執筆者:伊豆山 康夫氏(CIS ELETRONICA社 会長)

従業員との写真

元JETRO監事、桜井さんとは桜井さんのサンパウロ時代からお付合いを頂いていましたが、このほど、桜井さんが関係されているホームページに記事を書いて欲しい、題は好きなものでいいとの事で、喜んでお受けしたのですが、さて何を書こうかと思うと、考えがまとまらず、困りました。

私は1957年に渡伯致しましたので、今年で丁度60年になります。前半の30年は会社勤めで必死に働き、10年前に他界した女房には「あなたは自分のお金より会社のお金の方が大事なのですか?」と叱られたほどの仕事大好人間でしたが、50才の時、人事課長さんから、「伊豆山さんの将来のご希望を聞かせて下さい。」と云われ、自分の将来を何も考えず、一生会社に居られるつもりでいた自分の馬鹿さ加減に気付き、独立を決意、さて何をしようかと思っている処に、ブラジル人の友人から一緒に仕事をしようと誘いを受けました。他にも引手はあったのですが、自分の会社で何でも夢が叶えられる様な気が致しまして、CIS Eletronica  (www.cis.com.br)なる会社を設立。当時、ブラジルの銀行で、これから導入が始まるだろうと思われた磁気カードリーダを国産する会社を立ち上げることに致しました。会社設立には、退職金、僅かの蓄え、雀の涙ほどの親父の遺産等、手持ちの全てをつぎ込んだのですが、たちまち資金繰りに悩まされることになりました。以後、浮き沈みを経験しつつ、33年の月日が過ぎてしまいました。

 

お陰さまで、通常の3倍の経験を積みましたので、何でも知っているつもりで、何時も初対面の方には「ブラジルのことなら何でも聞いて下さい。」等と言っておりますが、いざ、何か書こうと思ったら、自分の知識は皆、中途半端、実は何も知らないことに気付きました。今更、書けませんとも言えず、思案の末、ブラジルを知るには先ずはブラジル人を知ることから始めようと思いまして、インターネットで俄か勉強を致しました。皆さまのお役に立つかも知れませんので、以下、纏めてみます。

 

2010年の国勢調査ではブラジル全体で、白人(ヨーロッパ)系の人々とその子孫(黒人、先住民と混じり合)が今のブラジル人と云うことが見えます。

 

  • 白人 47.51%
  • 褐色(白人と黒人、先住民の混血)43.42%
  • 黒人    7.52%
  • 黄色人種(我々東洋人) 1.1%
  • 先住民 0.42%

 

興味深いことに黒人の人口が白人、混血と比較してあまり増えない。そしてその原因は、黒人は黒人より白人を結婚相手に求めるからだと云うのです。リオ、サルバドール市の様に黒人が多く居て、黒人が黒人以外の結婚相手が周囲に居ない場合は別として、黒人以外の結婚相手が周囲に居る場合は、自分よりより黒くない相手を選択する傾向があるとのことです。 どうもそれは確かな様で、弊社で働く女工さん達の話を会社の親睦パーティーなどで、横から聞いていると、「私の子供は私より白い。」とか、「あんたの子供より白い。」とか、とにかく自分の子供がほんの少しでも白いことが、仲間への自慢の種になっているのです。少々白めでも黒めでも大した違いは無いじゃないかと私には思えるのですが、彼女らにとっては、自分の子供の色が一寸でも白っぽいほど嬉しく、自慢の種になっているのです。やれやれ、これでは黒人男が悪の道に走るのも無理ない話ですね。

もう一つ興味深いことはIBGE(ブラジル地理統計院)の調査では、自称、白人としている人々に、そのルーツを問うと自称白人の約半数(45.53%)がブラジルと回答しています。即ち、自分のルーツには極めて無関心で、親から子に家族のルーツが伝わっていないのです。

1888年に奴隷解放令が発令されてから、奴隷労働力の代替として、ヨーロッパから移民を募り(ご承知のように、東洋からは日本人も受入れられましたが)約百五十万人がイタリア、百四十万がポルトガル、六十五万がスペイン、二十六万人がトイツから移民したと記録されています。 移民の出処はイタリアとポルトガルが並んでトップになり、近年には中近東からも大勢移民して来ていて、確かにブラジルはポルトガル人の建国した国ではありますが、人種的にはポルトガル系がマジョリテーとは言えないのです。

