執筆者:桜井悌司 氏
(日本ブラジル中央協会常務理事)
毎年、サンパウロで開催される世界最大の「日本祭り」が「FESTIVAL DO JAPAO」である。
本稿では、この魅力的なイベントであるサンパウロの「日本祭り」の歴史、概要についてふれてみたい。またサンパウロに加え、パラナ州の「日本祭り」、ポルト・アレグレの「日本祭り」も簡単に紹介する。
1.サンパウロ市の日本祭り
「サンパウロ日本祭りの思い出」
私もサンパウロ駐在時の2003年11月から2006年3月までの間、「サンパウロ日本祭り」には、見学したり出展したりしたが、極めて印象的なイベントであった。当時のブラジル日本都道府県連合会(県連)の会長の中沢宏一氏がジェトロ・サンパウロ事務所を訪問され、政府機関であるジェトロも是非とも2004年の「第7回日本祭り」に参加して欲しいという要請があった。私も日本の政府機関として、日系コロニアの活動に協力・参画したいと考えていたので、本部に協力を求め、小さな広報ブースを構えることにした。ちょうど2005年には、愛地球博が名古屋で開催されることもあり、本部に依頼し、同万博のパンフレット、ポスター、博覧会グッズ、マスコットのキッコロ人形等を展示し、愛地球博を広報した。JICAや国際交流基金にも声をかけた結果、JICA、ジェトロ、国際交流基金のすべての政府機関が同時に参加する初めての「日本祭り」となった。2005年もジェトロの参加を懇願され、参加することにした。このイベントは、性格的にビジネスに直結するわけでもなかったが、日系コロニアのイベントに協力するとともに、一般のサンパウロの人々にジェトロを知ってもらうことを目的とした。パナソニックから50インチのプラズマテレビを借用し、参加型のテレビゲームを実施することにした。予想通り、大人気で、ジェトロブースはいつも満員であった。
「日本祭りとは」
ブラジル日本都道府県連合会(県連)は、日本の各都道府県からの出身移住者の団体を束ねる団体である。県連の最重要イベントがフェスチヴァル・ド・ジャポン(日本祭り)である。ブラジルの日系人数は190万人と言われているが、県連は、日本の47都道府県すべてをカバーしている。「ブラジル日本文化福祉協会」(文協)、「サンパウロ日伯援護協会」(援協)と並ぶ3大団体である。
このイベントは、1998年、ブラジル移住80周年を記念して、開始されたもので、「第1回郷土食郷土芸能祭」という名称であった。日本の郷土芸能や郷土食をブラジル国民や日系人に紹介することを目的としたものである。当初会場はサンパウロ市内のイビラプエラ公園内のマルキーゼで小規模に行われていたが、2002年の第5回からは、会場をサンパウロ州議会駐車場に移し、名称を「フェスチバル・ド・ジャポン」と改称した。私が駐在していた2004年には、すでにサンパウロ州議会の駐車場で開催されており、会場面積も1万平米くらいであった。
日本祭りに大きな転機が訪れたのは、2005年の第8回のことであった。手狭になった会場をサンパウロの大型展示場である「イミグランテス展示場」に移したことである。同展示場は、アニェンビ展示場、セントロ・ノルチ展示場と並ぶ大型展示場で屋内面積6万平米であった。当時の県連の中沢会長や幹部の英断であった。これにより、展示面積が一挙に数倍になった。当初入場者数がどうなるかが危惧されたが、蓋を開けてみると大盛況であった。この決断こそ、サンパウロの日本祭りを一気に発展させた原因であったと私は考えている。その後、イミグランテス展示会場が改装・拡張され、9万平米の屋内展示施設を持つサンパウロ最大の展示会場、サンパウロ・エクスポ展示会場(SAO PAULO EXPO EXHIBITION & CONVENTION CENTER)の誕生に伴い、2015年から、日本祭りも新装なったサンパウロ・エクスポを使用するようになった。
「テーマを決める」
その後、毎年、主催者によって、創意工夫が凝らされ、2006年の第6回からは、毎年テーマが決められるようになった。テーマの変遷をみてみよう。
2003年 第6回、「戦後50年」 @サンパウロ州議会駐車場
2004年 第7回、「サムライ」
2005年 第8回、「アニメ・漫画」 @イミグランテス展示会場
2006年 第9回、「まつり」
2007年 第10回、「美と芸術」
