―国語化したインディオの言葉を垣間見る―

執筆者:田所 清克
(京都外国語大学名誉教授)

前回、リングア・ジェラルが衰微した事由について部分的に触れたが、歴史過程に沿ってもう少し立ち入って言及したい。17世紀初頭に至ると、バイーアやペルナンブーコのような植民事業が拡大・発展している地域にあっては、ポルトガル語に対する認識と必要性がとみに高まった。これに呼応して、リングア・ジェラルの重要性は相対的に薄れ、次第に公の場からは消えた。すると、リングア・ジェラルはもっぱら、家庭間のコミュニケーションの道具になり果てるのである。廃れるようになった事由については、植民地本国の政治的意向と合わせて、リングア・ジェラルの使用を支えていた社会や経済情況にその一端を求めることができよう。

イエズス会の布教活動が衰退する流れのなかで、対象とする奴隷労働力がインディオから黒人に取って代わったこと。さらには、18世紀初頭の金やダイヤモンドの発見がポルトガル化を一挙に推し進め、ポルトガル人を招来したことなどはその一例である。しかし、何はともあれ、反イエズス会キャンペーンの一環として、先述のポルトガル宰相のマルケース・デ・ポンバルが強硬に推し進めた、ポルトガル語使用の義務化という国家政策が主たる事由であったことは言を俟たない。結果として、都市部ではとうに廃れて、内陸部でのみ生き残っていたリングア・ジェラルも次第に死語化して、きわめて限られたアマゾン地域でのみ通用するニェエンガツを残すのみとなった次第。

ところで、ブラジル文学で言う前近代主義時代に、リマ・バレットの手になる『ポリカルポ・クアレズマの悲しい最期』(Triste fim de Policarpo Quaresma)なる傑作がある。それは、ブラジルにおけるトゥピー語の公用化の問題を主題とし、文化ナショナリズムの視点から正面切って描いている点で意味深である。本稿を論じる上では黙過しえないので、紙面を割いて紹介する。

作品の中で主人公として登場する小役人のクアレズマは、外国嫌いの国粋主義者として描かれる。過度に毒され、いわば外国化した自国の社会と文化にやり切れない思いの主人公は、連邦議会に対してトゥピー語をブラジルの公用語にする旨の嘆願書を送付する。ところが、そうした彼の意向は一笑に付されるばかりか、突拍子もない荒唐無稽な発想からの行動は衆民の物笑いの種にさえなる。そして、正気の沙汰ではないとまでみなされ公務員の職を解かれた挙句、大団円では精神病院に送り込まれて最期を遂げる。大まかな筋書きは以上の通りである。
このリマ・バレットの作品はあくまでフィクションである。がしかし、トゥピー語およびリングア・ジェラルがブラジルでは、18世紀の中葉までは民衆語的な役割を果たしていた事実を考えれば、あながち荒唐無稽なストーリーであると断言できるものでもない。むしろ逆に、作者の意図する主題がノンフィクションさながらに真実味を帯びた印象を覚えるのは筆者のみであろうか。

もし少数派であった植民期初期のポルトガル人が植民事業に失敗し、ポルトガル文明をブラジルの熱帯世界に構築し得なかったとしたら、果たしてポルトガル語は公用語になり続けていたのであろうか。清教徒(ピューリタン)たちは、永住を覚悟のうえでメイフラワー号に乗船、「約束の大地」米国を目指した。対するポルトガル人開拓者たちと言えば、あくまで収奪・搾取の発想の下、“故郷に錦を飾る”ために一攫千金の夢を抱いて新天地に出向いた者が少なくなかった。従来からカピタニア制度によって広大な大地が実効支配されてはいたが、18世紀以降、もしポルトガル植民者たちが、継続的な植民事業の実現に手を焼いて放擲し、失意と諦めの気持ちから本国に帰還していたと仮定すれば、情況はかなり変わっていたかもしれない。その結果として、住民の多数を占める流通度の高かったトゥピー語が公用語になった可能性もあり得る。

ともあれ、今では国語化した非トゥピー系統の言語を含めた多数のインディオの言葉が辞書の中に収められている。と言っても、その大半はトゥピー語系統のものである。そこで、ほんの一例にすぎないが、この語系の語彙を取り上げてみたい。接頭辞さながらに語頭のcaa, i, piraはそれぞれ森、水、魚を、翻って接尾辞的な語尾のoca, tinga, tuは、家、白い、良い、を意味する。こうしたわずかなインディオの言葉に対する知識を多少なりとも持ち合わせていれば、ブラジルの旅も楽しさが増し、と同時に、この国の理解にもつながるだろう。

