会報『ブラジル特報』 2010年1月号掲載

                            高杉 優弘(外務省 中南米局南米課長)


.世界経済危機からも脱したルーラ政権
 世界経済危機の影響が根強い中、ブラジルは2009年11月14日付ロンドン・エコノミスト誌の14ページに及ぶカバー・ストーリーを飾り、その表紙にはbrazil takes offとのタイトルの下、リオのコルコバード頂上のキリスト像がロケットの如く炎を噴き飛び上がる合成画像が、掲載された。

 これに象徴されるように、多くの国で苦難が続く中、ブラジルは、経済危機をいち早く乗り越え、take off(高成長に向け発進)の勢いで2009年を締め括っているところである。

 これからのブラジルは、話題に事欠くことはない。2016年オリンピックのリオ開催が決定し、2014年のサッカー・ワールドカップ開催とともに、世界の注目が集まる。2008年まで年平均5%前後の高成長を達成したルーラ大統領に対する支持は根強く、政治面でも非常に安定した時代を迎えたことがさらに魅力的なポイントになっている。主要世論調査機関から、ルーラ政権を「良い」とする声が6割以上、「普通」が2割以上、計8割以上が現政権を肯定的に評価しているとの発表がずっと続いているのは、他国にもなかなか類を見ないものであろう。

 激派の象徴として登場しながら、極めて穏健な政策をとったこと、高成長の利益を幅広い国民層に還元しつつあること、非エリートとしてわかりやすく物事を語る親しみやすい姿、守旧派等にも手厚く対処する優れた政治手腕なども指摘されるところである。

.高成長だけではなく、堅実さ・安定度を深めたブラジル

 1980年代前半から約20年間苦しんだ「未来の大国」も、いまや人口世界第5位、GDP世界第9位(IMF2008年購買力平価)にランクするなど、大国に向かう現実性を帯びてきた訳だが、同時に勢いよく成長を続ける他の中国・インドなどとは異なる横顔も明らかになってきた。

 ビジネス関係者に会うと、サンパウロでは高層マンションなどは確かに増えているが、上海のようなすさまじい建設ラッシュが続いているようなイメージはない、バブルではない先行き安定感のある好調といった感想もよく耳にする。

 例えば、外貨準備高は2009年に2,300億ドルを超え世界7位、これで対外債務(約2,000億ドル)を一括返済できるほどになった。IMFの新枠組みに拠出を決定した際、「IMFにお金を貸すようになるとは、粋なこと」と述べたルーラ大統領の発言が大きく報じられたが、かつての債務に苦しむ中南米というイメージからほど遠く、数年前にはなかなか想像できなかったことである。

 意外に低い外需依存度も、今般の世界経済危機の影響が少なく済んだことに貢献しているようである。輸出額がGDP(名目)に占める割合をみると、中国の32.5%に対し、ブラジルは僅か12.6%にすぎない。

 OECDの下部機関である開発センターが2009年11月公表した「ラテンアメリカ経済見通し」では、輸出依存度の大小を問わず、(1)海外に輸出する品目の種類、(2)輸出相手の2つの面で、ラテンアメリカ各国でどの程度多様化が進んでいるかの分析も行っており、ブラジルは両面でラテンアメリカで最高の指標を示している。民主国家であるといった基本的要素の上に、こうした優れたリスク分散体質なども、ブラジルが不安感の少ない新興国といわれる所以である。

主なラテンアメリカ諸国の輸出品・輸出先の多様化度

Country Year 輸出品目の多様化度 輸出先の多様化度
アルゼンチン 1980 0.93 0.82
  2006 0.99 0.76
ブラジル 1980 0.96 0.88
  2006 1.00 0.96
チリ 1980 0.46 0.74
  2006 0.62 1.00
コロンビア 1980 0.28 0.65
  2006 0.88 0.65
コスタリカ 1980 0.82 0.60
  2006 0.83 0.74
メキシコ 1980 0.22 0.12
  2006 0.81 0.00
ペルー 1980 0.79 0.86
  2006 0.70 0.98
ベネズエラ 1980 0.00 0.77
  2006 0.00 0.40

       (指標は各最大が1)        

