執筆者:村上裕美子氏
(ブラジル日本交流協会)
ブラジル日本交流協会は、日本の青少年を対象に、ブラジルでの約1年間の企業や団体での研修を提供する民間の非営利団体である。多様な分野の人材をブラジルで育成し、ブラジルと日本の間だけでなく世界で活躍する人材を育成することを目的としているため、採用時にはポルトガル語能力は問わず、あらゆる専門分野の青少年を派遣している。
制度発足のきっかけは、1976年のガイゼル大統領訪日時に、故・永野重雄日本商工会議所会頭との会食の席上、文化交流を目的とした青少年交換留学制度が発案され(二宮正人先生はその際通訳を務められ、長年弊会会長に就任いただいている)、そこからサンパウロ大学教授の故・斎藤広志先生、あしなが育英会の玉井義臣会長、日本ブラジル中央協会の藤村修副会長が現制度の基礎を築いてくださった。団体名称や法人格の変遷はあるが、1981年に、最初の研修生13名をブラジルに派遣して以来、ほぼ同じ制度の下、毎年10〜35名程度の派遣を継続し、研修修了生は延べ合計800名を超える。
私は2004年度の研修生OGであり、サンパウロ大学でポルトガル語と芸術学部の授業を聴講しながらSansuy S/A Indústrial de Plásticosのマーケティング部門で研修させていただいた。私自身ポルトガル語専攻でもなんでもなく、ブラジルとも縁が無かった人間だが、研修生としてブラジルに1年滞在できたことはとても有難く、遂には、職員にまでなってブラジルに都合5年近く滞在することになった。その1年は完全に人生の転機となった。研修修了後、新卒で入社した企業に勤める傍らボランティアベースで日本側の採用・送り出し事業に携わり、2010年2月から2013年7月までブラジルのサンパウロ事務局の専従職員として研修生の引受けと事業運営に従事した。帰国後は転職エージェントに入社し、現在も有志として日本側の送り出し事業に携わっている。
ブラジルでの研修生引受けは、全面的に日系社会に支えられており、日系進出企業や現地企業、教育機関、農協等多岐にわたる。ブラジル研修で特に重視している点は制度発足時から一貫して「ブラジル社会のド現場で生活し、社会に身を浸しながら学ぶこと」。視点のターゲットとしては、文字通り「Estagiário(a)」で、昼は企業で働き、夜大学に通う20代のブラジル人苦学生と同じ視点で社会を見られるよう、引受先にはそういった環境をご用意いただいている。わかりやすい例で言うと、工場の生産ラインや農場での農作業などを通じて、制度がなければなかなか関わることが難しい階層のブラジル人との密な交流や研修をさせることを重視している。引受先の日系人でない人事部の方々からは、よく冗談混じりで「Que louco!」と言われたものだが、ブラジルは、その視点が無ければ結局深く理解できないと考えている。
ポルトガル語能力も就業経験も乏しい、基本的に戦力たり得ない若者を約1年間現場に入れていただけるのだから研修先は有難い以外の何物でもなく、せめて日本での事前研修では最大限の準備を、ということで個々の目標設定や日本に関する知識の習得に注力している。物事を学ぶ姿勢や目標を地道に達成する能力が身についた研修生は1年間のブラジル研修で見違えるほど成長し、独特の輝きとパワーを纏って帰国する。現在は日伯ともにボランティアのみで運営しているが、若い研修生とともに学び、成長を見届け、逆に刺激をもらえることも活動の原動力となっている。
研修修了生の活躍の場は、外務省やJICA、中南米進出企業の南米要員のみならず、教育、音楽、マスコミ、スポーツ、医療、農業、外食など多岐に渡る(うち約6%がブラジル永住者である)。ブラジルと直接関連が無くとも、何かしら「ブラジル的突破力」や「なんとかする力」を仕事や人生に活かしている先輩方やパワー溢れる若手の話を聞くのはイチOGとしても実に楽しく、OB・OGの掘り起こしは私自身のライフワークの一つになっている。
話は変わって私は現在、株式会社JAC Recruitmentという転職エージェントにて日系製造業領域専任で大手企業のキャリア採用支援と主に30代以降の転職希望者支援を生業としている。同領域で現在企業が求める即戦力人材の8割はエンジニアであり、従って接点を持つ転職希望者もメインはエンジニアとなる。双方のニーズを深く理解するべく、様々なメーカーやエンジニアからの研究開発段階の技術情報に日々触れていくと、企業側の採用理由や求職者側の経歴からだんだんと数年先の技術の進化によってもたらされる世の中が現実的に見えてくるようになり、これが実におもしろい。特にここ最近人材ニーズの高い機械学習や半導体の技術革新は、目を見張るものがある。直近Google翻訳の精度が格段に向上したように、今後も着実に半導体の言語処理や学習能力は進化する。数年先には相当精度の高い通訳アプリのようなものが出現し、逐次通訳レベルのものはウェアラブルデバイスで代替される世界がすぐそこまできていることが実感をもってわかる。
そうした時、海外留学はどうあるべきかを同時に考えさせられる。今後、能力として「他言語を知っていること」の優位性が相対的に下がっていくことは確実である。そのような状況下で、留学に求められるものは、今よりもさらに「生の泥臭い経験>語学習得」になる。例えば私が研修生時代に通っていたサンパウロ大学の外国人向けポルトガル語コースに週数日通うだけのような「ヌルい留学」は、市場価値を失い、より密度の濃い経験と人とのつながりこそが価値を生む時代になる。私自身の経験においても、大学での聴講よりSansuyでの研修の方が経験として圧倒的に濃く、現在に至るまで繋がっているブラジル人も多く、ブラジル理解の原点かつ支柱になっている。「語学留学」という単語は、本気で言語を研究する人以外の世界では死語になるのかもしれない。
流協会は、もとよりド現場での研修を追求してきたが、今にも増して「ガチンコのブラジル」で専門性を高めたり、人生の目標を実現していくような、そうした制度にしていきたいと考えている。具体的には、語学の習得プログラムを最小限にして、各々の専門やなりたい姿を踏まえた目標設定や日本語での日本とブラジルに関する事前学習に、より注力し、より密に研修生をサポートしていくような制度イメージを持っている。また語学を非注力とする分、専門性のマッチングにより注力できることになり、ブラジルで学びの多い分野の理系学生やIT言語能力を持つ候補生を積極的にリクルーティングし、より専門性や志向を深堀りするオーダーメイドの研修にも挑戦していきたいと考えている。
「ブラジルでしか体験できないこと、学べないことは何か?」
これは交流協会の職員時代からもずっと考えてきたことであり、今後の制度設計においてますます重要になる。なかなか難しい問いであるが、これを考え実現していくことは相当にワクワクする課題である。
今や80年代初頭の研修修了生が、60代に差し掛かり、20代から60代の職業も専門もバラバラの有志のメンバーが各自の能力と時間を持ち寄って、ああだこうだと言いながら制度を運営している。来たるべき将来に向けて、各自の人生経験やブラジル経験から、この難しい問いに向き合い、運営を通じて共に学びながら制度に落とし込み、少しずつ実績を積み重ねて、1000人の修了生輩出を目指したい。現状のペースでいくと1000名に到達するにはあと10年以上かかりそうだが、やるべきことをちゃんとやってそこに到達した時、斎藤先生や永野初代会長、その他既に他界された重鎮の関係者の方々にも少しは認めていただけるのではないかと思って頑張りたい。また、一緒にガチンコブラジル制度の設計と運営に携わっていただける方も随時募集しているため、お声かけいただけると大変ありがたい。