第3章までを概ね書きあげたところで、コロナウイルス危機が発生し、在任中の最後の4ヶ月は筆者の仕事もほぼ全てコロナウイルス対策に取り組むことになった。この章では、日本でも大きく報道された、米国に次ぐ世界第二位の感染国であるブラジルのサンパウロで感じたことを記すこととしたい。
1 感染初期の当地状況
サンパウロでは2月26日に最初の感染者が確認されてからも、筆者が見聞した感じでは危機意識はそれほど高くなかったようであった。3月初旬に、筆者は何名かの当地有識者と意見交換する機会に、新型コロナウイルスについての話題について水を向けたが、ほとんど意に介してないようであった。当時、サンパウロ州政府関係者も学校の閉鎖などについては否定的な発言をしていた。
2 当地での危機意識の高まり
(1)潮の変わり目
こうした中、当地で潮目が変わったと思われるのが、3月11日から12日にかけてである。3月11日には、WHO(世界保健機関)が新型コロナウイルスのパンデミック宣言を行い、3月12日にボルソナーロ大統領とともに訪米したバンガルテン大統領府広報担当局長の感染が確認された頃から、当地でもにわかに新型コロナウイルス感染を深刻視する風潮が出てきた。それを端的に表す数字がある。ジャパン・ハウスSPでは、折しも、2月に始まったプロジェクションマッピングの展示Dreamed Japan が盛況で2月から3月にかけて多くの来館者に恵まれていた。3月11日(水)は2445名の来館者があり、それまでの週の水曜日とほぼ同じ来館者であったが、12日(木)はそれまでの週の20%減の来館者、13日(金)は15%減、14日(土)は42%減、15日(日)は50%減とみるみるうちに減少し、当該週の後半にかけて来館者が大きく減少した。新型コロナウイルス感染拡大の危機感が一気に高まり、サンパウロ市民も外出を控える雰囲気が出てきた。
(2)社会的隔離措置
- 3月13日(金)には、夕方になってサンパウロ市より、多くの人が集まるイベント開催自粛の要請が出され、翌日には都道府県人会連合会(県連)主催「日本祭りシンポジウム」が予定されていたことから、県連も翌日開催すべきか否か悩んでいた模様であった。その日の夜に、サンパウロ州政府の発表で、自粛を求める集会は500人以上との基準が打ち出されたこともあり、何とか開催に踏み切ったようであった。当時、サンパウロ市とサンパウロ州の打ち出す方針が調整されないままバラバラに出されていた感があった。その後は、ドリア・サンパウロ州知事とコーバス・サンパウロ市長が共同で記者会見を行うなど協調的に対応している様子が窺われた。なお、500人の基準は今から振り返るとかなり緩い基準と思われる。当時は、サンパウロ州政府も、感染拡大は気になりつつも、まだまだ経済への影響をできるだけ与えないようにしたいとの意向があったのではないかと思われる。この基準を発表した4日後の3月17日には、同基準を撤廃し、あらゆる集会の自粛を要請するとともに、文化施設などの閉鎖も実施した。3月20日には、サンパウロ州は災害事態宣言を発表し、社会的隔離措置を取るに至った。サンパウロ州の社会的隔離政策は欧米諸国よりは緩いが、日本よりは厳しい措置であった。レストランやショッピングセンターなどの商業活動は原則停止され、食料品や医薬品などの購入を除いては人々の外出は規制された。
- サンパウロの目抜き通りのパウリスタ大通りも、社会的隔離政策実施後は風景が様変わりした。日中は歩行者が激減し、変わってデリバリーを担うモトボーイと呼ばれる若者がデリバリーの発注を待って待機する光景が目立つようになった。サンパウロ州や市は、社会的隔離の実施率計測を携帯電話会社の協力を得て行なった。社会的隔離が50%を切るたびにドリア州知事より警告が発せられた。規制が始まった当初は60%近い実施率であったが、その後低下し、5月に入ると50%を切る日も度々あった。なお、パウリスタ大通りには大気汚染の度合いが高くなると警告を発する表示があるが、社会的隔離が始まって交通量が減りしばらく警告が発せられることはなかった。4月30日に久しぶりに警告が発せられたが、自粛疲れのためか車での外出が増え、交通量が増えたようであった。
