―測り知れない貴重な収蔵品2千万点が焼失―

執筆者:田所 清克 氏
(京都外国語大学名誉教授)

 

リオ北部のキンタ・ダ・ボア・ヴィスタ公園にある国立博物館。規模と内容において、この種のものとしてはラテンアメリカ最大であることはむろん、自然史博物館としても世界で5番目の大きさの存在である。それが過去のものになってしまった感がする。何故なら、その博物館の所蔵する大半の陳列品や資料等が焼失したからである。

燃え上がる国立博物館

奇しくもリオ逗留中の筆者は、レブロンにある有名書店リヴラリア・ダ・トラヴェッサからホテルに帰る途次、悲痛な面持ちで語るタクシー運転手から、その悲劇的かつ衝撃的な出来事を知った。早速、3つの有力紙、すなわちJornal do Brasil, O Estado de São Paulo, O Globoを購入して目を投じると、当然のことながらいずれの新聞の第一面は、炎上する写真付きの国立博物館の記事で埋め尽くされていた。

留学時を含めて数度訪ねたことのある筆者にとっても、博物館焼失の件はただごとではなく、強いショックを禁じ得なかった。事が事なだけに、この博物館火災のニュースは、日本でもおそらく報じられたことであろう。「屋下に屋を架す」つもりは毛頭ないが、この博物館が学問的な観点のみから捉えてみても、いかに重要な存在であったかを知る意味で、報道されている内容と重なる部分があるかもしれないが、事の重要性から少し立ち入って真相を詳述したいと思う。

前身となる国立博物館は、イエズス会所有の農園に1803年に建てられたものだそうだ。それが1808年のポルトガル王室のブラジル移転に伴い、王室に譲渡されたとのこと。博物館自体は1818年、自らの収集品を展示する目的でドン・ジョアンVI世によって創立され、かつては皇帝の住まいとしても使われていた。そして、横幅78m、奥行き108mの3階からなるその建物は、後に国立歴史芸術院(Iphan)から保存の対象ともなっていた。

数々のコレクションは館内では、自然科学部門[地質学、古生物学、植物学、動物学]と人類科学部門[生物人類学、考古学、民俗学]とに二分されていた。これらの領域の蒐集はすでに18世紀に始まっていたと言われている。

ところが、今年の6月で節目の開館200周年を閲したこの由緒ある博物館が、一夜にして骨組のみを残して灰塵と化したのである。言うに及ばず、2千万点のおよぶ収蔵品のいずれもが測り知れない価値を有するものであった。中でもこの博物館の目玉でもあった、およそ1万1500年から1万3000年前の、ラテンアメリカで発掘されたものとしては最古の頭蓋骨である“ルズィーア”(Luzia)かもしれない。1970年に発見されたこのルズィーアは、アメリカ大陸の先住民の起源を探る意味で貴重な存在であった。ちなみに、焼け跡からの捜索で形状の変化の有無は判らないが、隕石と並んでそれは発見されている。

以下に挙げるものも前述のルズィーアに優るとも劣らない価値ある所蔵品であることは疑いの余地はない。その一つに、古生物関係では動植物の化石と合わせて、ミナスジェライス州で発掘された体長13m、重さ9トンの白亜紀の恐竜ティタノザウルスの完全なかたちの化石があった。その他、エジプトおよびアンデスのミイラや、コロンブス以前のアメリカ大陸のインディオ文明を象徴する1800もの工芸品も館内には飾られていた。

さらに、10万点以上に及ぶドン・ペドロI世によって収集された、旧石器時代から19世紀までのアメリカ南北両大陸、ヨーロッパおよびアフリカに居住していた住民たちの、さまざまな出自の文明の証しとも言える考古学的コレクション、例えば木棺なども博物館の自慢の種であった。他方において、国立博物館は国内最大の隕石コレクションを誇り、バイーアで1784年に発見された「ベンデゴーの隕石」などは、国内的にも世界的にも最大級のものとして来館者を惹きつけたものである。

レブロンにある有名書店 “LIVRARIA DA TRAVESSA”

ところで、肝心の火災は新聞報道によると、9月2日の19時 30分ころに発生した。20時20分ころから消防隊による懸命の消火活動が始まったが、水不足で22時30分までは火の勢いが強く手におえない状況であったらしい。そこで軍隊への救援要請もあったようだ。ともあれ火災は、事務管理室以外に、収集室と展示室の2つの領域からなる全館に達し、結果として、ブラジル(ラテンアメリカ)史の証しとなる歴史遺産たる収蔵品や史料は、別館にあるものを除いて灰塵に帰した。

実況見分の段階ではあるが、漏電が原因であるという見方が今のところ強い。が、それを「人災」と観る識者も少なくない。博物館自体、老朽化が進み、一日も早い改修が求められていた。にもかかわらず、資金不足で手を加えられることはなかった、その意味において、起きるべくして起きた人災とも言えるかもしれない。このことは、文化省大臣であるセルジオ・サー・レイトンの言葉が代弁しているような気がする。彼はインタビューに応えて、「明らかに防げた悲劇」と観ているからである。こうした文脈で今回の博物館の火災を捉え、中央政府、州政府並びにリオ市の怠慢や失態の責任を問う動きがある。そして現に、博物館のあるキンタ・ダ・ボア・ヴィスタ公園に集いながら、糾弾・非難する人々がいた。が、今では市の警備隊によって阻止され、入園は禁じられている。

館内施設の修繕のために博物館は今年、社会経済開発銀行(BNDES)とスポンサー契約を結んだ矢先のことであった。その点では、まことに皮肉と言うほかはない。ミシェル・テメル大統領は、「損害は甚大。ブラジルの博物館学にとって悲しい日」と声明を発表したが、これはブラジル国民ばかりか、世界の人々にとっても共通の思いだろう。ことに筆者の場合は、胸が張り裂ける思いすらする。個人的にインディオの言語にすこぶる関心があることもあって、膨大なその関連の資料が眠る博物館はいわばメッカで、常に惹きつけられていたからである。そうした言語学的資料のみならず、インディオに関する民俗学、人類学、考古学関係の収蔵品や展示品が炎によって焼き尽くされたことで、今後のインディオ研究の進展に向けての影響なり、支障を来す可能性を想うと、筆者はただただ深く憂えるばかりである。

(2018年9月12日脱稿)

 

*なお、本エッセイの作成に際しては特に、「ニッケイ新聞」およびJornal do Brasil [双方とも9月3日付]に多くの点で依拠した。

 

写真1 燃え上がる国立博物館

写真2 レブロンにある有名書店 “LIVRARIA DA TRAVESSA”