出典:OECD Development Centre : Latin American Economic Outlook 2010

中南米では、先進国等に移住している自国民からの送金の重要性がよく強調される(ブラジルから日本への「デカセギ」も30万人超)。しかし、上述のOECD報告で、ラテンアメリカ各国の対内流入資本に移住者送金が占める割合をみると、メキシコが42%にも及ぶ一方、ブラジルは4.9%。NAFTAなどを経て対米依存をかくも深めたメキシコと、いわゆるデカップリング論の象徴ともされ、自前で成長していける度合いを強めているブラジルとの相違が浮き彫りになっている。

.新政権選出の2010年に向けて-将来の課題など

 2010年秋の大統領・連邦議会・州知事等選挙を控え、「中銀がもっと早期に大胆な利下げ等を断行していれば、損失はもっと少なかったはず」といった、ある意味贅沢な批判まで出されるようになってきた。それほど、選挙の争点は少ないのかもしれない。いずれにせよ、現在の健全な政策運営でブラジルが安定と富を得ているとの理解が幅広く定着しており、与野党いずれに軍配が上がろうとも大幅な政策変更はないとの見方が支配的である。その傾向は、野党側有力候補のセーハ・サンパウロ州知事が、自分が政権を取ってもルーラ政権の低所得者層支援策「ボルサ・ファミリア」を維持すると公言したこと(2009年11月)などにも現れ始めている。

 そのブラジルも、さらなる発展のためには例えば次のような課題を抱えており、2011年から発足する新政権がどう対処していくかが注目される。

<成長の足かせ要因をいかに克服していくか>

 成長の足かせといわれるインフラの整備は、重要な鍵の1つ。既に成長加速化プログラム(PAC)の下、大胆に取り組んでいるルーラ政権だが、会計検査院による入札案差止めや、環境許認可が得られず工事が停止するなど、苦戦する場面も目立つ。

 今後のブラジルの成長を支えていく要素として、注目点の1つである。リオデジャネイロ~サンパウロ~カンピーナス間高速鉄道計画には、日本企業連合が受注を目指し、官民連携して様々な努力を重ねている。世界に抜き出て優れた環境性能や輸送効率などを誇る我が国新幹線技術がぜひ採用され、ブラジルのクリーンな発展に貢献できることを期待している。

<財政運営を健全・透明に維持できるか>

 またブラジル政府は、危機対応策として公共投資や、特定分野での減税・免税策を打ち出したが、これによりGDPに占めるプライマリー・バランスの割合は、約10年間維持してきた3~4%という優等生の数字から、1%程度(2007年10月からの1年間)にまで落ち込んでいる。ペトロブラス関連を除外するなど計算方式も2009年から大きく変更され、その透明性如何を指摘する声もある。今後十分な透明性を確保し、健全な運営を維持していくことが重要となってくるだろう。

<後回しとなった構造改革を本格的に実現できるか>

 それ以外にも、好景気中には切迫した改革圧力が働きにくい面もあり、課題として残されている構造的な問題が多数指摘される。代表例が税制で、そもそもの重負担と制度の複雑さの両面でビジネス・コストの主因と指摘され、我が国進出企業からも改善要望の多い問題である。しかし上記のような課題は指摘されるものの、今日のブラジルを支える政財界からは、こうした問題に堅実に対処していくべきとの意識が明確に感じられる。金融危機からのいち早い回復にみられるように、底堅い体力を備えたブラジルには、政治・経済両面で明るい展開が期待されるところである。

<主要国と真に対等のプレイヤーとなれるか>

 経済問題はもはやG8でなく新興国を加えたG20で話し合うことになった、これは大きな勝利だとするブラジル要人の言葉をそのまま借りるなら、様々な経済活動のルールについても、主要国と同じ土俵でプレーすることが求められる時代であろうと思われる。投資受入れ法制や貿易障壁など一般的な領域だけでなく、知的財産保護などで具体的な制度改善を望む声がビジネス界から多く聞かれる。

 私たちも問題解決を支援し、一層の日本ブラジル経済関係緊密化を後押しするとともに、両国の経済発展に日本ブラジルのパートナーシップが大いに寄与するよう連携すること、また政治力を高めたブラジルとの国際問題でのさらなる友好的連携などに、全力を尽くしていく所存である。

(本稿は私見であり、政府としての見解を示すものではない点、あらかじめご了承願います。)