2008年 第11回、「移民100周年」
2009年 第12回、「環境保護年」
2010年 第13回、「ふるさとの伝承文化」
2011年 第14回、「食と健康」「甦れ美しき日本」
2012年 第15回、「共存する進歩と環境」
2013年 第16回、「地球に優しい技術と進歩」
2014年 第17回、「三方良し」
2015年 第18回、「日伯120年の絆」 @サンパウロ・エクスポ会場
2016年 第19回、「スポーツと健康」
2017年 第20回、「20年の軌跡」
時代や世界情勢を反映した崇高なテーマ、万博のテーマにしても良いと思われるものも見られるが、主催者である県連の心意気が感じられるところである。
「来場者数の推移と出展者数の変遷」
来場者の推移は、必ずしも正確な数字は得られないが、公表されている数字をみると、
第1回(1998年) 約6万人
第12回(2009年) 約18万人
第16回(2013年) 約18万人
第17回(2014年) 約15万人
第18回(2015年) 約15万人
第16回(2016年) 168,000人
第17回(2017年) 182,000人 となっている。2016年からは、万人単位の大まかな数字ではなくなった。
出展者の大まかな数字をみてみると、第1回(1998年)は、27の県人会が参加、第3回(2000年)は、郷土食提供22県人会、芸能披露19県人会、出展25県人会、第4回(2001年)は、郷土食提供34県人会、芸能披露19県人会・19団体と参加意欲が高まってきたことが理解できよう。その後、第10回(2007年)には、50の郷土食ブース(内43の県人会)まで伸び、ここ数年は47の都道府県が参加するようになっている。
「日本祭りのスポンサーと収益」
スポンサーには、いくつかの種類があるが、2017年の大口スポンサーをみると、キリン一番搾り、トヨタ、ニッサン、ホンダ、三菱商事、三菱電機、ヤクルト、HIKARI等日系企業やブラジル銀行等11社となっている。
日本祭りの収益は、毎年県連で発表されるが、手元に具体的な数字がないので、日本祭りを最初に始めた網野弥太郎元会長のインタビュー(ニッケイ新聞)によると、第6回(2003年)には、約10万レアル、第10回(2006年)には、約18万レアル)の収益があったと言う。直近の第20回(2017年)の収益は、暫定数字だが、約12万5,000レアルと報道されている。
「ミス日系ブラジルの開催」
「ミス日系ブラジル」や「ミス日系サンパウロ」のようなミス・コンテストも2000年に開始され、2011年の第14回から本格的なイベントとなった。毎年、大いに盛り上がる。第20回(2017年)には、全国から選ばれた26名のミス候補のエントリーがあり、2,500人の収容能力のあるメインステージをいっぱいにしたと報道されている。また時代の趨勢に応じ、コスプレ等も取り入れられるようになった。
「日本祭りの内容」
では、どのようなものが展示され、どのようなイベントが見られるのであろうか。2017年の第20回日本祭りの例でみると、次のようなコーナーに分かれている。なお、「日本祭り」に使用される面積は、主催者のホームページによると、サンパウロ・エクスポの屋内展示場の40,000平米である。しかし、屋外展示場面積を入れるとさらに大きいものと考えられる。
- 「ガストロノミー広場」
47の都道府県から地域の自慢の料理が提供される。2017年は、53の団体が出店した。ニッケイ新聞の7月12日号に取りあげられた地方自慢の料理・食べ物は、鹿児島県人会の「かるかん饅頭」、香川県人会の「讃岐うどん」、和歌山県人会による「関西風お好み焼き」、埼玉県人会による「クレープとカレーパン」、山口県人会による「バリバリそば」等々。最も人気のあるコーナーで、日本のあらゆる地方の名物料理が賞味できる。 - 「出展者」 様々な業種の企業・団体等300社が出展している。
- 「緑と黄色のステージ」 おおよそ50のグループが踊り・音楽が出演する。日本の伝統的な民謡も鑑賞できる。
- 「紅白のステージ」公衆の参加も得て、ダイナミックなステージ、例えば、空手等のマーシャル・アーツ、スポーツ、民謡、盆踊り等が紹介される。
- 「アキバ・コスプレ」コスプレは、ブラジルでも人気があるが、アキバ・コスプレはブラジルでも最良のコスプレーヤーが集まると言われている。