- 5月中旬になると、サンパウロ州では、自粛疲れの中、隔離措置批判のデモが起きる一方で、感染拡大の勢いが衰えない状況を踏まえ、従来よりも厳しい車両ナンバーを活かした交通規制を行ったり、祝日を前倒しで実施したりして、社会的隔離率を上げる試みを行なった。その後、ロックダウンの実施が囁かれるようにもなったが、感染者数は検査数を増やしたことや州内陸部で感染が拡大したこともあり増加し続けたものの、ICU(集中治療室)を増床した結果、ICU占有率が下がりやや落ち着きを取り戻す状況となっていた。今から振り返ると、5月下旬から6月上旬あたりがサンパウロ市のICUの占有率も90%前後となり、一番心配される状況となっていた。
(3)欧米よりも早めの措置
サンパウロは、欧州や米国の感染の波の後に、その波が来たので、欧米の対策を参考にして早めの対策を講じたとの評価もある。サンパウロ州政府の資料によると、社会的隔離政策を取った時点の感染者数を比較すると、ベルギーが1243人、スペインが6391人、フランスが5423人、イタリアが7375人、イギリスが6650人であったのに対し、サンパウロ州は745人であった由である。すなわち、欧州諸国の措置を見極めつつ、早めに措置を取ったことがうかがわれる。こうした措置もあってか、ブラジル全国の感染者に占めるサンパウロ州感染者の割合は、3月15日時点で68%であったのが、5月13日には27%に減少している。また、サンパウロは、病床が不足することを見越して、パカエンブー・サッカー場、アニェンビー・イベント会場、イビラプエラ公園などに野戦病院を建設し、2000病床以上増やした他、人工呼吸器の調達を増やしつつ、ICUを増やしていった。なお、6月中旬以降、ドリア州知事は、サンパウロ州では医療崩壊は起きないと繰り返し述べるようになった。
(4)ドリア州知事VSボルソナーロ大統領
ドリア州知事にとっては、2018年10月の州知事選挙は、非常に厳しい選挙戦であったが、ボルソナーロ候補とタッグを組んで、同候補の勢いを利用し、「ボルソドリア」と銘打って当選した経緯がある。その後、徐々にお互いは離反するようになり、新型コロナウイルス危機対応を巡って両者の対立は決定的となった。対立軸は以下の2点である。一点は、社会的隔離の見解の相違である。ボルソナーロ大統領が、新型コロナウイルスを「単なる風邪」と言いつつ、社会的隔離政策を継続するドリア州知事を公然と批判したのに対し、ドリア州知事は、新型コロナウイルス対策に政治やイデオロギーを持ち込むべきではない、あくまでも科学的・医学的見地から措置を取るべき、今は命を守ることに専念すべきなどと述べ、ボルソナーロ大統領に対し真っ向から反論している。もう一点は、中国へのスタンスである。ボルソナーロ大統領周辺は、引き続き、中国へのネガティブ・キャンペーンを行い、中国との関係がギクシャクしている。例えば、3月18日、ボルソナーロ大統領の子息で外交政策に強い影響力を有するエドワルド・ボルソナーロ連邦下院議員は、新型コロナウイルスに関し中国の隠蔽体質を強く批判する発信を行なった。これに対し、ドリア州知事は、サンパウロ州にとっての特に経済分野の中国の重要性や新型コロナウイルス対策における中国の協力の重要性を指摘しつつ、中国への批判を繰り返すボルソナーロ大統領周辺を暗に批判している。両者とも、2022年の大統領選挙に出馬意欲があると言われており、早くも大統領選挙前のさや当てが始まっている様相である。なお、2020年第一四半期の輸出統計では、ブラジルの対中輸出は農産物輸出を中心に前年同期比でプラスとなっており、ブラジル経済が困難を迎えている中で改めて中国経済の重要性が浮き彫りになっている。
