起因する第1次の生産工程の切り離し(unbundling)に加えて、21世紀に入り、情報通信技術の進展に伴い、第2次の切り離しが進んでいる(Baldwin 2012)。

これにより、国際分業も急速に分極化(fragmentation)が進んでおり、小国であっても国際分業の中に入ることが出来る環境が育ってきたとされる。

この中に参加出来るか否かは、国の競争力に大きな影響を与える時代である。

他方で、グローバルバリューチェーンの展開は、地理的に見て、極めて偏った形で展開している。

すなわち、GVCは世界をカバーする真にグローバルなバリューチェーンではなく、実は、北米、ヨーロッパ、東アジアに集中した形で展開しており、南米とアフリカは、GVCの展開から取り残されていることが明らかとなっている(Baldwin 2012,WEF 2013,IADB 2014,Mckinsey 2014)。

 

資料1 企業の垂直結合の現状(出典:IADB Synchronized Factories)

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ブラジルも、南米一般の例に漏れず、GVCの展開に取り残されている。

ブラジルでは、近時、コモディティー輸出への傾斜が強まり、工業品の輸出額や輸出比率は低下している。また、工業品を見ると、中間財貿易の割合は低く、輸出コストは高止まりしている。

 

ブラジルの輸出に占める国内付加価値比率を見ると、主要国では、ロシアに次ぐ高い比率であり、これは他国との生産分業が進展していないことを示している(OECD 2013)。モノカルチャー構造と製造業の未発達はブラジル経済の特徴であり、

ブラジル経済界にも現状への強い危機感がある。

この意味で、両経済界の報告書が、FTAの必要性の背景としてGVCに触れていることは誠に適切であり、今後の展開に向けて極めて興味深い視点を提供するものである。日伯のFTAは、その内容によっては、両国の国際分業とGVCへの参加の形を大きく変えていくポテンシャルがあるからである。

また、生産分業という観点から見れば、将来的には、日本と中南米との既存のFTA、日伯FTAを基礎として、同地域における更に広域的なFTAを検討していくことも考えられるであろう。日本と主要アセアン諸国とのFTAが、AJCEP(日本とアセアンとのFTA)を生み、原産地の累積が可能となったように、日伯FTAが実現されれば、日本と中南米との広域的なFTAの実現も視野に入ってくるであろう。日伯FTAにはそれだけの戦略的価値がある。

GVCを発展させ、その中に参加していくためには、正しい政策の導入が不可欠である。

多くの研究とレポートが(WEF2013等)、包括的な政策と対応が必要であり、事業環境の改善と、モノ、サービス、カネ、知識、人の連結性(connectivity)が必要であるとしている。

GVCが発展していると評価される東アジアでは、物理的な連結性、制度的な連結性、人と人との連結性を中心に、国と国との連結性向上が強調され、また政策的なバックアップを受けているところである。

物理的な連結性は、物理的インフラの整備を中心とし、制度的な連結性は、経済や貿易の法制度整備や貿易円滑化等の連結性を意味する。FTAは、制度的な連結性の中核となる要素である。

 

資料2 日本のFTA(2015年1月現在)(出典:経済産業省)

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日本は、アセアンを中心とした東アジアにおいてこうした連結性整備を積極的に支援しており、アジアにおける日本のFTA網整備はその重要な柱である。

東アジアにおけるGVCの展開と日本の政策的支援は、多くの点で、今後の日伯関係にとり参考となると考えられる。

特に、FTAの展開がアジアの生産分業とGVCの形に大きな影響を与えてきたことは、日伯のFTAが双方の経済をつなぎ、更には、ブラジルがアジアのGVCにつながるポテンシャルを示唆するものである。同様に、今後、南米のバリューチェーンに日本がつながる契機となることも予想される。

日本自体が、GVCの中での役割を大きく変えていることは、周知の事実である。

日本は、アジアで高度に発展したバリューチェーンを作り上げてきたが、製造業においては、完成品の輸出国から中間財の輸出国に変化してきていること、また、工業品輸出におけるサービスコンテントの割合が増加していること(servification)、貿易に占めるサービスの比率が上昇していることが特徴的である。(IDE/JETRO and WTO 2011)

 

資料3 中間財貿易の現状(出典:経済産業省)

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こうした貿易構造の変化に、日本自体も引き続き制度的に対応していくこと、通商システムを適合化させていくことが必要不可欠となっている。

この意味でも、中南米との広域的なFTAを検討する意義は大きい。

 

