会報『ブラジル特報』 2013年5月号掲載
<エッセイ>
                        山本 綾子 (『ブラジル・カルチャー図鑑』著者、在ベレン)


 ヴェロペーゾ市場 ―初めてベレンに降り立った旅行者には、足を踏み入れるのも憚られる場所だ。薄汚れた治安の悪い場所に映るかもしれないが、ベレン暮らし2年の筆者は、この市場が「アマゾンの食の魅力」を最も体感できる空間だと思う。

 市場はコーヒーミルク色の大河に沿って細長く続き、大小様々な珍魚や地元産の野菜、生きた鳥、穀物類、塩漬けされた干し海老、カラフルな熱帯果物が並ぶ。あちこちで掛け声が飛び交うような活気ある市場ではない。強い日差しとねっとりとした空気に包まれる中、屋台に座るおじさんは隣の仲間と世間話をしながら、今日も売れるだけ売ればいい、という実にのんびりした雰囲気だ。客も買い物が済めばさっさとその場を離れていく。地元生活の日常がみえる場でもある。

ヴェローゾ市場(筆者撮影)
 ブラジル北部の港町にあるこのローカルな市場に、最近、国内外の一流シェフがアマゾン料理研究のために通い詰めている。そのうちの一人、サンパウロの高級ブラジル料理店“brasil a gosto”の有名女性シェフAna Luiza trajanoは、ヴェロペーゾ市場に「アパイショナーダした(≒恋に落ちた)」と語る。

 彼女は、4か月ごとに国内各地へ出かけ地元料理を研究しては、創作メニューを生み出し店の期間限定メニューとして発表する。本格的なブラジル郷土料理研究家であり料理人だ。

“brasil a gosto”のAnaシェフと(筆者撮影)
ブラジル料理の代表格といえば、フェイジョアーダ(フェイジョン豆と肉の煮込み)、シュラスコ(多種の部位の肉の炭火焼き)だろうか。少し詳しい方であれば、ムケッカ(魚介と野菜の煮込み)やバカリャウ(塩干し鱈)料理などもご存じかもしれない。いずれにしてもごった煮系の濃厚料理が多いが、コンテンポラリー料理と称される新しいブラジル料理は量も見た目も洗練され、これまでのイメージを打ち破る姿かたちに一変する。
 例えば、パラー(州都はベレン)料理に欠かせない、マンジオッカ(キャッサバ)芋の絞り汁を発酵させて毒素を抜いた黄色いスープ「トゥクピー」は、現地では家鴨や魚料理に使われるが、Anaシェフの手にかかると、脂身の多いテール肉と煮込んでサッパリ感を出し、マンジオッカ芋のピューレの上に美しく飾られる。このメニューは人気が高く、店の固定メニューに昇格した。
“brasil a gosto”の一皿。
テール肉のトゥクピー煮込み(筆者撮影)
Anaシェフは筆者に、アマゾンの食材には特別な思い入れがあると熱っぽく語った。第一の理由は、大河と熱帯雨林に囲まれたアマゾン地帯には、南部にはない珍しい食材が豊富なこと。さらに、インディオが伝えた食文化は、1500年のポルトガル人の到達以降に生まれた食文化より遥かに古い、まさにブラジルの「郷土料理」だからである。アマゾン食文化はブラジル料理の原点であると同時に、多くのシェフにとって自分の国の生来の姿を理解するヒントであり、創作料理の発想の泉となっているようだ。
Anaシェフ達が起こす料理の革命は、今のブラジルを象徴する変化とも思える。近年の景気のよさにともない、多くのブラジル人はレストランで外食する機会が増え、国内外への旅行も身近なものとなった。外部との交流が活発になり、余裕が生まれたことで、自分たちのアイデンティティを再発見するようになり、食に代表される地方文化の見直しも行われているのではないか。

 日本からの旅行者や出張者は、たいていサンパウロ、リオデジャネイロなどの大都会を訪ねるが、今のブラジルは地方を見てこそ理解できることもありそうだ。筆者の暮らすベレンまで足を延ばし、ヴェロペーゾ市場を散策してアマゾン料理を味わえば、ブラジルの今を生み出すパワーの源泉を体感できるはずだ。

『ブラジル・カルチャー図鑑』
ファッションから食文化までをめぐる旅
ガイドブックには載らない、リアルなブラジル各地のカルチャーを全54トピックスで紹介している。92~93頁に「ジャングルと大河の恵み アマゾン料理」、110~111頁に「ブラジル流コンテンポラリー料理」と題する関係記事が載っている。(麻生雅人・山本綾子編著  スペースシャワー・ブックス発行  2012年12月 1,800円+税)