会報『ブラジル特報』 2010年11月号掲載
在日ブラジル商業会議所会員企業の紹介(第6回)

                アイピーシー・ワールド


サッカーW杯生中継で存在感

 FIFAワールドカップ南アフリカ大会、大会2日目2010年6月12日土曜日、午後10時過ぎ、一本の電話がIPC南麻布の事務所で鳴る。『大丈夫です、音声と映像が合ってます。』と興奮と高揚を抑えきれない声、続けて『これで出来ます。放送が出来ます。ポル語音声が放送できます。』電話の主はIPCの番組制作責任者、ワールドカップを全戦生中継する衛星放送スカパーの日本での放送拠点、江東区東陽町にあるスカパー東京メディアセンターからである。ここで南アフリカから送っているスカパー映像とブラジルからTVGLOBOが送ってくる音声が合わないと中継は映像と音声がズレた状況になりポルトガル語音声での放送は実現しなくなる。実際の試合ギリシャVS韓国戦で最初で最後の本番シュミレーション検証テストを行っていた。

 この企画は昨年12月に交渉を開始してから6ヶ月、大会1日目が始まっても決まっていなかった。企画とは、日本に住むブラジル人のため、ワールドカップ南アフリカ大会を日本で全戦生中継するスカパーのブラジル代表の試合を、全戦ポルトガル語音声で放送する。スカパーの衛星放送の音声は4チャンネルで構成されており、2チャンネルを1セットとして第1音声、第2音声という使い方をしている。今回のワールドカップでは、第1音声は日本語、第2音声は英語とFIFA(世界サッカー連盟)との契約で決まっている。その第2音声をブラジル代表の試合のみポルトガル語に変更し放送するというのが今回の企画だった。

 しかもポルトガル語音声にも日本に住むブラジル人に対してより喜びを与えるため、IPCとして大きなコダワリがあった。実況アナウンサーである。南米で最大規模のテレビ局であり、今回のワールドカップも中継権利を一局で保持するブラジルTVGLOBO。そのサッカー実況中継の基本を作ったといわれている、世界的に著名なアナウンサー ガルボン・ブエノ氏。ガルボン・ブエノ氏の実況については当社のパートナーであるTVGLOBOの上層部とのトップ交渉で決まった。スカパー側も企画には好意的で良好に進んだ。しかしFIFAの了承に3カ月の時間を要し、了解が得たのはスカパーの技術スタッフが南アフリカに向け出発する2日前だった。翌日、スカパー技術スタッフと打合せ行ったが、打合せでは映像と音声は南アフリカでマッチングさせ日本に送るという方法で問題ないということでポルトガル語音声の実現に一歩近づいたのだった。

音声と映像のマッチングに成功

 しかし開幕3日前、事態が急変した。映像は南アフリカから届けられるのだが、音声は最終的な完成がリオデジャネイロのTVGLOBOのスタジオとなり、音声を南アフリカ〜リオ〜南アフリカと往復させた後、映像とマッチングさせるテストをしてみると音声が約3秒遅れることが判明した。ゴールが入って3秒後に『ゴォーール!!!』、これでは実況は成立しない。そのためだけに日本の放送開始を3秒遅らせる訳にもいかない。

 一度は実現できる気持ちだったので落胆も大きかった。その後解決策を探す努力がスカパー、TVGLOBO、IPCの協同で行なわれた。そして最後の方法が見つかったのである。大会初日のことだった。映像と音声を南アフリカとブラジルから同時に送り日本でマッチングさせるという方法である。音声はISDN音声コーディックでの伝送、イメージとしてはブラジルからの電話を繋ぎっぱなしにし、南アフリカからの映像に合わせるという方法である。

 そして最初で最後のテストが行われ、冒頭での興奮した電話の声とともに日本で初めてのガルボン・ブエノ氏のポルトガル語実況の放送が決定したのだった。ブラジル企業のTVGLOBO、日本企業のスカパーJSAT、この2社をIPCが繋ぎ、日本に住むブラジル人の喜ぶ姿のため、諦めることなく実現させたのは大変に意義のあることだった。

週刊新聞発行で業務開始

 IPCは現在の社名の由来となるInternational Press(インターナショナルプレス紙)の創刊号が1991年10月に発行され、来年で20周年目を迎える。創刊号には表紙にブラジルの国旗を大きく載せた。この国旗は数週間後、ブラジル人の住むアパートの窓に張られているのを見ることさえ出来た。その後1994年4月にはスペイン語版の発行を開始。日本で制作発行するポルトガル語版インターナショナルプレスの影響は大きく、それは日本中のブラジルコミュニティのみならず、ブラジルにも及び、今や日本のブラジル人情報においてブラジル日系人マーケットの代表的出版物となった『ニッポ・ブラジル』の創刊に結び付いたのである。

