執筆者:川上直久(ブラジル中央協会 理事)

 

ブラジルをより良く理解するためには、ブラジル人の気質・考え方を知ることが極めて重要且つ効果的と常々考えていました。しかしそれをアカデミックに論じることは、社会人類学に全く知見を有しない私には不可能です。従って私の20年近いブラジル駐在期間中に知り合ったブラジル人、特に私が担当していたCENIBRA事業に携わったブラジル人やCENIBRA関連の業務の合間に日本製の紙の販売で付き合ったブラジル人について、私が実際に体験した事柄に基づいて私見をまとめてみました(かなり独断的な意見かも知れませんが…)。

CENIBRA工場全景

CENIBRA工場全景

1)ブラジル人は陽気で快活

こんなことは言われるまでもなくラテン人なら誰にも当てはまる、と言われると思います。ただここで私が言いたいのは、「陽気で快活な人間ほどブラジルでは出世する」ということです。CENIBRAのブラジル側パートナーであったCVRD社(現VALE社)のM氏などはその好例で、初対面の人にもMuito prazer !とは決して言わず、常にOla! Tudo bem !の一言で通しました。彼はUFRJの化学エンジニアリング卒後、商工省リオ・キャビネットでブラジルの紙パ産業の将来を検討するチームを率い、偶々その時期に日本とチップ事業を推進し始めたCVRDに入社、いきなり木材・チップ部の本部長に就任、以降取締役、植林子会社社長、CENIBRA社社長と順調にキャリアを積み、民営化直前のCVRD社社長候補にまで挙がるも(これは結局S氏に決まった)、その後ブラジルでもトップ・クラスの紙・パルプ製造会社S社の2代目社長に引き抜かれ同グループのパルプ会社のCEOとなり、さらには同社のC-Aメンバーとなり、現在はサンパウロ在の大手企業数社のC-Aメンバーを兼務しています。私とは同年齢で、子供もほぼ同じ年であることから極めて親しく、私が訪伯するたびに自宅で共通の友人を招いてシュラスコ・パーティーを開いてくれます。

2)ブラジル人は徹底したエゴイスト

エゴイストとは自己の利益を最優先で考える人を指しますが、ブラジル人の場合はちょっと違います。自分だけではなく自分の家族も含めてその利益を最優先するということで、家族愛的なニュアンスがあります。後で述べるPANELAや真のAMIGOになれば家族同様の付き合いをしてくれるようになり、小我のエゴイストから大我の他人をおもんぱかる人に変わることが良くあります。

 

3)ブラジル人は新しもの好き

CENIBRAが操業開始後の3年間の赤字から脱却し黒字転換を果たした1980年頃にブラジル側はコンピューターの導入を提案しました。しかし日本側はまだ累積損があり、日本の製紙会社も導入は極く限られた会社のみであることから時期尚早を訴え、結局断念させましたが、ブラジル人の新しもの好きの好例と言えましょう。

他にも世界に先駆けて電子投票制度を採り入れたこと、テレビの地デジ方式は日本方式(ISDB=T)の採用が決まり2007年12月より放映が開始されました。局によって地デジの16:9放映と従来の4:3のアスペクト比の番組が混在する状態だったそうですが、その中で下記の4Kテレビがデモ用とはいえ店頭に飾られるなど、新しもの好きの面目躍如と言ったところ(2014年のブラジルW-Cでは結局4Kの試験放送も行われませんでした)。

ところで16:9のアスペクト比のTVを購入したブラジル人の中には、4:3の番組でも画面一杯に映像を映し出して見ている人が多かったといいます(小生もレストランなどのTVで横に太って見える人物を良く見かけました)。これは「せっかく画面が16:9と大きいのだから多少太って見えても画面一杯で見なければ損」というちょっと風変わりなブラジル人的発想かな、と思っていましたが、後日聞いた話では16:9の画面で4:3で見ていると両サイドの黒帯部分が焼け付き、16:9の番組受信時に両サイドが薄黒く見えてしまう、というデマがネットで流されたからだと知りました。こちらの方が説得力があり、なるほどと思った次第です。なお現在販売されているハイビジョンTVはすべて4K対応とのこと。4K放送がいつから始まるのか、全く未定なのに…。

サンパウロの電気販売店の店頭に展示されたソニーの4Kテレビ

サンパウロの電気販売店の店頭に展示されたソニーの4Kテレビ

4)ブラジル人はプライドが高い

CENIBRAの建設時代の話ですが、ブラジル人技術者は技術指導に来伯していた日本人技術者の言うことには真摯に耳を傾けず、しばしばトラブルが発生しました。理由はユーカリ・パルプを原料とした製紙ではブラジルの方が日本よりはるかに経験があり、日本人技術者は殆ど経験ないではないか、というブラジル人技術者のプライドが原因でした。一方パルプ製造機器の主要部分は殆ど北欧メーカーであったため、北欧技術者の言には真摯に耳を傾けると言った現象もあり、初期の日本人エンジニアは思わぬ苦労を強いられたのです。

 

 

5)賄賂に対する罪悪感が極めて希薄

ブラジル人警察官がスピード違反や駐車違反に対し「見逃すから金を寄こせ」というのは、日本人駐在員の誰もが経験済みのことと思います(小生自身もそれぞれ1回経験しました)。彼らの給料の低さからすればある程度止むを得ないなという気もしないではありませんが、かなりの高給取りまで「賄賂はビジネスの潤滑油」と考えている節があります。

