会報『ブラジル特報』 2010年9月号掲載

    マサル・ナカヤス(ブラジル三菱東京UFJ銀行常務取締役チーフエコノミスト)


 序論

 ブラジルは1980年から94年にかけてハイパーインフレと政情不安定な国として世界中で認識されてきたが、人口約2億人に上る国内市場、熱帯性気候で年間を通じ耕作可能な広大且つ平坦な土地、40種類以上の質/量共に他国を凌駕する鉱物資源、そして8千キロに及ぶ海岸線の沖合いにある世界有数の原油埋蔵量は海外投資家から見れば魅力的で、その後ブラジルは世界中の注目を集めてきた。

インフレの沈静化を目的に1994年導入されたレアルプラン以降、世界経済のグローバリゼーションの流れの中で台頭した中国からの高いコモディティ需要にも支えられ、ブラジルは安定的かつ良好な経済環境を迎えている。さらに、99年1月に実施された変動相場制への移行が、外国人投資家に安心感を与え、国内市場の開放と、外資系企業への優遇措置が功を奏する結果をもたらした。


成功の軌跡

 1990年代の後半にアジアやロシアの経済危機の影響を受けたものの、実質2003年以来ブラジルは経済成長を続けている。労働者党の党首で左派のルーラが02年の大統領選に勝利した時、いったん金融市場に強い政治への警戒感が広がった。しかし、幸い就任したルーラ大統領は中道右派路線をとり前政権のレアルプランを継承した結果、ブラジルリスクの高まりを懸念していた海外投資家は、ルーラ政権誕生以降、ブラジルへの本格的な投資をはじめることになった。
 外資系企業にとり、リーマンショックを発端に、親会社が直面した流動性不足を補完するためにブラジル子会社が配当や支払利息などの対外送金を積極的に行うことで親会社を支えた事実を勘案すると、ブラジルでのビジネスが堅実で有益であったといえる。統計によると1994年から2010年6月にかけて対内直接投資の累計額は3,460億米ドルに上り、一方、海外送金額は1,740億米ドルに達しており、ブラジルへの投資額の半分は既に投資家のもとに還元されている。

ルーラ政権でのポピュリズム政策の下で、米ドルベースによるブラジルの実質購買力は、2002年の一人当たりの国民所得の平均が2千米ドルなのに対し、現在は1万米ドルで、米ドルの通貨価値の下落を割り引いたとしてもブラジルの実質購買力は確実に増加している。消費の拡大は表3を見ると明らかである一方で、実質購買力の増加は、表4にて示したように、次のステップとしてハイスペック仕様の商品に対する需要をも増加させた。
 ブラジルの経済は、GDPのうち65%を占める家計支出や21%を占める政府支出が示すように、内需依存度が非常に大きく、そのことがリーマンショックの影響を最小限に止めた要因でもある。さらに、ブラジルの金利は、例えば政策金利で見ても10.75%と高いため、ブラジルの企業は上場企業で平均44%と自己資本比率厚く、借入を抑制する企業文化があったことも幸いし、リーマンショック時に海外市場で起こった金融収縮の影響は微少であった。ブラジルでの成功の鍵は、価格や販売条件面で主導権を握るほどのマーケットシェアを確保すること、現地の専門家を経営に参画させること、厚い自己資本で経営することである。

 さて、今年10月に行われる大統領選に話しを移したい。現職のルーラ大統領は最近の世論調査によると90%の支持率を得て絶大な人気を誇っているものの、2期連続大統領を務めたため、憲法上の理由から今回の大統領選に出馬出来ない。ルーラの後継者と目されているジルマ(元官房長官)が出馬することになるが、ルーラの後押しもあって選挙戦は彼女にとってかなり有利と思われる。今回の選挙は、ブラジルの歴史上初めて金融市場を圧迫しない選挙ともいえ、ブラジル中銀がドル買い介入をする必要があるほどレアルは強含みで推移している。一部マーケット参加者の間では、ジルマをルーラ以上の左派との見る向きもあるが、新政権は2014年の再選を目論むルーラ主導での政治になると思われることから、ジルマ当選は懸念材料にならないと見る。

 一方、対抗馬のセーハ(元サンパウロ州知事)が当選した場合だが、カルドーゾ政権時代にレアルプランを生み出したPSDB(ブラジル社会民主党)に所属していることもあり、市場寄りの政策になるだろう。いずれにせよ次の大統領に誰が当選しようが、大統領選そのものが金融市場に与える不安要素は乏しいと考える。

 2010年、実質GDP成長率は8%程度の成長を見込んでいるが、もちろんそれは持続可能な水準とはいえない。インフレ圧力を抑えるため、中銀が金融引き締め策を継続すると市場では見ており、その後の経済成長率は4%前後に戻ると予想している。ただ、通常の投資に加え、インフラ、石油開発(プレサル・海底油田採掘)、そして中期的にはサッカーのワールドカップやオリンピックも原動力となり経済成長率の底上げに寄与するだろう。

次の将来
緩やかな世界経済の回復と以下の内需要因を考慮すると、ブラジルは安定的な成長が維持出来るだろう。

1)購買力の増加。更に人口の70%以上を占める低・中間所得者層の収入の拡大。
2)民間企業と違い終身雇用が約束されている公務員の数と賃金の増加。
3)人口構成が若い(39歳以下が66%)。
4)長期性かつ低コスト資金のブラジルへの流入。
5)ブラジルの文化性(日本と違い投資志向が強い)。
6)主に民間主導で行われるインフラ投資に加えて、公営企業のペトロブラス、エレトロブラスによる大型投資が期待される。
7)ブラジルの国内市場を狙った海外からの直接投資や証券投資。

発展途上国による需要は、ブラジルの経済成長においてもう一つの重要な要素である。表5で示すように、IMFの購買力平価をベースとしたGDPによると、最近では発展途上国のGDP値は先進国のその数値に近づく水準にまで増加している。

資源国家のブラジルにとって、世界の85%の人口を有し、93%の出生について責任をもち、そして購買力増加にともなうコモディティ需要の拡大が著しい発展途上国は、先進国同様に重要である。

 ブラジルの抱える問題の一つは、格付け会社からの評価がいまだに低いことだ。多くの日本企業は、投資判断にあたって格付け会社の評価を基準にしている。しかし、仮に世界中の投資家などが判断基準の一つとしている期間5年のクレジットデフォルトスワップを用いて評価し直すと、ブラジルに付与されている現状の格付けは低く評価されていることが分かる。無論、これだけで評価されているわけではないが、私たちは早くブラジルが本来の実力に見合った格付けで評価されることを願っている。