会報『ブラジル特報』 2013年1月号掲載

     檀上 誠(日本経済新聞社東京編集局産業部記者・前サンパウロ支局長)


  2013年である。ブラジル経済を報じる様々な記事で、枕ことばのように使われるイベントの1つ、サッカーワールドカップ(W杯)までいよいよあと1年。準備も大詰めとなる。いや、その前哨戦であり、主催国にとってはリハーサルでもあるコンフェデレーションズカップが6月15日、ブラジリアでのブラジル対日本戦で幕を開けることを考えると、もはや「あと1年」などと構えている余裕は無い。
 ワールドカップの準備と同様、ブラジル経済にとっても2013年は正念場になりそうだ。
 2000年代に経済成長の軌道に乗ったブラジル。財政規律の確立によるマクロ経済の安定、低所得者層への所得再配分を目的とした「ボルサ・ファミリア」、鉄鉱石などの資源価格高騰など、その要因はいくつか挙げられる。BRICsをはじめとする新興国ブーム(振り返ってみれば新興国という言葉自体が一般化したのは、そう古いことではない)や、深海油田「プレサル」での大規模な埋蔵確認も、ブラジルの成長ぶりのイメージを増大した。
 だが、こうした条件のいくつかは、欧州金融危機や中国経済の減速といった環境の変化で崩れている。新興国経済について悲観的な見方も広がっているし、なかでも、足元の実質経済成長率(12年7~9月期)が年率換算で約2.4%と先進国並みにとどまるブラジルに対する見方は厳しくなっている。

マネーの流れに変化
 端的にあらわれているのが、ブラジルへの資金流入量の変化だ。
 中央銀行がまとめている外国為替取引の統計によると、2012年1月から10月末までの為替取引は186億ドルの資金流入超。ただ11年が通年で653億ドルの流入超、10年、09年もそれぞれ244億ドル、287億ドルだったことを考えると、やはり低水準といえるだろう。貿易黒字の縮小にともなって、貿易にともなう為替決済の流入超幅が縮小しているだけでなく、金融取引にともなう決済が1~10月で約36億ドルにとどまり、前年同期比で6分の1にとどまっていることが大きく影響している。
 問題は減少した資金の質だろう。つい最近までブラジル政府は、先進国の金融緩和やアジア諸国の為替安誘導を、マンテガ財務相が「為替戦争」と批判し、ルセフ大統領も「通貨のツナミ」と揶揄するほど、自国への資金流入に強い反発を示していた。いうまでもなく、通貨レアルの上昇を抑えるための発言。実際に短期的な投資に対しては金融取引税(IOF)を武器にして、債権投資への課税、海外での借り入れへの課税、先物取引への課税など次々と抜け道をふさいできた。ブラジル政府の狙いどおり短期的な投資資金や投機マネーが減少しただけなら、むしろ歓迎すべき話だ。実際、レアルは1ドル=2.0~2.1で安定し、1ドル=1.5レアル台にまで張り付いた一時のレアル高はすっかり影を潜めている。むしろ、中央銀行は過度なレアル安をけん制している。
 一方、政府にとって失いたく無いのは民間企業の設備投資。海外からの直接投資を見ると、今年1~10月が553億ドル、前年同期が560億ドルとそう大きく落ち込んでいるわけではない。投資先の業種や、投資元の国で凸凹はあるものの、おしなべて堅調な投資が続いているといえそうだ。
 ちなみに日本の直接投資は1~10月で12億ドルと、70億ドルを超えていた前年同期と比べ大きく減少している。昨年にキリンホールディングスによるスキンカリオール(現ブラジルキリン)があったことや、ここ数年、大型の鉱山投資が相次いでいた反動もあり減少が目立つ結果にはなっている。
 注目すべきなのは、ブラジルが一種の「新たな秩序」の時代に突入したかもしれないことだ。

高金利時代の終焉?
 2012年11月の通貨政策委員会(COPOM)で政策金利を年率7.25%で据え置いたとはいえ、ブラジル中央銀行は前年の9月から計5.25%の利下げを敢行した。確かにブラジル経済は低成長に陥っているが、かといってこれだけ大幅な利下げの目的が景気刺激だけだったとは考えにくい。ブラジル経済の構造問題の一端である、高金利是正が背景にあったと考えられる。

 目立たない話だが実はルセフ現大統領は、大統領選に勝利した際の演説でも金利の低下を目標として触れている。2008年ごろから日本でわき起こったブラジル投資信託ブームをはじめ海外からの投資マネー流入は、新興国ブームという背景に加え、ブラジルの高金利が投資先として魅力だったからだ。一方、過度のマネー流入はレアル高を招いて国内製造業を痛めつけた。高金利は民間企業にとって設備投資の大きな負担になるし、そもそもBNDES(ブラジル経済社会開発銀行)を除いて、長期資金の供給者が育たなかった。
 高金利は過去のハイパーインフレや、それだけの利子が付かなければブラジル国債を買う投資家がいなかったという現実から必然性があった。だが毀誉褒貶はあるにせよ、ブラジルが世界に経済の中で存在感を高めつつある中で、それほどの高金利を維持する必然性は無い。政策金利の決定権を持つ中央銀行の中枢も、政府と問題意識は共有しているはずだ。