私が日本製の中質コート紙(ロトグラビア紙)をMANCHETE社に売り込みに行った時の話ですが、「いくら品質が良く価格が安くてもお前のやり方では成約出来ないョ」と購買部長から言われたことがあります。露骨に賄賂を要求されたのです。また私が取り組んできたCENIBRA社でも販売関係のトップが首になるという不祥事がありましたが、これも賄賂がらみでした。2015年から2016年にかけての『ラバ・ジャット』に端を発した一連の政府高官の巨額賄賂事件も掛かるブラジル人の考えが底流にあるからでしょう。

 

6)安易にコンサルタントを起用する

CENIBRAの初期にCVRDから指名された社長が日本側の反対を押し切って、米国のブーズアレン・ハミルトン社を起用して社内組織を研究・作成させたことがありました。その結果本部長制が敷かれることになりましたが、これは当時のCVRDの組織とほぼ同じ内容のものでした。今になって思えば上記で述べた裏取引があったのかも知れません。なおこの本部長制は役員が兼務出来るようにはなっていましたが、専任本部長は役員ではないため、給与が一般従業員と同比率で増加して行き、取締役報酬を上回る事態になったため後日廃止されました。

 

7)ちょっと事業が旨く行き始めるとすぐ増設を主張する

CENIBRAの経営が順調に推移し、黒字転換(1980年)、累損一掃(1983年)、初配当実施(1985年)がなされると、従来CENIBRA工場の倍増を主張していたCVRD側の主張はますます勢いを増してきました。これに対し、倍増は販売見込みの点からも時期尚早であるとの立場から日本側は消極的で、何とか増設を先送りしようとしましたが、CVRD側の主張は強硬で、日本側も安全対策の見地から、回収ボイラーの増設(CENIBRA工場は元々年産22.5万トンのパルプ生産能力の工場として設計されていましたが、その後ボトル・ネック部分の増強を徐々に行い、1987年には年産35万トンとなっていました。ために回収ボイラーは高負荷運転を余儀なくされており、爆発の恐れもあったのです)に合意。その後倍増のためのF/Sが正式に行われ、1990年には増設合意が日伯間でなされました。倍増工事の着工までには原木供給問題等の諸問題解決に時間が取られたこともあり、着工は数年遅れましたが、1995年には工期・予算とも計画内に納まるというブラジルでは考えられない上首尾の下完成。1996年4月には当時のフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ大統領陪席の竣工式が挙行されました。

CENIBRA増設竣工式典にて FHC大統領の左は当時のCENIBRA社のジーザ社長、一人おいてエドアルドMG州知事。右端は筆者。

CENIBRA増設竣工式典にて FHC大統領の左は当時のCENIBRA社のジーザ社長、一人おいてエドアルドMG州知事。右端は筆者。

8)パネーラ(PANELA=『鍋』の意)と言われる人間関係

ブラジルにはパネーラと呼ばれる「親分ー子分」の関係が存在します。親分が移動すれば子分も同じ移動先について行くという習慣です。

CENIBRAにも同業他社のエンジニアが数多く引き抜かれて入社しましたが、CVRDが所有株式を日本側に売却し、CENIBRAが日本100%の会社になった(2001年9月)時、当時のCENIBRA社長のパネーラ数名、技術者数名が他社にこぞって移動し、すくなからぬ影響をCENIBRAに与えました。

 

9)ブラジル人は時間にルーズ?!

CVRDの社長を2度に亘り勤め、鉱山動力大臣も勤めたエリエゼル・バチスタ氏については皆さん良くご存知と思います。彼は会議の席でも良く「ブラジル人の時間はelásticoだ」と言って、ブラジル人には時間を守らねば、という概念が極めて薄いと語っていました。実際そのとおりだったのですが、昨今は変わってきているのでは、と思える経験をしました。昨年末セアラ州のペセン製鉄所のブラジル人技師12名が来日し、同工場に設置する富士電機のタービン・ジェネレーターの研修を受けた時の話です。小生は通訳を行いましたが、10時~17時までとの研修時間でしたが9時半には全員が揃い、講師を待つという状況で、非常に驚きました。ブラジル人は時間にルーズという見方も変える必要があるかも…。

ペセン技術者。後列左端は富士電機担当者、3人目は筆者

ペセン技術者。後列左端は富士電機担当者、3人目は筆者

10)ブラジル人は本当に親日か?

この点は間違いなく親日であると言えましょう。日本移民開始から108年、6世まで数え推定人口190万人と言われる日系人がブラジル社会に果たした役割は実に大きく、とくに農業関連での貢献は計り知れないものがあります。ところで良く耳にする『ジャポネス・ガランチード』と言う言葉は「日本人は信用できる」という意味に解されていますが、本来の意味は「日本人は目が細く、日本語とポ語の入り混じったおかしな言葉を話す」ということで、「奴は典型的な日本人だ」と日本人を蔑む言葉だったとのことと知りました。しかし今やその意味でとらえる人は皆無に近く、日本人は信用できる、の意味と考えて間違いはないでしょう。我々日本人はその信頼を裏切ってはならないことを肝に銘じなければなりません。