今回参考にした辞典で、 このなかにはトゥピー語およびトゥピー語の地名(topinímia)が収められている

凡例:( )はポルトガル語の意味、≪ ≫は複合語を含めた語彙の形態とその意味、[ ]はトゥピー語本来の意味、をそれぞれ記している。

[地名]

  1. Botucatu(ボトゥカツ)≪ybytu=風+catu=良い≫→[良い風]
  2. Curitiba(クリチバ)≪kuri=松+tyba=豊富≫→[豊かな松林]
  3. Guanabara(グワナバラ湾)≪gua=入江+ na=似ている+ bará=海≫→[海のような入り江]
  4. Ibirapuera(イビラプエラ)≪ibira=樹、材木+puera=過去にあった、今は存在しない、倒れた木≫→[昔あった木、倒木]
  5. Iguaçú, Iguaçuú(イグアス)≪i=水+guaçúまたはguassú=大量の≫→[大量の水、大きな川]
  6. Ipanema(イパネマ)≪i=川+panema=汚い、悪い≫→[(魚のいない)汚れた水]
  7. Ipiranga(イピランガの丘)≪i(またはy)=川+ranga=赤色の≫→[赤い川]
  8. Maracanã(マラカナン・サッカースタジアム)≪maracá-nã=鈴や拍子木のような騒音をたてるところのもの、またはparacau-aná=一緒にいるオーム≫
  9. Marajó(マラジョ島)≪mara, mbara=海+jó,yó=遮蔽物≫→[遮蔽された海]

 

[人名・市民、架空の物]

  1. caipora, caapora(カイポーラ、神話上の化け物)≪caá=森+pora=人≫→[森の住民]
  2. carioca(リオ市民)≪kari=白人+ oka=家≫→[白人の家]
  3. Iracema(J・アレンカールのヒロイン:イラセマ)≪iraまたはirá=蜜または唇+cema=出ること≫→[密の出ること、密のしたたる唇、蜜蜂の群れ]

 

[動植物相]

  1. capivara(カピバラ)≪kapi=草+uaraまたはguara=食する≫→[草を食む]
  2. piranha(ピラニア)≪pirá=魚+ãi=ハサミ≫→[ハサミを持った魚]
  3. pirarucu(ピラルクー)≪pira=魚+urucu=赤色の≫→[赤色の魚]
  4. poraquê, poroquê(電気ウナギ)≪pora=者、物+ quê=麻痺させる、眠らせる≫→[眠らせる者、物]
  5. sucuri, sucuriú(アナコンダanaconda)≪çuu=噛みつく+curiまたはcori=素早く≫→[素早く噛みつく]
  6. mandacaru(カアチンガ一帯に植生するサボテンの一種)≪manda=多い+caru=棘≫→[棘の多い]
  7. pindorama(ピンドラーマ=ブラジルの別称)≪pindo=ピンドヤシ+ rama=値域≫→[椰子の木のある土地]

 

[言語、食文化]

  1. cauĩ, cauim, cauí (酒)≪cauim=醸造酒≫→[火酒]
  2. pipoca(ポップコーン)→≪pi(ra)=皮膚+poca=弾ける≫→[弾ける皮膚]
  3. moquém(バーベキュー用の木の枝の格子)≪mokaê=炭火で焼く≫→[焼肉、焼き魚のための木の枝で作った格子状のもの、木製の格子で焼いた肉]
  4. nheengatu(ニェエンガツ)≪nheenga=言葉+ tu=良い≫→[良い言語]

 

[自然地理]

  1. capão(原野にある茂み)≪caá=森+pãu=島≫→[森の島]
  2. caatinga(北東部の半乾燥地帯特有の有刺植物から成るバイオーム)≪caá=森+tinga=白い≫→[白い森、まばらな森]
  3. igarapé(細い運河)≪ygara=カヌー、小船+ apé=水路、通路≫→[カヌーの道]
  4. pororoca(ポロロカ=アマゾンの河川で発生する満潮期の水の衝突による逆流現象)≪出自は動詞のpororogの現在分詞であるpororoka≫→[轟く、鳴り響いている]

ブラジルの先住民の貢献について 論じた好個の文献