 2013年に注目すべきは、ブラジルが「ポスト高金利時代」への備えができるかどうかだろう。
 政策金利が年率1桁台に入ったと言っても、ブラジルの銀行経営者団体の調査によると、個人向け融資の平均金利は、自動車やクレジットカードなど各種ローンの平均で月率5.63%だ。月率である。年率では92.95%に達する。それでも統計を取り始めてから初めて100%を切ったらしいが、依然として特筆すべき高金利だ。企業向け融資でも、平均では年率47.47%。政策金利が下がっても、それを生かす融資姿勢が整わなければ、消費や設備投資などを通じた経済の活性化にはつながらない。
 金融機関にしてみれば金利低下で運用先の問題も出てくる。米国でサブプライム・ローンが問題になった際、ブラジルの民間銀行関係者とブラジルの金融システムの安定性について聞いたことがあった。相手は笑いながら「自国通貨建てで(名目)2桁の利回りがある投資先があるのに、外国でリスクをとってもっと低利の投資をする必要があるかい?」と答えてくれた。
 ブラジルの高金利は、融資金利の高さという意味では経済活動の制約になっていたが、一方で確実に回る(不履行や繰り延べが無ければ、だが)投資先があり、融資金利も高率にできる口実を与えられていた。という意味で、銀行の経営安定には貢献したといえるだろう。中長期的に高金利が是正されていき、銀行間で融資金利などの競争も始まれば、銀行経営の環境は一変する。イタウウニバンコ・ホールディングス幹部は昨年11月、サンパウロで開かれた投資家向けのセミナーで「金利低下で銀行経営が苦しくなるといわれ続けて10年以上たった」と余裕を見せたが、バブル経済とその崩壊で多くの時間を浪費した日本経済の経験を踏まえれば、「ポスト高金利時代」のブラジルの金融システム安定は留意すべきかもしれない。

製造業の回復続くか
 FENABRAVE(ブラジル自動車販売店協会)の11月までの統計を見る限り、ブラジルの新車販売は2012年も増加を確保して、約370万台と過去最高となりそうだ。販売失速が取り沙汰され、工業品税(IPI)減免のカンフル剤を何度も打たれながらとはいうものの、総数を維持・拡大していることはブラジル経済の基盤が一定の強さを保っている証拠ともとれる。
 11月末に発表された7~9月期の国内総生産(GDP)の実質成長率は、前期比(季節調整値)0.6%増となる一方で、自動車などを含む製造業は1.5%増。直前の4~6月期が2.4%減とふるわなかったといった背景もあるが、農業と並んで全体を支えた。
 自動車産業に関していえば足元の販売だけではなく、2014年には日産自動車のリオデジャネイロ州での工場稼働、最大手であるイタリアのフィアットのペルナンブコ州進出などが見込まれているほか、ドイツのBMWもブラジルでの工場建設を表明している。完成車メーカーの工場建設は、部品をはじめとするサプライヤーの投資も誘発する。景気のけん引役を期待されるのは投資なのだが、直近では企業の慎重姿勢もあるのか落ち込みも目立つ。自動車の販売が順調に伸び、自動車各社が計画通りに生産設備に投資ができる環境が整うかどうかは、注視する必要がある。
 ブラジルの製造業は、輸送インフラの整備不足や高い金利、高い税負担率、複雑な労働制度などいわゆる「ブラジルコスト」のハンディキャップを背負っている。それに加えて2009年から12年前半にかけてのレアル高は、大きな爪痕を残したといえる。例えば新車販売に占める輸入車の割合は、11年12月のピークをつけた27%からずいぶんと低下したが、それでも10年ごろの水準を上回っている。需要が伸び、輸入制限などのゲタを履いてもなお国産車の競争力に限りがあるということになる。
 製造業の統計上の回復はIPI減免措置、矢継ぎ早の輸入制限策など人為的に支えられている部分も多い。ただ、こうした政策は短期的には効果を発揮しても、いずれその効果がはげ落ちる時が来る。過度な輸入制限は、レアルが過大評価される異常事態下では国際社会に言い訳ができても、現在のようにレアルを買い支える局面まで為替相場が修正されてくると、妥当性が問われる。
 ブラジルの製造業の政策の支え無しに、輸入品と競争できる水準にまで回復させられるか。中長期的に、ブラジルの成長を持続的なものにできるかどうかの分かれ道になる。