- 「ミス・ニッケイ・ブラジル」前述の通りであるが、「日本祭り」の大きなイベント。
- 「文化広場」ここでは、生け花、茶の湯等日本の伝統文化の紹介、ワークショップが行われる。
- 「子供のエリア」子供向けコーナーで、文化活動の作業場、料理活動、日本とブラジルの昔話や伝説紹介、子供用のスポーツやレクリエーションが楽しめる。
- 「高年齢者エリア」高年齢の人々を楽しませるための特別で無料の活動を提供する。
- 「その他の情報」
- 公認イベント 2002年には、「サンパウロ州観光カレンダー」、2004年には、「サンパウロ市公式イベントカレンダー」に登録された。
- 2017年の第20回は、2017年7月7日~9日の3日間開催された。
- 駐車場 5,000車の収容能力、駐車料 45レアル
- 入場料 前売り券 22レアル、当日券 25レアル
- 2018年の第21回日本祭りは、18年7月20日~22日に開催される。テーマは、「移住110周年」である。7月21日(土)には、「ブラジル日本移民110周年記念式典」が日本祭りの会場で行われる。
2.パラナ州の日本祭り
パラナ州は、サンパウロ州についで、日本人移住者の多い州である。主要3都市における「日本祭り」の概要は下記表の通りである。いくつかの特徴が指摘できる。第1のポイントは、パラナ州では、日本人移住者は主として、クリチバ市、ロンドリーナ市、マリンガ市の3都市に分散したこともあり、3都市でそれぞれの立派な「日本祭り」が開催されている。それゆえ地元に密着した形の「日本祭り」が開催されている。第2の点は、パラナ州の日本祭りは、歴史が相当古く、本家本元の感がある。サンパウロは、1998年、ポルトアレグレ、ブラジリア、ミナスジェライス州では、2012年に始まっているが、パラナ州の場合、ロンドリーナ市は、1961年、マリンガ市は、1989年、クリチバ市は、1991年と長い歴史を持っている。マリンガ市には、日本人移住博物館も存在する。第3の点は、サンパウロに比較すると規模は小さいと言えるが、それでも9,000平米~15,000平米と相当大きなスペースを占めている。3都市で4回開催となれば、今のスペースで十分なのかも知れない。
マリンガ市 | ロンドリーナ市 | クリチバ市 | クリチバ市 | |
祭りの名称 | FESTIVAL NIPOBRASILEIRO | EXPO JAPAO | HARU MATSURI
FESTIVAL DA PRIMAVELA |
IMIM MATSURI
FESTIVAL DA IMIGRACAO JAPONESA |
会場・規模 | マリンガ文化体育協会
15,000平米 |
ロンドリーナ文化体育協会
10,000平米 |
EXPO RENAULT BARIGUI
9,000平米 |
EXPO RENAULT BARIGUI
9,000平米 |
主催者名 | マリンガ文化体育協会 | ロンドリーナ文化体育協会 | クリチバ日伯文化援護協会 | クリチバ日伯文化援護協会 |
開始年 | 1989年 | 今の名前では、2007年、以前の日本祭りは、
1961年から |
1991年 | 1991年 |
2017年の概要 | 第28回、8万人 | 第11回、3万人の来場者 | 第27回、
約2万人 |
第27回、約2万人 |
主たるアトラクション | 踊り・歌、日本食ブース、文化品の展示 | 踊り、歌等の公演、同時に農業展示会も開催 | 踊り、歌等の公演、日本食ブース | 踊り、歌等の公演、日本食ブース |
入場料 | 6レアル | 8レアル | 7レアル、
2日間10レアル |
7レアル、
2日間10レアル |
2018年のテーマ・目玉等 | 未定なるも舞台公演に力を入れる。17年から始めたオタクイベントも実施する | 通常の催事に加え、日本の技術を展示したい | パラナ芸能祭の開催を検討中
9月22日~23日開催予定 |
パラナ芸能祭の開催を検討中
6月23日~24日開催予定 |
出所:在クリチバ日本総領事館
3.ポルトアレグレの日本祭り
