ニチレイブラジルえび事業史

内山善司
(アマゾナス食品工業㈱CEO)

漁獲されたばかりのピンクえび

アマゾナス食品工業(AMASA) の母体は株式会社ニチレイの事業会社のひとつであるニチレイフレッシュである。ニチレイというと、証券取引所では、食品業に分類され、冷凍食品の他冷凍倉庫・物流事業のイメージが強いが、ニチレイグループの歴史は日本全国各地に冷凍倉庫を保有する水産会社の色を濃くして始まり、現在も水産会社大手の一角に位置付けられている。
ニチレイの前社名である日本冷蔵(株)の発足条件のひとつであったため、創業時より漁撈部門を保有していなかったが、そのため、資源の確保を求め、海外事業に早くから目を向けることとなった。

ニチレイグループのブラジル事業の歴史
ニチレイグループがブラジルに進出したのは1957 年、ペルナンブーコ州レシーフェにおけるマグロ事業会社であるINBRAPE 社(ブラジル水産冷蔵)を設立した。 翌1958 年には、債権銀行からの申し出を受け、1911 年創設の捕鯨会社COPESBRA( 北伯漁業)を買収したため、捕鯨を開始した。
その後採算悪化によりマグロ事業から撤退、鯨事業も1985 年に世界的な捕鯨禁止により、その幕を閉じることとなった。
えび事業に進出したのは、1969 年、当時更なる水産資源確保のため、COPESBRA 社がパラ州ベレンに支店を開設し、えびの漁獲を開始したことに始まる。1978 年には加工の拠点としてAMASA社(アマゾナス食品工業)設立、加工を開始した。
1980 年代には保有漁船数も着実に増え、加工場も自社船漁獲のえびだけでなく他社漁船の原料の加工を請け負う等順調に推移、えを使用した加工品にも取り組んだ。しかし1990年代に入り、安価な養殖えびの台頭による国際価格の下落と、漁撈コスト上昇により採算が悪化し、全漁船を船長に売却、自社漁撈から撤退した。(1992年)
一方、加工工場であるAMASA 社は事業を継続、現在は、地元ピンクえびの総漁獲量の約60%を取り扱う主力のえびに加え、地場で水揚げされる魚の加工、販売を行っている。
尚、ニチレイグループが現在ブラジルで行っている事業はえびと、ペルナンブーコ州ペトロリーナに加工拠点を持つNIAGRO 社(ニチレイブラジル農産)が行うアセロラ事業の2つである。

世界でも珍しい独自種
アマゾン河沖の海域で漁獲されるえびは、通称ピンクえび(camarão rosa)と呼ばれ、当該海域でしか漁獲されない独自種である。その華やかな体色と引き締まった身質、えびの旨み、甘みが詰まった味は日本市場でも高く評価され、養殖えび全盛となった現在でも“こだわり素材”として、根強い人気を持っている。
大河アマゾンが海に放出する豊富な栄養分がえびを育んでおり、まさしくアマゾンの恵みと言えるえびである。

AMASA 工場外観

ブラジル国内販売への挑戦
AMASA 社設立から約10 年間、えびの日本向け輸出とともに、えびを原料とした加工品の国内販売も行っていたが、その後は輸出に専念、欧米にも販売を広げた。
2006 年から、成長するブラジル市場をターゲットに国内販売への再挑戦を開始した。販売は当初苦戦し、地元ベレンの日系食材店、サンパウロの日本食ルートに限られた。
当時から他社によるえびの国内販売は行われていたが、えびの品質やサイズは不揃いで、正味重量も基準未満である商品が主流であった。当社の製品は価格面では割高で、価格を提示しただけで納入を断られることも多かったが、地道な営業活動を続け、日本式品質管理による“真面目な品質”が徐々に評価されるようになり、日本食以外のルートにも販売が拡大するようになった。
2009 年には島内日本国大使(当時)の御来訪をきっかけに在ブラジル日本大使館への納入を開始、公邸における会食やレセプションに今も使用されている。
2013 年には、えびの国内販売量が輸出を上回り、昨年2017 年時点ではブラジル各地15 州に販売網も広がり、売上の70% を占めるようになった。

更なる事業発展に向け
当地ピンクえびの資源は毎年禁漁期を設ける事により安定したものとなっているが、それでも自然環境等により好不漁は存在する。
その中でより安定した事業展開を行うため、えび以外の水産品の扱い拡充や、加工度を上げた製品の開発に取り組んでいる。そして日本進出企業ならではの誠実な経営、製品作りを貫きAMASA ブランドを信頼のマークとしてブラジル国内での認知度をより高めてゆきたい。