テレビ放送を開始

 1996年にはテレビ放送を開始した。現在のスカパーの前身であるパーフェクTVの開局に合わせ24時間のポルトガル語放送、ラテンアメリカのスペイン語放送を開始した。

 この外国語放送は当時の日本人が海外旅行をして、現地のホテルなどで目にする日本語の30分間番組のリピート放送とは違い、再放送が極めて少ない24時間編成であり、ブラジルから太平洋と大西洋上空の放送衛星2基を経由してブラジルで放送している番組をそのままライブで日本まで届け、再度日本のパーフェクTV(当時)衛星に送るというスケールの大きさに、日本の既存メディアにも注目された。

 ブラジルのエンターテイメント番組やニュースはTVGLOBOから質の高い番組が供給され、在日ブラジル人に関連する日本のニュースや在日コミュニティのニュースは自社制作で南麻布のスタジオから放送するスタイルは、開局以来変わっていない。

 特に在日ブラジル人の関心の高い地震速報、津波情報は、日本気象協会とホットラインが繋がっており、発生から瞬時に放送している。日本のテレビでの地震速報は地名と震度の羅列だが、在日ブラジル人にとって地名の羅列では判りにくいため、当社の放送マスター室で特別に用意した日本地図のテロップに、震源地と各地の震度を挿入する方法を採用し好評を得ている。

 2007年にはTVGLOBOと海外で初めてのネット局の合意がされ、翌年4月よりTVGLOBOのアジア支局が北京から移動して当社南麻布の事務所に入り、常駐のTVGLOBO報道レポーターが当社カメラ撮影スタッフと取材し、今の日本をブラジルに伝えている。

携帯電話でも情報発信

 2000年には携帯電話でのモバイルインターネットによる無料情報発信として、NTTドコモのプラットフォームでポルトガル語唯一の公式サイト『POKEBRAS』を開始した。その後この携帯サイトは現在のau、ソフトバンクでも唯一のポルトガル語公式サイトとして継続している。『ポケットのなかにブラジルを...』をキャッチフレーズに、ブラジルのニュース、音楽情報、サッカー情報など多彩なメニューを展開している。NTTドコモでは『POKEBRAS』の事例を、日本では珍しい外国語携帯コンテンツの成功例として各方面で紹介している。このほか無料の『POKEBRAS』に対し、有料コンテンツとしてブラジル音楽専門着メロ、着うたサイト『POKEMUSIC』、ブラジルの新聞社フォーリァ・デ・サンパウロとの提携での『FOLHA ONLINE JAPAN』、出版社ABRLU社との提携により人気雑誌のモバイルサイト化を成功したサッカー情報『Placar』、音楽芸能情報『Contigo!』、またwebサイトでの情報発信においても『ipcdigital.com』を開始し、当社のメディアサービスの核として在日ブラジル人ユーザーに活用頂いている。

 2007年からはブラジルで有名なビーチサンダル『havaianas』を、日本人向けに日本で唯一の全種類をラインナップしたインターネットショッピングサイト『havaianas full』をオープンし、ブラジルのファッショナブルなサンダルを販売している。毎年havaianasはモデル・カラーを含めると500種類以上あり、その全てを販売するサイトとして注目されている。昨年度は1店舗あたりの国内最大販売数を記録した。

フリーペーパーを発刊

 2007年12月にはフリーペーパー『vitrine』を発刊し、フリーペーパーに進出した。ポルトガル語でショーケースの意味であるvitrineは、ブラジル人の日本での生活の不便を解決する目的と、便利な生活に結び付ける要素も持ち合わせたコンセプトで構成されており、毎年、ブラジルでは耳にしないという花粉症の季節など、花粉症対策用品を写真とポルトガル語訳入りで細かく紹介するなどしており、日本のドラッグストアなどでvitrineを持ったブラジル人を数多く見ることが出来る。

 2010年6月16日深夜3時30分、ブラジル対北朝鮮にて日本で初めてポルトガル語での実況音声が流れ、後半10分マイコン選手のブラジル先制点でガルボン・ブエノ氏の『ゴォーール!!』という独特の実況を、遠く日本から応援する多くのブラジル人サポーターに届けることが出来た。

 ブラジルコミュニティのメディア企業IPCとして今回の試みは、日本で生活するブラジル人に取って必要な情報はブラジル企業のみから発信されるわけではなく、日本企業との連携によってなしえることも多くあるとあたためて感じた。

 当社として今後は、日本で生活し、日本の生活に馴染んでいる部分も増してきた在日ブラジル人、その取巻く環境をより意識した企業戦略を様々なブラジルと日本を繋ぐ分野で進めていきたく考えている。