ポルトアレグレの日本祭りも大いに興味あるイベントである。2012年に始まり、2017年は、第6回目を迎えたが、主催者発表によると、16年の約7万人を超える約8万人が来場したという。いくつかの特徴を指摘する。第1は、日本祭りの組織に当たっては、リオ・グランデ・ド・スル州やポルト・アレグレ市の日系社会総出のイベントであることである。主催者は、日本祭り実行委員会であるが、構成団体を見ると、南伯日本商工会議所、南日伯援護協会、ポルトアレグレ文化協会、ポルトアレグレ婦人会、ポルトアレグレ青年会、の5団体である。2017年には、テーマが金沢市との姉妹都市提携50周年だったので、金沢友の会、2018年のメインテーマとなる予定の滋賀友の会も実行委員会に入っている。この点、サンパウロやパラナ州の日本祭りとはやや異なる。第2は、南伯という地域の特性をアピールしている点である。日本祭りは当初からテーマを設定していたが、第1回、「日本と南伯の絆の強化」、第2回、「つる」、第3回、「日本のガストロノミー」、第4回、「日伯修好条約締結120周年」、第5回、「リオ・グランデ・ド・スル移住60周年」、そして第6回(2017年)は、「金沢市ポルトアレグレ市姉妹都市提携50周年」となっており、ローカル色を打ち出していることが分かる。第3は、地域のイベントとして、根を張っていることであろう。会場の提供も州政府の「州警兵幹部養成学校(ACADENIA DE BRIGADA MILITAR )あるし、8月18日は、移民船で23名の青年が、リオ・グランデ港に到着した日にあたり、ポルトアレグレ市議会で「日本移住者の日」として制定されている。そのため日本祭りもその周辺日の土日に行われることになっている。また、リオ・グランデ・ド・スル州の公式イベントカレンダーに組み込まれている。さらに、今では、エステイオ市で開催されるEXPOINTER(国際畜産品評会)、カシアス市とベント・ゴンサルべス市で隔年に行われる「ブドウ祭り」と「ワイン祭り」と並んで州内3大祭りとして定着しつつあるという。日本企業の南伯からの撤退が続いているが、「日本祭り」の継続発展を期待したい。
2017年の第6回日本祭りは、前述のように、金沢市との姉妹都市50周年記念であったため、金沢市からも副市長以下15名のデレゲーションがポルトアレグレ市を訪問し、金沢市の踊りや加賀友禅染めの実演等文化芸能を披露するとともに、市内の公園に、金沢市から運ばれた「ことじ灯篭」を設置した。
「日本祭り」の入場は無料であるが、代わりに1KGの腐らない食料の提供を薦めており、10トンくらいの食品が集まると言う。それらを慈善団体や貧困者に配給し、喜ばれている。「日本祭り」の運営は、入場無料のため、大変で2016年の第5回は赤字であったが、17年には、関係者全員の協力で、3万レアルの黒字が出た。
4.最後に
「日本祭り」の開催が日系コロ二アに与える影響を考えてみよう。ブラジル社会において日系人が評価されていることは、誰もが認めているところである。ブラジル各地での日系人による「日本祭り」の開催は、日系人のアイデンティティの再認識に大いに役立っていることである。3世以降ともなれば、日本語を十分に使えない日系ブラジル人が増加する中にあるが、それでも、これほど立派な「日本祭り」を各地で開催する日系人の結束力をみて、3世、4世の人々も、自分たちの祖先が日本人であることを誇りに思うことに繋がるものと思われる。また日系人ではないブラジル人にとってもアニメや漫画、太鼓や踊りを実際に見たり、バラエテイに富み、健康的な日本食を試食することによって、日本や日本人に対する関心度が増加し、日本語を勉強したり、日本文化を親しむきっかけになる可能性もあろう。また、「日本祭り」の組織に当たっては、多数の日系人やブラジル人のボランテイアが参画している。みんなで協力し、大きなイベントを成功に導く実体験は貴重なものであるし、将来の日系人リーダーの育成にも繋がるものと思われる。さらに、「日本祭り」のイニシアテイブは、あくまで日系コロ二アの方々の発意、情熱、忍耐によるもので、日本政府やブラジル当局が資金を出したり、直接に関与したりして、今に至ったわけではないということも極めて重要な点である。「日本祭り」が2017年5月にオープンした「ジャパンハウス」と共存して、それぞれの得意の分野を打ち出しながら、シナジー効果を発揮して行くことが望まれる。
以上、各主催者のホームページや関係者からの取材に基づき、私の個人の責任で執筆した。読者からのコメントや加筆・修正をお願いしたい。