3.GVCと日伯関係

GVCと通商ルールとの関係を見てみよう。GVCは、企業の国際分業の姿を反映することから、必然的にGVCが要請するルールは、企業活動の複雑性に対応し極めて多面的であり、かつ関税に代表される国境措置のみでなく国内措置や非関税措置に関する広汎な規律を含むものとなる。

また、従来の通商ルールが「如何に売るか」というコンセプトを中心として組み立てられてきたのに対し、GVCが要請するルールは、「如何に作るか」というコンセプトを中心として構築されることになる。

そのルールは、本来は、GVCの広域的な性格からして、多国間ルールとして定められるべきであり、ブラジル出身のアゼベド事務局長に率いられるWTOにおいて議論するのが最も効率的であり、かつ理に適うものである。

地域的な差別の枠組みであるFTAは、仮に、広域的なFTA(メガFTA)であっても理想的な解を提供する枠組みではない。

しかしながら、2001年に開始され14年を経て未だ結末の見えない、「遅さ」と「狭さ」により特徴づけられ、漂流するドーハラウンドの現状に鑑みると、WTOに現時点で過剰な期待を持つことは非現実的である。

WTOの枠組みを忘れることは、世界にとりまた日本にとって自殺行為ではあるが(Baldwin and Nakatomi 2015)、深い規律を持つFTA(deep FTA)が、当面GVCに関するルール作りと自由化の最も有望な選択肢ということにならざるを得ないであろう。

南米との貿易投資関係を考えるとき、日本と南米の大国ブラジルとのFTAは、産業界とGVCのニーズに対応した現実的な選択である。

日本は既に2000年頃からFTAの導入に舵を切り、また2010年頃を境にしてメガFTAへと政策の舵を切っているが、ブラジルもまたWTOの現実を踏まえ、GVCの要請に応えるためメガFTAに真剣に取り組む時期が来ていると考えられる。

日本ブラジル経済合同委員会が提唱する日伯FTAは、日伯双方にとってwin-winとなる、極めて適切な提案であると考えられる。

 

4. GVCの視点とFTA交渉の方向性

GVCの視点は、日本とブラジルとのFTAの交渉にどのような方向性を与えるだろうか。

GVCの整備とGVCへの参加という観点から、日伯FTAにおいて考慮すべき基本的な視点をいくつか見ていこう。GVCの視点は、日伯FTAを真に日伯産業界に資するものとする多くの示唆を与えてくれる。

 

  • サプライチェーンへの影響を念頭に置くこと

まず、交渉に当たっては、常に産業界の関心とGVCの実態を踏まえることが必要である。単に、交渉のための交渉、政府の面子のための交渉にならないようにすることが重要である。(WEF 2013参照。Think Supply Chainの視点が常に必要としている。)

 

2)グローバルな視点を持つこと(Think globally)

第2に、GVCは常に形を変え発展しており、単に2国間の関係だけを考えて、地域的な枠組みを作ることは意味がない。10年後のGVCは、地域的にも内容的にも大きく変貌しているであろうし、WTOが停滞する中で、各国はFTA網の広域化を進めて行くであろう。FTA、特に日伯のような大国のFTAでは、単に地域的なルールを作るのではなく、多国間のルール作りへの貢献を念頭に置く必要がある。

さもなければ、個々のFTAが作り出す相互に矛盾した「ルールのスパゲッティーボウル」の網の中で、実体経済は身動きがとれなくなってしまうだろう。これは、産業界にとって最悪の結果である。(WEF 2013,経団連 2013(経団連は、分野毎の「統一軸」がFTA交渉には必要としている。),Nakatomi 2013, Baldwin and Nakatomi 2015参照(日本語版は、中富 2015参照))

従来から指摘されている、「原産地規則のスパゲティボウル」は、企業がコストをかければ解消可能であるが、個々のFTAが別々のルールを作ることとなれば、その弊害は計り知れない。

 

3)包括的な視点を持つこと(Holistic Approach)

第3に、交渉に当たっては、GVCの包括的・多面的な性格を考慮して、常に包括的・総合的な視点を忘れないことが必要である。

日本もブラジルも、多くの非関税障壁を有している。ブラジルについて見れば、いわゆる「ブラジルコスト」のほとんどは、複雑で高率な税の他は、非関税障壁と国内規制に起因すると言って過言ではないだろう。

両経済界のFTA提言が言及する交渉分野はこうした包括的な視点を踏まえたものであり、概ね適切と考えられるが、その内容が今後実際に実現されていくよう、産業界は見守っていくことが重要である。

先に述べたように、関税障壁のみをFTAで交渉する時代は既に終わっている。勿論これは、関税交渉の重要性を否定するものでは全くない。現実に日伯間の関税障壁は、双方経済界に取り重要な関心事項であり、その低減は日伯FTAの不可欠の目標の一つとなる。

