会報『ブラジル特報』 2013年5月号掲載
<文化評論>
                        岸和田 仁 (『ブラジル特報』編集委員、在レシーフェ)


弊協会の理事を長年にわたって(1999年から2010年まで)つとめられた西沢利栄教授(元筑波大学教授)が、2月4日永逝された。

 気候学・自然地理学を専門とする西沢教授は、1970年代から、30年以上もブラジル各地(主としてノルデスチとアマゾン)でのフィールド調査を行い、その結果を論文や著書に発表されてきた。一般読者をも対象とした著書のみ列記すると、『自然のしくみ』(古今書院 1992年)、『アマゾン−生態と開発』(西沢利栄・小池洋一共著 岩波新書 1992年)、『熱帯ブラジルフィールドノート』(国際協力出版会 1999年)、『アマゾンで地球環境を考える』(岩波ジュニア新書 2005年)、『アマゾン−保全と開発』(西沢利栄・小池洋一・本郷豊・山田祐影共著 朝倉書店 2005年)といった作品を挙げることが出来る。英文でも多くの論文が書かれたが、一冊あげれば“The Fragile tropics of Latin America”(United Nations University Press 1995年)。

 大学教授としては、立教大学、筑波大学、東京成徳大学で教育と研究を続けられたが、米国のオハイオ大学でも教鞭をとられている。1993年から99年まで、「G7ブラジル熱帯雨林保全パイロット・プログラム(PPG7)」の国際諮問委員会委員も務められるなど、国際的な活躍も自然体でこなしてきた学者であり、その業績を評価したブラジル関係当局からは、1987年にリオ名誉市民章(Pedro Ernesto勲章)、95年にリオブランコ勲章を受章されている。

 理学博士としての知見を活かした地域研究は、人文科学や社会科学からのアプローチでは出来得ない学際的にしてユニークなものであり、あらためて再評価されるべきと筆者は考えているが、この機会にいくつか復習しておきたい。
 まずはノルデスチ内陸部に関する研究論文を再読したい。この論文は、『日経サイエンス』誌に掲載され、1993年度の地球産業文化研究所賞を受賞したことで、当時関係者の話題を呼んだものだ。この論文「ブラジル北東部半乾燥地域における樹木の特性と利用」の要旨を乱暴にまとめると次のとおり。
 「ノルデスチ内陸部の半乾燥地域カーチンガ(有棘灌木林)に原生する16樹種につき、年水貯留量に対する反応率と年水不足量に対する耐久力を調査した。その結果、これら樹種は、A,B,Cの三グループに分けられ、A,Bに属する樹種は15年もすると成木になり、経済的利用価値があることを確認できた。群落遷移からいっても、A=初期相、 B=途中相、 C=極相、であることが判明した。
 現在のノルデスチでは、これらの樹種は燃料、木炭、パン焼き、牧場用柵などに利用されているが、A,Bグループに属する樹種(ジュレーマ・プレタ、アロエイラなど)を効果的に植林すれば、さらに大量の供給が可能となる。これらを木炭に利用し、例えばアマゾンのカラジャス製鉄に使用すれば、アマゾン熱帯雨林の無秩序伐採の防止にもつながる。こうしたアマゾンとノルデスチの相互補完関係は、植物資源の開発と管理に役立ち、環境問題解決への一助となる。」

 同様の主旨は、先生の著書『アマゾン』(1992年)や『自然のしくみ』(1992年)でも展開されているが、半砂漠地帯は不毛で灌漑がなければ何もできないとの通説からは想定もできない提言、すなわちカーチンガ原生の植物資源を活用する持続的開発の具体的提案であった。経済学者が経済統計データからひねり出す開発案では、こうした開発アイデアは出てこない。
 アマゾン研究に関しては、「アマゾンの環境問題は、実は日本そしてわれわれ日本人に対する問いでもある」(岩波新書『アマゾン』)と警告された先生は、『現代ブラジル事典』(新評論 2005年 20頁)にこう記されている。
 「国立アマゾン研究所のファーンサイドの研究によると、アマゾンの既設貯水池から発生したメタンガス量は一年間で約26万トン、二酸化炭素量は380万トンと推定されている。そしてこれらは、それぞれ全世界の発生量の0.08%と0.15%に相当するほどの莫大な量である。(中略)以上のように、森林に覆われたアマゾン流域の河川を堰きとめて貯水池を築造したり森林を乱伐したりすることは、地球温暖化効果ガスを発生させ、地球環境を悪化させる大きな危惧があることに注意しなければならない。」と。

 最後に若干私的回想をさせていただくと、大学の弟子でも生徒でもなかった筆者が、当時立教大学教授であった西沢先生の研究室を訪ねたのは、おぼろげな記憶に頼るならば、1977年のことだった。それ以来、私的な勉強会やら関係研究者との討論やらに首を突っ込んだり、ジョアキンナブーコ財団での研究成果発表会で通訳を担当したり、随分と“無料で”勉強させていただいた。時には共同研究の調査先(サンパウロやレシーフェ)で同行教授陣と論争してしまったり、なんとも不躾な“押し掛け書生”だったが、おかげで視野が限定されがちの文系の研究視点とは異なる、理系の学際的地域研究のあり方を教えていただいた。

 西沢先生の遺徳を偲びつつ、あらためて合掌。