会報『ブラジル特報』 2009年9月号掲載

                              岸和田 仁(協会理事)


 ベルリンフィルのチェリスト12人とソプラノ中丸三千繪によるアルバム『South American Gateway 』のリリースは8年前であったが、クラシック専門家たちがピアソラやジョルジ・ベンなどの南米音楽を取り上げたという“意外性” に音楽界では結構話題となったのであった。このなかでメインディッシュといえるのがヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ第一番」と「ブラジル風バッハ第五番」であり、なかでも「第五番」は、アリアのあとに歌われる詩が、ペルナンブーコ出身の詩人マヌエル・バンデイラのもので、「イレレ、カリリのセルタンの小鳥よ、わが愛する人はいずこ?…」とノルデスチ住民には懐かしい小鳥の名前が続く失恋の歌だ。

 ブラジル的心性の原風景といってよい、この名曲を聴くたびに、海外に住むブラジル人は、故郷を思い出してはサウダージに浸ってしまうことになる。

 ブラジル風クラシック音楽を世界レベルに押し上げた作曲家エイトール・ヴィラ=ロボス(1887−1959)は、総作曲数が1000以上と質的にも量的にも大きな仕事をした奇才(にして鬼才) であったが、彼が鬼籍に入った1959年11月17日から数えて、今年は50年となる。没後50周年記念ということで、コンサートやイベントの開催、関連書籍の出版などが、ブラジルばかりか、パリ、ニューヨーク、東京、北京など世界各地で予定されている。

 モデルニズモ(近代主義)を高らかに宣言した1922年2月の「近代芸術週間」でオーケストラを指揮した時、燕尾服にサンダルといういでたちで現れたヴィラ=ロボスは、自ら神話を創り出して楽しんだり、様々な奇行でも知られた人物だ。交響曲からピアノ協奏曲、オペラからショーロ、童謡まで、狭いジャンルを飛び越えて作曲しまくったが、その影響力は今日まで広範に亘っている。

 例えば、ボサ・ノヴァを生み出したトム・ジョビンは、少年時代から彼の曲から天啓を受けており、「彼は天才だ」と繰り返し語っていた。(一番有名なエピソードは、1956年青年ジョビンが騒音で囲まれた街中の仕事場に老作曲家を訪ねた話で、騒音が気にならないかとのジョビンの質問に対し、ヴィラ=ロボスは「お若い人よ、外側の耳は、内側の耳となんの関係もないものだよ」と答えたとか。ジョビンはこの「内側の耳」の精度を上げることが出来たのは、ひとえに老師のおかげと語っている。) 「彼は強い独創的なリズム感に富んだ作曲家で、その作品はどれも他の作曲家が見出せない色彩を持ち、目を眩ませる輝きと神秘的な憂鬱さは、ブラジルの風景と魂を神秘的に表現している」と述べたのはS・ツヴァイク(『未来の大国ブラジル』)であったが、その神秘性に魅せられた人たちによって40冊以上もの評伝が刊行されている。

 日本語で読めるものとしては、アンナ・シック『白いインディオの想い出』(鈴木裕子訳、トランスビュー)があるが原文は仏語であり、定説を百科全書的に要約した記述になっていて、やや物足りない。2003年に出版されたパウロ・ゲイロス『エイトール・ヴィラ=ロボス』はポレミックな内容が満載で筆者にはこちらがお奨めだ。今回再読したが、やはり面白い。

 定説に従えば、青年時代(20歳の前後数年間) バイーアからペルナンブーコまで旅をし、一旦リオに戻ってからサンフランシスコ河を下り、さらにアマゾン河上流域の奥地まで探索した。この経験からブラジル民俗音楽を肌で吸収し、西洋音楽との“弁証法的”融合を試行した結果、彼独自の音楽世界が形成された、とされている。(ゼリト・ヴィアナ監督の映画『ヴィラ=ロボス』(1999)でも、主演のアントニオ・ファグンデスがアマゾン奥地を彷徨する場面は印象的である。)というのも、交響詩「アマゾン河」(1917)、「ブラジル密林の郷愁」(1927)、「奥地の思い出」(1930)、「熱帯林の夜明け」(1954)などでわかるように、アマゾンは彼にとって重要なテーマであったからだ。丹念な調査・検証のうえに組み立てられたゲイロスの新説によれば、ノルデスチには間違いなく行っているが、アマゾンには足を踏み入れてなく全てイマジネーションの産物だ、となる。

 とまれ、音楽においてナショナリズムを追求・表現したヴィラ=ロボスの存在感は、没後50年たってもいささかも薄れず、多義的な魅力は益々高まるばかりである。