なお、6月18日、サンパウロ州は中国と協力して新型コロナウイルスのワクチン開発を進めることを発表したが、中国を批判するネットグループにより批判を受けた。こうしたグループはボルソナーロ大統領を支持するグループと重なっていることに留意する必要がある。これに対し、ブラジル政府はオックスフォード大学とのワクチン開発協力を発表している。
(5)ボルソナーロ政権の動揺
ボルソナーロ政権は、発足当初、4つのグループから構成されていると見られていた。まずは、ボルソナーロ大統領自身が軍人出身ということもあり、閣僚クラスを含め要所に軍人出身者が配置されている。こうした人事については、軍政時代に嫌悪感を覚えている人にとっては否定的に見られているが、ブラジル人の中には、軍の組織力・戦略性・規律に期待する向きもある。
二番目は、モーロ前法務大臣を中心とする汚職との闘いを主導するグループである。ボルソナーロ政権の看板大臣で、国民からの支持も多かったが、ボルソナーロ大統領の警察人事介入を批判して辞任した。これまでの政権の汚職体質に嫌気がさして選ばれたボルソナーロ政権であったが、子息フラビオの汚職疑惑などにより、汚職と戦う大統領とのイメージが急速に崩れ、支持率低下の要因となった。
三番目のグループが経済自由化路線を主導するゲデス経済大臣のグループである。年金改革、規制緩和、EUとのFTA合意など様々な改革を主導してきたが、コロナ経済危機対策で財政赤字が急速に拡大しており、今後の経済運営が注目される。
四番目が、子息エドアルドを中心とする反共・教条主義とも指摘されるグループである。対米関係重視、中国に対する批判、親イスラエルなど外交政策に大きな影響を与えている。対中農産物輸出がブラジル経済を牽引し中国経済の重要性が高まっている中で、こうしたグループが対中ネガティブ・キャンペーンを繰り広げている。
ボルソナーロ大統領の警察人事介入などを契機とした大統領弾劾の動きがある中で、ボルソナーロ大統領としては中道政党のサポートを得てなんとか弾劾を回避する必要があり、中道政党関係者への政府高官ポスト配分に応じざるを得ない状況になっている。これはかつてのブラジル政治と全く変わらない状況になりつつあり、ボルソナーロ政権が進めようとしている様々な改革の足かせにもなりかねない状況となっている。また、モーロ大臣の辞任により、二番目のグループの存在感がなくなり、代わって軍人出身グループの存在感が増しつつあると指摘されている。
ボルソナーロ大統領が国内外で様々な批判にさらされている中でも、世論調査では30%を下回ることはなく、岩盤支持層が存在するものと思われる。
なお、マスクをつけずに外出して支持者と握手したりハグをするなど奔放な行動をとる大統領に対しては、司法が罰金を命令するなど積極的に司法が介入し、それなりに民主主義が機能しているとの見方もある。
3 新型コロナウイルス感染拡大下の取り組み
こうした中で筆者は、以下のプライオリティのもと取り組んだ。
(1)在留邦人保護
- まず重視したのが、在留邦人の保護である。サンパウロで感染が拡大する中で、在留邦人の心配は拡大していった。感染の拡大に伴い、医療事情は大丈夫であろうか、医療崩壊により重症化した場合に十分な治療が受けられないのではないか、長期間にわたる社会的隔離に市民が耐えられず社会的混乱が起こるのではないかといった心配であった。多くの当地進出日本企業にとっては、駐在員やその家族を帰国させるのか残すのか悩ましい決断であったようである。筆者にも日本の本社などから直接、現地の状況につき見解を求められることもあった。子供も一緒に赴任している家族については帰国された方も多かったようであるが、引き続き残って業務に従事する駐在員も比較的多くおられたようである。農業ビジネス及び農産物ロジスティックは、コロナウイルス危機にもかかわらず動いているし、医療関係メーカーなどもコロナウイルス危機であるからこそ需要が増し工場が稼働している面もあった。