 

4)ヘゲモニー争いを避けること

GVCの視点は、ビジネスの視点を踏まえた柔軟な解決を要求する。

このため、FTA交渉においては、大国間の交渉が陥りがちなヘゲモニー争いを避けて、プラグマティックな解決を目指すことが重要である。

この点、日本は、多様な制度を持つアジア・ヨーロッパ・アメリカ大陸をつないでFTA網を整備しつつあるところであり、プラグマティックなアプローチと異なった制度の調和作業に習熟している。日本は、交渉において、特定の標準や規範に固執することは稀であり、経済的な覇権を争う国ではない。

ブラジルにとって、この点日本は他の大国と異なり、メガFTAの交渉相手として最適の国と言えよう。

 

5)スピードと柔軟性

GVCの変化に対応していくためには、FTAの実現に長期の時間をかけてはいけない。WTOとドーハラウンドが各国やその産業界の支持を失っているのも、その「遅さ」に大きな原因がある。

FTAの最大のメリットは、その交渉速度にあると言って過言ではなく、日伯FTA交渉も、早期に開始し、終了させる必要がある。

また、FTAは締結後も、GVCの姿に柔軟に対応していくことが重要である。この点、既存の日本のFTAに標準的に備わっているビジネス環境整備の枠組みは、FTAを現実のGVCの実態に合わせるために重要かつ適切な枠組みである。

また、FTAは当初から完璧なものでなくとも、改訂を経て内容を見直す視点を持つことも重要である。(日墨FTAの例を参照されたい。)

 

これらの諸要素を充たしつつ、日伯FTA交渉が早期に開始され、終結することにより、両国の経済関係が発展すること、更には将来的にはアジアと中南米のバリューチェーンをFTAのネットワークでつなげる契機となることを強く期待している。

 

5.関税同盟とFTA

最後に、関税同盟とFTAとの関係について一言触れたい。

ブラジルは、関税同盟であるメルコスールの一員である。メルコスールは、米国・EUとFTA交渉を行ってきたが、いずれも多様なメルコスール諸国の立場の違いもあり(またおそらくは、自国の制度にこだわりヘゲモニー争いをしがちな米・EUの要求が極めて厳しいこともあり)、進展を見ていない。

日本とメルコスールとのFTAは将来的に検討すべき課題ではあるが、おそらく、近い将来にその実現を望むことは非現実的であろう。

関税同盟を構成する国は、WTOの規律により、基本的に対外的に同一関税を維持することとなるが、関税同盟を構成するEU・トルコについて、日EU・日トルコのFTA交渉が、別々に動いていることからわかるように、関税同盟の一部メンバー国を切り離して交渉することは可能である。

また、関税同盟の規律は、基本的に物品を対象とするもので、サービスや投資については適用されない。従って、そもそも物品以外では、関税同盟の規律が日伯FTA交渉の制約となるものではなく、日伯のみで交渉することに法的制約はない。

日伯間の包括的なFTA交渉をメルコスールから切り離して先行させることは、法的に可能であるし、また現実的な選択肢であると考えられる。

本件は、法的問題というよりも、多分に伯とメルコスール諸国との政治問題であり、伯の政治意思の問題であると考えられ、日伯FTA交渉開始に向けた早期決断を期待したい。

 

 

 

(参考文献)

 

Baldwin, Richard (2012), “WTO 2.0: Global Governance of Supply-Chain Trade,” CEPR Policy Insight 64.

Baldwin, Richard and Michitaka Nakatomi (2015). ”A world without the WTO: what’s at stake?,” CEPR Policy Insight No 84(July 2015), Centre for Economic Policy Research

IADB (2014), “Synchronized Factories  Latin America and the Caribbean in the Era of Global Value Chains”

IDE/JETRO and WTO (2011), “Trade Patterns and Global Value Chains in East Asia: From Trade in Goods to Trade in Tasks”

McKinsey Global Institute (2014), “Connecting Brazil to the world: A path to inclusive growth”

Nakatomi, M. (2013), “Global Value Chain Governance in the Era of Mega FTAs and a Proposal of an International Supply-chain Agreement,” VoxEU Column, August 15, 2013.

OECD(2013), www.oecd.org/sti/ind/TiVA_BRAZIL_MAY_2013.pdf

World Economic Forum(2013), “Enabling Trade: Valuing Growth Opportunities”

経団連(2013)”通商戦略の再構築に関する提言 -グローバルルールづくりを主導する攻めの通商戦略へ-”

中富道隆(2015)“WTOなき世界:何が問題なのか?”Special Report, 経済産業研究所