会報『ブラジル特報』 2013年1月号掲載

                          山田 彰(外務省中南米局長)


 新年にあたり、皆様の益々のご健勝をお祈り申し上げます。

 昨年1月、中南米局長を拝命し、この一年間、ブラジルを含む対中南米諸国外交に取り組んで参りました。リーマン・ショック、欧州経済危機などもあって、世界経済の行く末を見通すことが容易でない中で、中南米地域は近年めざましい経済成長を遂げ、アジアと並ぶ世界経済の成長センターと目されるまでになっています。なかでも、ブラジルは、広大な国土と豊富な資源・食糧といった潜在的な国力に加え、レアル計画によるハイパー・インフレの沈静化、15年以上にわたる一貫した経済政策などを通じて、2期8年間のルーラ政権時代に債務国から債権国に転換し、後継者のルセーフ大統領が就任した2011年には世界第6位の経済大国になりました。長い間「未来の大国」と呼ばれてきたブラジルは、今や「現在の大国」としての地位を確立しつつあります。以下、年頭にあたり、世界におけるブラジルの位置づけを考察しつつ、今後の日本とブラジルの関係について展望したいと思います。

経済力に裏打ちされた国際社会での地位の向上
 ブラジルは、人口1.95億人、面積は世界第5位、世界の熱帯雨林の3分の1を擁し、潜在的耕地面積も2億ヘクタールを数え、農業大国・資源大国でもありますが、長年、揶揄を込めて「未来の大国」と呼ばれてきました。しかしながら、1985年の民政移管以降、民主主義国としての政治的安定を維持し、90年代半ばから15年以上にわたる一貫した経済政策が実施されてきました。ルーラ前政権時代の貧困層への所得補助も国内消費者層の底上げに寄与し、中間層増大、消費者市場の拡大は、内需主導による経済成長に結びつき、2007年には世界第10位であったGDPは、11年には英国を抜いて世界第6位に躍り出て、いまや「現在」の大国と呼ぶにふさわしい存在になりました。欧州経済危機の影響による景気の減速はみられるものの、資源価格上昇を背景に、ブラジルはここ数年平均4%の経済成長を遂げています。このような経済力の上昇にともない、ブラジルは、G20の一員としてのみならず、通貨、開発、環境など様々な分野で、国際社会での発言力を高めています。
 中・長期的には、資源輸出依存度を下げること、国際的な競争力を持つ国内産業の育成、いわゆるブラジル・コストと呼ばれる税制・法規制の改正、長期的投資を阻害する高金利環境の改善、成長の足かせといわれるインフラ整備の推進などの課題はあるでしょう。しかし、昨年6月には国連持続可能な開発会議(リオ+20)を成功裏に開催し、2014年のワールドカップ、16年のリオ・オリンピック大会、ひいては、22年のブラジル独立200周年に向けて、ブラジルはさらなる飛躍を遂げ、国際社会での地位を高めていく、まさに「黄金の10年」になるのではないかとの声も聞かれるようになっています。

 昨年11月のスペインでのイベロサミットに出席したルセーフ大統領は、経済紙のインタビューに答え、ブラジルの年間GDP成長率について、最低4%以上が望ましいと述べ、そのためには、単に国内産業を保護するのではなく、より国際競争力のある産業を育てていくことが必要であるとの認識を示しました。また、ブラジル政府として、長期の投資資金源を獲得するため、資本市場を近代化し、投資を活性化するための一連の対策を準備中であること、製造コストを削減するための一連の政策(社会保障負担金の減免,商品流通サービス税(ICMS)の統一等)や,特別契約制度の導入によるインフラ整備推進に取組んでいるなど、ブラジルの経済政策の現状や方向性について説明しました。
 南米諸国が保護主義的な傾向を示しているのではないかとの懸念が存在する中、ブラジルも、産業振興の一環として自動車に対する工業製品税の引き上げ、関税の引き上げなどを行っています。国際的地位の高まる中で、国際的な枠組み、秩序の維持・形成におけるブラジルの影響力や責任は、かつてよりはるかに大きくなっていくでしょう。

ルセーフ政権二年目の内政
 ルセーフ大統領は、就任一年目にして、閣僚の汚職問題に直面しましたが、不正を断じて許さないとのメッセージを内外に明確に示して綱紀粛正を進め、ルーラ前大統領を超える高い国民の支持率を維持しています。2012年には、05年のメンサロン事件(与党による議員買収事件)(注)を超える一大汚職事件ともいわれた違法賭博元締めのカショエイラと複数の政治家との癒着問題が公になり、連邦議会調査委員会が設置される事態が発生しました。またメンサロン事件の裁判も行われ、汚職問題が政権に及ぼす影響についても取りざたされました。ルセーフ大統領は、「我々は汚職には断固反対であり、この点について譲るつもりはない。政府には、国民の良質な公共サービスを提供する義務があるが、そのためには、合理主義、成果主義および透明性が必要である。」(2012年3月,ヴェージャ誌)と対外的に述べたように、党派などを超えて汚職追放・政治倫理の向上に取り組む姿勢を明確にしました。東南部および南部の有識者層も含む,すべての社会層、すべての教育水準において大統領の支持率が上昇しています。こうした幅広い国民の支持は、安定した政権運営の基盤となっています。