- 日本政府はアフリカにおいては脆弱な医療事情などを踏まえ、3月31日に在留邦人に退避を呼びかける注意喚起を発出した。他方、ブラジルにおいては、地域にもよるが医療体制はアフリカほど脆弱ではなく、それなりのレベルの病院も存在する。また、日本でも感染が拡大し、非常事態宣言も発出される中で、日本も必ずしも安全とは言えない状況があった。更に、日本まで帰国する際のフライトや乗り換え時の感染リスク、日本到着時のPCR検査や2週間の自宅などでの待機など、帰国時の行動制限もあった。こうした中、総領事館は、サンパウロから日本への帰国便が減っている中で、短期滞在者や帰国する必要のある方については早期帰国を勧める渡航情報を発出した。渡航情報は他の欧米諸国とも概ね同様であった。
- 最も懸念される事態は、サンパウロで医療崩壊が起こるとともに、日本への定期商用便がなくなるという事態であった。総領事館としては、連邦政府、州政府、サンパウロ市役所などの当局の発表する情報や商用便の情報をできるだけ迅速かつ正確に領事メールで発出するように努めた。サンパウロ州政府ともビデオ会議などを通じて緊密に情報共有すると共に、サンパウロ市国際局とも緊密に連携した。ドリア州知事は、4月24日までは毎日、27日以降は月、水、金の12時30分(その後12時45分に変更)に定例記者会見を実施し、州政府の取り組みにつき発信に努めていた。記者会見では、低所得者対策、雇用を守ること、とにかく家にとどまって社会的隔離の率を上げることなどを常に主張していた。商用便が少なくなっている状況やサンパウロにおけるICUの占有率が上がっていることなどを踏まえ、駐在員家族の帰国は進んだようである。
- 日本から見て、ブラジルの状況を心配する別の理由として、ボルソナーロ大統領が、新型コロナウイルスを単なる風邪と表現したり、マスクもつけずに支援者と握手したり、写真を撮ったりする光景や、新型コロナウイルス危機の最中に、2名の保健大臣を事実上解任しつつ社会的隔離に反対するなどの行動が繰り返し報道されたことがあったのではないだろうか。また、モーロ法務大臣の辞任に起因する政治的混乱も拍車をかけた面もある。こうした大統領の行動も日本の本社から見て不安になる要因であった。ブラジルは連邦制をとっており、最高裁の判断でも社会的隔離措置は州や市の権限とされたこともあり、サンパウロ州などは国際スタンダードに沿った社会的隔離措置をとっており、大統領が介入できる余地はあまりなかったのであるが、日本から見るとこのあたりの違いがなかなかわかりにくいようであった。筆者は、こうした違いを日本企業関係者にも説明するようにした。また、ブラジルでは長期間の自粛に耐えきれず、経済活動再開に踏み切っていると報じられていたが、少なくともサンパウロ州は、州全体の一律の規制ではなく、ICU占有率や1週間の新規感染者数などの客観的な指標に基づき、経済活動のレベルを上げたり下げたりしつつ、透明性確保に努めている。いずれにしても、ブラジルでも、他国同様、経済の停滞をできるだけ抑えつつ、人々の健康を如何に確保するかは困難な課題であった。
- サンパウロでも感染者が非常に増えていた時期もあったが、感染者増加地域は比較的所得の低い地区に多く見られた。衛生環境もよくなく、密集して生活していたことから感染が拡大した可能性がある。これに対し、日本の駐在員が住む地区は、感染はそれほど拡大しておらず、日本の駐在員もホームオフィスや日常生活での注意で幸いにもこれまでのところ感染者はそれほど多くなかった。一般のブラジル人向けの病床の占有率はかなり高くなった時期もあったが、外国人向けの病床はまだ余裕があるようであった。
- 商用便については、コロナ危機が発生してから日本への帰国便は1日2~4便程度に減ったが、航空会社関係者によれば、貨物輸送のニーズがあり、商用便がなくなることはないのではないかとの見通しを述べていた。筆者は帰国に利用した欧州系航空会社関係者に質問したところ、ブラジルから欧州に向けてブラジル産フルーツ輸送のニーズが多くあり、こうしたビジネスが寄与して乗客が少ないものの何とか定期便を運行できているとのことであった。商用便が継続していたことも安心材料であった。
