会報『ブラジル特報』 2009年9月号掲載
岸和田 仁(協会理事)
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ベルリンフィルのチェリスト12人とソプラノ中丸三千繪によるアルバム『South American Gateway 』のリリースは8年前であったが、クラシック専門家たちがピアソラやジョルジ・ベンなどの南米音楽を取り上げたという“意外性” に音楽界では結構話題となったのであった。このなかでメインディッシュといえるのがヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ第一番」と「ブラジル風バッハ第五番」であり、なかでも「第五番」は、アリアのあとに歌われる詩が、ペルナンブーコ出身の詩人マヌエル・バンデイラのもので、「イレレ、カリリのセルタンの小鳥よ、わが愛する人はいずこ?…」とノルデスチ住民には懐かしい小鳥の名前が続く失恋の歌だ。
ブラジル的心性の原風景といってよい、この名曲を聴くたびに、海外に住むブラジル人は、故郷を思い出してはサウダージに浸ってしまうことになる。 モデルニズモ(近代主義)を高らかに宣言した1922年2月の「近代芸術週間」でオーケストラを指揮した時、燕尾服にサンダルといういでたちで現れたヴィラ=ロボスは、自ら神話を創り出して楽しんだり、様々な奇行でも知られた人物だ。交響曲からピアノ協奏曲、オペラからショーロ、童謡まで、狭いジャンルを飛び越えて作曲しまくったが、その影響力は今日まで広範に亘っている。 日本語で読めるものとしては、アンナ・シック『白いインディオの想い出』(鈴木裕子訳、トランスビュー)があるが原文は仏語であり、定説を百科全書的に要約した記述になっていて、やや物足りない。2003年に出版されたパウロ・ゲイロス『エイトール・ヴィラ=ロボス』はポレミックな内容が満載で筆者にはこちらがお奨めだ。今回再読したが、やはり面白い。 定説に従えば、青年時代(20歳の前後数年間) バイーアからペルナンブーコまで旅をし、一旦リオに戻ってからサンフランシスコ河を下り、さらにアマゾン河上流域の奥地まで探索した。この経験からブラジル民俗音楽を肌で吸収し、西洋音楽との“弁証法的”融合を試行した結果、彼独自の音楽世界が形成された、とされている。(ゼリト・ヴィアナ監督の映画『ヴィラ=ロボス』(1999)でも、主演のアントニオ・ファグンデスがアマゾン奥地を彷徨する場面は印象的である。)というのも、交響詩「アマゾン河」(1917)、「ブラジル密林の郷愁」(1927)、「奥地の思い出」(1930)、「熱帯林の夜明け」(1954)などでわかるように、アマゾンは彼にとって重要なテーマであったからだ。丹念な調査・検証のうえに組み立てられたゲイロスの新説によれば、ノルデスチには間違いなく行っているが、アマゾンには足を踏み入れてなく全てイマジネーションの産物だ、となる。 とまれ、音楽においてナショナリズムを追求・表現したヴィラ=ロボスの存在感は、没後50年たってもいささかも薄れず、多義的な魅力は益々高まるばかりである。 |