 2012年5月の真相究明委員会の発足にいたるまでの過程も、ルセーフ大統領ならではの取り組みといえましょう。ルセーフ大統領は、1964年から85年まで続いた軍事政権時代に、極左活動家として治安当局に身柄を拘束され、拷問を受けたこともあります。しかしながら、私的利害関係を超え、軍政時代の人権侵害に対する責任を追及するためではなく、真相を究明することを目的とすることを明確に示し、故フランコ元大統領を除く、民政移管後のすべての大統領(サルネイ元大統領、コロール元大統領、カルドーゾ元大統領、ルーラ前大統領)の立ち会いの下、軍政時代の人権侵害について調査する真相究明委員会を発足させました。発足に先立ち、一部退役軍人からの反発もありましたが、軍の最高司令官としての指導力を発揮して、アモリン国防相を通じて対応にあたらせ、事態を収拾しました。
 また、2012年10月の市長選挙は、14年の州知事選挙・大統領選挙を控え、前哨戦として注目を集めました。最大の焦点だったサンパウロ市長選では、ルーラ前大統領の推薦、ルセーフ大統領の応援を受けた労働党のアダッジ候補が選挙戦終盤に追い上げ、決勝投票では社会民主党(PSDB)のセーラ前サンパウロ州知事を破り、当選しました。今回の市長選では、当選者数では,ブラジル社会党(PSB)が前回比48%増と躍進しましたが、市長が選ばれた各都市全体の人口・予算規模で見ると与党労働者党(PT)が最大でした。

日本とブラジルのさらなる関係強化
 2012年5月には、野田総理大臣とルセーフ大統領の電話会談が行われ、ルセーフ大統領からは、日本政府からの招待に対し、できるだけ早い訪日への関心が示されました。
 2012年、ブラジルからは、ピメンテル開発商工大臣が、海事分野での協力推進や日本ブラジル経済合同委員会出席のため2回来日したほか、7月の防災閣僚会議in東北にはベゼーラ国家統合大臣が来日するなど、ブラジル政府要人の来日が相次ぎました。日本からは6月の国連持続可能な開発会議(リオ+20)に玄葉外務大臣が出席し、パトリオッタ外相との外相会談が行われました。
 外相会談でも言及されたブラジル政府の理工系学生の10万人送り出し計画である「国境なき科学計画」については、ブラジル国内での公募が始まり、第一陣が本年秋にも来日する予定です。両国関係は様々な分野での人的つながりによって支えられており、この新たな計画からも、将来の両国関係の強化に貢献する人材が輩出されることになるのではないかと期待しております。

 ブラジル経済の好調にともない、日本企業のブラジル進出も活発になっており、2009年から11年3年間に日本からの直接投資は飛躍的に増加し、オランダ、米国、スペインに次ぎ,第4位の対ブラジル投資国となりました。日本ブラジル間貿易も堅調な伸びを記録しています。
 日本とブラジルは、伝統的に友好的な二国間関係を強化するにとどまらず,相互理解を深め、両国の戦略的関係を一層推し進めながら、様々な地球規模の課題に取り組むパートナーとしても,関係を強化していくべきであろうと考えています。ブラジルの「黄金の10年」を迎えて、日本ブラジル中央協会の果たす役割は益々大きくなると考えます。引き続き、皆様のお力添えを賜れれば幸甚です。

(注)メンサロン事件
 2005年,政府が議会の支持を取り付けるため,政府広報費等を事実上横領して捻出した資金を使って与党議員を買収していたとの疑惑が発覚し,政権を揺るがした事件。第1次ルーラ政権およびPTの中心的メンバーであったジルセウ文官長、グシケン広報庁長官、クーニャ下院議長、ジェノイーノPT党首等が揃って辞任(肩書きはいずれも当時)。2012年8月から公判が開始され、グシケン広報庁長官は無罪となったが、同年10月、ジルセウ元文官長およびジェノイーノ元PT党首らの有罪が確定し、現在各被告に対する量刑の審議が開始されている。

       (本稿は筆者の個人的見解であり,外務省の見解を代表したものではありません。)