- 何れにしても、6月に入ると死者数増加のペースが落ち着いてきたこと、また、ICU増加の努力の結果、ICU占有率が下がってきたこともあり、在留邦人の心配も落ち着いてきた感がある。
(2)近隣国在留邦人のサンパウロでの乗り換え支援
新型コロナウイルス感染拡大に伴い、南米の多くの国が空港閉鎖や国際線の停止措置などを取ったのに対し、南米のハブ空港であるサンパウロのグアルーリョス空港は米国、欧州、中東への商用便路線を維持していた。この空港を経由して帰国することができることから、南米在留邦人にとってサンパウロが正に南米のゲートウェイになっていた。他方で、サンパウロ乗り換えの邦人など外国人については、乗り換えのためにブラジルには入国できないとの規則が発表されたり、乗り換えのためのグアルーリョス空港滞在中もいくつかの行動規制があったり、チャーター機で近隣国よりサンパウロに到着し乗り換える乗客については、サンパウロからの商用定期便への預け荷物の引き渡しの制約もあり、こうした情報を近隣国の在外公館に伝えつつ、側面支援を行った。また、空港当局や航空会社に円滑な乗り換えを働きかけた。
(3)日本政府などの取り組みのサンパウロでの広報
ア 筆者としても、新型コロナウイルス危機期間中、安倍総理(当時)の記者会見も含め日本の施策に関するメッセージの発出に努めた。ポッドキャストでの発信、ラジオ・ニッケイのインタビュー、インスタ公開会議、ジャパン・ハウスSPでのオンラインイベントなどSNSを通じた発信を行なった。また、トヨタ、ホンダ、味の素、パナソニックなどの当地進出日本企業の新型コロナウイルス関連の貢献の広報に努めた。更に、当地日系ブラジル青年会議所(JCI)やテルマ・シライシ氏の食の普及親善大使などが主催した路上生活者に対する炊き出し支援についても当館も資金協力しつつ、こうした日系団体の慈善活動のPRに努めた。外出自粛措置の影響で移民資料館も来館者が減少したこともあり、移民資料館救済のキャンペーンも行われ、サンパウロ総領事館もこうしたキャンペーン・サポートを行った。
(4)新型コロナウイルス危機に際してのブラジルにおける中国や韓国の動き
中国は、新型コロナウイルスが自国に対するネガティヴなイメージに繋がることを懸念し、いわゆる「マスク外交」で医療関連物資の支援に余念がなかったが、ブラジル政府関係者が繰り返し、新型コロナウイルス発生源が中国であるとか、中国の隠蔽体質につき発言をしていたこともあり、ブラジルのSNS上では中国に対するネガティヴな意見が少なからず見られた。何れにしても、コロナ経済危機の最中でもブラジルの対中農産物輸出は堅調の模様である。韓国は新型コロナウイルス封じ込めに成功した国として肯定的に報じられることが多く、メディアにも多く露出していた。
(5)館員・現地職員の健康管理
館員・現地職員及びその家族の健康維持にも十分注意を払った。これら関係者に感染者が出る場合には、総領事館の機能に著しい障害が生じる可能性がある。したがって、サンパウロ州の災害事態宣言を受け、高齢現地職員の完全自宅勤務シフト、邦人保護業務などに影響を与えない形で領事窓口対応を限定した。館員・現地職員の可能な限りの自宅勤務、事務所で勤務する場合も同じ班の館員相互が極力勤務時間が重ならないようにする措置を取った。領事窓口の対応の限定は、来館者が多数来館することによる感染リスクを避けることを主な目的とした。ブラジル人の査証のニーズがある中で、日本政府による入国拒否対象地域にブラジルも含まれることになったことから、日本の入国制限に関する問い合わせの電話が急増し、その対応に追われた。
なお、館員が毎日顔を合わせなくなる事による求心力の低下を防ぐため、オンラインによる館内会議を毎日開催し、館員の情報共有に努めた。館員各自が各々の役割を果たしつつ、一丸となって乗り越えることができた。
こうした体制により、筆者在勤中は館員・現地職員及びその家族に感染者がことは何よりであるが、引き続き最大限の警戒は必要である。