 

ここで、一寸、寄り道をさせて頂きます。 ドイツ人の入植地、サンタカタリーナ州のブルーメナウ市で、年々ビール祭りが行われドイツ民族衣装を着た市民に迎えられるのですが、ブルーメナウ市の近くにポメロデと云うドイツ風の田舎町があります。町の名前でも明確な通りドイツのPomerania地方からの移住者の町です。 同地方はドイツの北部、ポーランドとの境にあり、第二次世界大戦でドイツが破れ、同地方はポーランドに編入された為、同地のドイツ人はブラジルに移住し、Pomerania地方はポーランド人に取って代わられているとのことです。EXODUSの裏には色々な問題があり、ポメロデの人々はそのルーツにプライドを持てるのでしょうが、戦争や迫害に翻弄され新天地に来た多くの人々はそのルーツには思い出したくないことが多々あったのかも知れないと考えさせられます。

アントニオ・ロッコ作 「移住者たち」

ブラジルで最初にサトウキビ及び砂糖の量産を行ったのは現在のRecife近辺で、オランダ人によるものでしたが、17世紀にオランダは先住民、黒人、ポルトガル人の連合軍に敗北し、国外追放になりました。 オランダの兵士の多くがブラジルに残り、女性不足から先住民、黒、半黒の女性との間に大量の混血を生み出し、北東伯の住民に引き継がれたと記録されています。ミナス国立大学の調査によれば、北東伯(ペルナンブコもその一部)の現ブラジル人の19%に西ヨーロッパ人のDNAが引き継がれてていて、ポルトガルでの同じDNAを持つ人の比率13%を上回っていることから、北東伯に17世紀のオランダ植民の影響が残っているのだろうと調査では結論付けています。

サンパウロ州奥地に日本人植民地のあった地方には、日本文化の影響がかなり残っている様に見えます。 世界的には東洋は近年、日本も、その経済力をもってその存在感を増し中国と肩を並べた感もありますが、ここブラジル、少なくとも、サンパウロ、パラナ州に於いては、東洋人と云えば日本人と同義語のようになっています。しかし、ブラジル全土でみれば日系人は1%で、無視されても良い数字です。従って、ブラジルは世界人種の縮図とも云われますが、それはヨーロッパ、中近東迄で、もし先住民をモンゴル斑点などから東洋人の仲間に入れれば、東洋人(ユーラシア大陸北東部)も主民族の仲間入りし、ブラジル人は正に世界人の模様を呈することになります。そして今は未だ斑点、(?)ブラジル人が民族として形成されるには、更に数百年は必要だろうと思います。

ブラジルはその建国の初期には、ポルトガル人のカトリックの一派Jesuíta(イエズス会派)と、ならず者集団のBandeirantesとが両輪となり、先住民を一部取り込み、一部排除して建国を果たしたので、経済的利益と価値観の共有と双方で建国を果たした、云わば、理想的国家建設であったはずなのですが、カトリックの衰退、移民による精神文化の多様化で、近年は経済的利益のみの結び付の国家と化している様子です。 カトリックの教えは、基本的に平等社会を求めるのではなく、恵まれた人に恵まれない人々への施しを美徳と教える。それ自身は間違っていないものの、底辺の人々の自立を促さない弊害があると私には思えます。

さてさて、私の雑談は此処までといたします。

蛇足

民主主義のもとに、施しを待つ大衆に選ばれた政治家は国から民への施し政策しか公約に掲げられないし実行も出来ない。それでも気候温暖、豊富な水、大半は温和な人々ですから、50-60年前は真に住み易い国でしたが、外国から来た、強欲資本家、貧富の差の是正、人権問題を生業にする、あまり頭の良くない左翼思想家、それに国際マフィアが加わり、真に住みにくい近代大国が作り上げられました。それが今のブラジルと私には思われます。ご意見、ご批判、雑談、何でも結構ですから、下記の私のアドレスにメールをお寄せ頂ければ幸いです。

伊豆山康夫 yasuo@cis.com.br